ミニ・ワークショップ
化学物質といかに付き合うか
ミニ・ワークショップの概要
- 日時:
- 平成11年7月10日(土)
- 場所:
- 環境パートナーシッププラザ会議室
- 内容:
- 会報『環境と文明』4~6月号の化学物質特集のまとめをかねて、ミニ・ワークショップを開催しました。当日は、22名の参加者が4グループに分かれて、化学物質のメリット、デメリットを出し合ったあと、化学物質の付合い方について意見交換を行いました。
報告
(1)化学物質のメリットとデメリットの洗い出し
22名の参加者が4グループに分かれて、化学物質のメリット、デメリットを出し合いました。
<化学物質のメリット>
衣 |
住 |
- 大量生産が可能 → 安価になる
- 多機能性(染色、形状記憶、抗菌)
- 加工性が増す
- 耐用年数を長くする
- 生産性の確保
- 暮らしの快適性
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- 建材が強固になり、耐久性を増す
- 防水、防腐を増す
- 耐熱性を増す
- 軽量化する
- 加工性が高くなる
- 断熱性
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食 |
医 |
- 保存性を増す
- 保存に便利(ラップなど)
- 生産力を増す(肥料・薬品)
- 味をよくする調味料
- 低カロリーなもの
- 労力を省力化 → 女性の社会進出
- 成長を促進する
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- 治療に活用される
- 多用な薬品に利用されている
- 寿命を延ばす
- 公衆衛生の向上
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<化学物質のデメリット>
人間に対する直接的な健康被害 |
間接影響 |
- 生殖機能への障害
- 脳神経機能への障害
→ 子供のキレ、学級崩壊
- 合成洗剤による健康被害
- 医薬品として有効なものとして使われているものの副作用がある
- 食品添加物 → 食の安全性の問題
- バーコードスキャーナーによる食品の化学変化
- 環境ホルモンは微量で影響大
- 化学肥料、農薬
- アレルギー症状、アトピーなど
- 潜在的なリスクの発生(化学物質のもつリスクは予想しがたい)
- 催奇性をもつ
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- 野生生物群に対する撹乱
- 野生生物の食物連鎖による数の減少
→ 絶滅の危機・ 生態系の破壊
- 人間以外の生物が生存していく環境を損なう
- 有用微生物まで殺す
- 地下水、土壌などの長期的な汚染
- 地球環境への撹乱
→ 温暖化、オゾン層の破壊など
- 車の排気ガス
→ 温暖化、オゾン層の破壊など
- 効率化、競争によって伝統的技術等が破壊
- 使い捨て文化の助長
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精神的な価値観、不安 |
政策決定に対する困難さ |
- 安心感のある消費ができない
- 化学物質の存在による物としての食品供給(顔の見えない消費)
- 漠然とした不安感をあおる
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- 数が多くてアセスメントが困難
- 不確実のなかの政策決定の困難さ
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(2)意見交換での主な発言
■化学物質とは何か
- この世に存在する全ての物質が化学物質。元素のレベルで考えると、例えば、水も空気も鉄も全て化学物質というのが本当の解釈。
- ここでは、ここ1、2世紀の間に、あるいはここ50年の間、人間が工業的につくりだしたものを「化学物質」として議論をすすめることにする。
- 人間が非意図的につくりだした化学物質、例えばダイオキシンのような物質についても、ここでいう化学物質に含める。
■マイナス面が分からない化学物質、マイナス面・プラス面が分かっている化学物質
- 安全性や利便性の追求は悪いことではないけれども、それがもたらす負の側面をコントロールできなくなりつつあるという危惧がある。負の側面といっても、かならずしもはっきりしない。誰が見ても100%問題だったらその負の側面を取り除けばいいのだけれども、かならずしもはっきりしない段階で、どういうことができるか。
- 化学物質には、大きく分けて二つある。一つはDDTやフロンのように、発見当初、利便性・安全性という点で大変なメリットがあるといわれ、マイナス面は分からなかったもの。もう一つ、最初からプラス面もあるけれどもマイナス面があることを承知で、そのマイナス面よりもプラス面を買って、ハイリスク・ハイリターンのなかで利用している化学物質がある。
■自己責任と正しい情報を出す仕組みづくり
- ハイリスク・ハイリターンは銀行だけの問題でない。日本の場合は、自分の責任で選択するという習慣がない。自己責任というものを化学物質への対応にも入れるべきだ。
- 自己責任といわれても、なかなかわからない。一方で自分で自分をまもる努力をしつつ、同時に、正しい情報を出す仕組みをつくっていく必要がある。
- レイチェル・カーソンの「沈黙の春」の「負担を堪えねばならぬ」という章に、「もし我々が負担を堪ええなけばならぬとしたら、知る権利がある」という件がある。わたしたちは、やはり、知る権利をもっと使って、色々な情報を自分で取り入れなければならないと思う。
- 日本のNGOは非常に弱くて、政府から出る情報しか得られない状況にある。もっと力をつけて、NGOに専門家を取り入れて、研究を進めないとどうにもならないのではないか。日本人は、一般的にお上に弱い。
■化学物質を減らせばいいのか?
- 次々と出てくる化学物質をひとつひとつ追っていたら、間に合わなくなってしまう。化学物質を少なくする必要がある。
- 化学物質を減らすことは、一方で科学の進歩を押さえるということになりかねない。
- 化学物質をこれ以上増やさないように総量規制をするという方法もあると思う。今よりもさらに安全性確認の障壁を高くして、相当に安全と確認されたものしか使えないというようにすることも、これからとるべき道のひとつだと思う。
- マイナス面が最初は分からない化学物質が結構ある。消費者が利便性・安全性を信じて、そして、化学物質を増やしていくというのはあると思う。化学物質だから全て減らすべきであるということが、まず前提にはならないと思う。
- 化学物質が危ないという説に対しては、危なくないという説が必ずでてくる。それぞれが科学者としての良心に従って主張しているわけだが、地球温暖化についても、温暖化して何が悪いという話、温暖化しているかしていないかという議論が相変わらずある。本当に危ないか危なくないかが分からないことが多い。そうした時に、科学の進歩を止められるか。
■マイナス面がわからない化学物質とどう付合うか
- 危ないのが分かっていて使う薬のほかに、分からなくて便利で悪いところが全くないと思っていた薬が沢山ある。DDTやフロンなどがそうだ。はじめは、こんな素晴らしい化学物質はないといわれた。そう考えると、今、何十万という新しい物質が出ていて、その中でダイオキシンか、あるいはもっと毒性の高い物質がある可能性がある。それを考えるとぞっとする。
- 私たちは、化学物質の海に生きているし、将来的にも生きざる得ない。そうであるならば、お金を使ってでも、不確実性を確実性にしていく研究やモニタリングの機構を強めていくしかないと思う。
- 日本でも化学物質は全く野放しというのではなくて、化学物質には一種のアセスメントがなされている。アセスメントの項目は、それ以前の経験でいっている。当時、環境ホルモンは知られていなかったので項目の中に入っていない。だからすり抜けてしまう。環境ホルモンが新しい知見として加われば、当然、項目に加えられるようになるはず。
■「危ないかもしれない」とわかったときにどうするか
- ヨーロッパなどでは、マイナスの面がでてきた時には、不確かだったらまず止めるというのをやるのに、日本の場合は、不確かでもまだやる。どうしてそこがうまくいかないのかなといつも思う。危ないかどうかは、あるところまで分からないのかもしれないけれど、分かった時点で、どうして、すぱっと危ないからやめようとならないのかなと。そういう日本の社会の仕組みが不思議だ。
- それは非常に簡単な理由ではないか。政府が、生産者の側を向いているか、消費者の側を向いているかという問題に尽きるだろう。日本は生産者の方を向いている。むこうでは、消費者の方を向いている。それには消費者が力をつけたことも関係するだろう。
- 社会の仕組みがどうあるべきかという話と、個人としてどういう行動を選択したらよいかという話は、分けた方がいいと思う。社会として、どういう仕組みを私たちは指向したらよいかということを考えなくてはいけないと思う。
- 危ないか危なくないかを確実に知らせるための機構を強化する必要があると思う。今ある機構は、研究者の数、予算などにしても、きわめて貧弱なものであると思う。危ないということを今より速いスピードと確実さでもって証明できる機構をつくることは可能だと思う。
- 化学物質が、否応無しに世の中に沢山でてきているわけだから、それを事前・事後に監視する仕組みを強化すること、また、環境で監視する仕組み、例えば、水は大丈夫か、空気は大丈夫かということを監視する仕組みを強化する必要がある。また、個人が環境のリスクを勉強する機会を提供することも社会のシステムになくてはならない。企業などが、製品に関する情報を開示する仕組みをつくることも大切。一方、情報を提供されただけでは、一般の市民には分からないので、読み解いてくれるNGOやNPOを育てることも必要だ。
- 一番必要なのは情報開示だと思う。お役所をはじめ全ての面で、情報を全てさらけ出すというシステムになっていない。それをはっきりさせることは、化学物質に限らず、これからの日本で一番重要なことだ。
- 知らせる側が分かりやすく知らせるというのと、インタプリターとしてNGOなどが、一般の人にもっと分かり易く、科学的な根拠をつけて、あおることなく、知らせるということを、『奪われし未来』の方たちやレイチェル・カーソンは言っていると思う。『沈黙の春』が40年以上も前に書かれたものであるのに、いまだに読みつづけられるのは、科学的であるということと、知った以上は何か行動を起こしましょうよと言っているからではないかと思う。
- 一般市民がそれを知ったときに、自分はこうしようとか、このリスクはとるけれどこのリスクは嫌だとか、意志表示したり、意志決定に加われる仕組みがないと解決しないと思う。
- 化学物質の総量を減らすよう誘導していくために、化学物質の害が分かったときに、賠償責任をもっと強く負わせるようにしたらどうか。
- 今、問題となっている化学物質は、そんな単純なものではない。例えば、フロンは害があると分かっているけれど、フロンをつくった企業に、フロンによるオゾン層の破壊の被害を全部補償させられるかというと、補償させることもできないし、妥当性ということに関しても疑問がある。原因集団と結果集団とを決めて、その間でやり取りができるというものではない。
■加藤代表のまとめ
- 化学物質の数だけでも無数にあるし、日々、世界のいろいろなところで、快適性や利便性を追求して、化学物質がつくられ、使われ、そしてそれによって影響を受けている人がいる。その大きさに対して、我々がやっていることは、小さいことのように思われるが、化学物質の海に無抵抗に押し流されてしまったら、それこそ人類の将来は危ない。私たちだけが努力しているのではなくて、世界中で色々な努力がなされている。それを支援しながら、私たちはNGOとして声を出していきたい。