2000年2月号会報 巻頭言「風」より

社会を変えうるか「循環型社会基本法」(1)

加藤 三郎


21世紀の廃棄物・リサイクル対策を通じて私たちの社会を大きく変えることが期待される一つの重要な法案(循環型社会基本法)が、今、国会のある永田町と省庁が所在する霞が関の間を激しく行き来しています。廃棄物・リサイクル問題を循環軌道に乗せることは、21世紀を「再生の世紀」とするための基本的な要件ですので、今月と来月の2回、この問題に焦点を当ててみたいと思います。

繰り返し述べておりますように、戦後の日本の経済の発展は、大量生産・大量消費の効率的な経済システムを短期間に作り上げたことに依っています。その結果、いやその前提ですらありますが、大量の廃棄物が日々発生しています。普通にしていたら、日本のように平地面積あたり極めて高密度な経済活動をしている国では、とっくの昔に都市は、ごみに埋まってお手上げ状態に陥っていたとしてもそう不思議ではない位です。しかし、行政の清掃部局や民間の処理業者、それに関係企業の技術陣が営々と頑張ってきたお陰で、例外的な場合を除き、ごみパニックに陥ることもなく、当たり前のように身のまわりからごみが消える。つまり清掃される状態が曲がりなりにも維持されてきました。

ところが、近年になって、①ごみの発生量が一向に減らない、②家電製品に代表されるように、家庭、オフィスなどで使われる製品は、構造も成分も複雑であるだけでなく、有害物質を含むものも沢山出てきて自治体の清掃部局の手に負いかねるものが増加し、③紙や生ごみやペットボトルのように、リサイクルされても経済上の支援策ぬきでは、その再利用用途には限界があり、結局ごみに戻ってしまうことも多いのです。その上に、④ごみを排出する事業者のなかには、ごみ処理費用は安ければ安いほどよいと業者に不適正な料金で処理をおしつけ、また残念なことに、⑤処理業者のなかには、それを承知で引き受け、不法・不適正処理をしてしまう者も後を絶ちません。最近問題となった、栃木の産廃処理業者が、医療廃棄物を含むごみを「故紙」と偽ってフィリピンに「輸出」してしまったショッキングな事件は、その典型的な例でしょう。

さらに、⑥ダイオキシンや環境ホルモン問題のように、化学物質の汚染から人の健康や生活環境を護る必要性が増大するにつれて規制は厳しくなる一方ですし、⑦市民の間にも、ごみやごみ処理事業に対する偏見や無理解はまだまだ根強く残っており、事業を実施する社会的環境もきつくなっています。私の友人である処理業者のなかには、新規施設を作る勇気がわかないと語っているほどです。

このような数々の事情が重なって、日本のごみ問題は1~2年のうちに、のっぴきならぬ状況に立ち至りつつあると見るべきでしょう。地球温暖化など地球環境問題を考えても、また枯渇しつつある貴重な金属資源の浪費を思っても、これまでのような、大量生産→大量消費→大量廃棄→大量焼却・埋立への一方交通は早晩立ちゆかなくなることは明らかです。あらゆる状況からみて、多くの人が、環境負荷の少ない、循環を基調とする社会、つまり循環社会を必要とするようになってきたのです。

おそらく以上のような認識のもとで、自自公の三党が政権与党を形成するに当たって政策協議した際に、今年年を「循環型社会元年」として位置づけ、循環型社会を形成するために必要な法律を制定することに合意したと思われます。この合意に基づき、公明党は本年早々に「循環型社会形成推進法案」を公表し、それに刺激されてか政府・自民党は「循環型社会基本法案」の骨格を1月21日に環境庁から発表しています。今回の私のコメントはこの案をベースにしています。

私の理解する限り、この基本法案は、厚生省が所管している廃棄物処理法と通産省が中心になって所管している資源リサイクル法の二法がともに今国会に改訂強化されるよう提案されることを前提としています。つまり、現状における廃棄物処理とリサイクルの実施法をともに強化したうえで、すでに立法されている家電や容器包装などの法律とともに、その上にかぶさる「基本法」として想定されているようです。(実は、この外にも建設系廃棄物のリサイクルやグリーン購入に係わる法案もそれぞれ上提される可能性があるようです)。しかし基本法といえば、すでに環境基本法が制定されており、その下で廃棄物の処理とリサイクルはすでに一体的に位置づけられて運用されていますので、環境基本法の下に小基本法をつくる、いわば屋根の下に屋根をおいた不自然さがまず気になります。

私自身はこのような構造にせず、廃棄物処理法と資源リサイクル法を文字通り一体化した循環経済・廃棄物法とでも称すべき新たな法律にすべきと思い、主張していますが(例えば拙著『「循環社会」創造の条件』)、これは縦割り行政が厳しい日本では、容易に実現しそうにありません。ちなみに日本よりも6年近くも前に循環経済・廃棄物法を制定したドイツでは、ごみの処理とリサイクルをこの法律に一体化し、行政も環境省に一元化しています。日本の政治・行政の難しさや遅れが、こんなところにも出ているように思えるのです。

さて、こんな文句ばかり言ってもしょうがありませんので、法案の中身に入ってみますと、さすがによく考えられており、小基本法らしい配慮がいろいろとなされています。特に私が気に入り最も重要と考えるのは、いわゆる副産物や廃棄物などの総称としての「発生資源」という言葉や概念を導入しようとしていることです。

これは、廃棄物問題に詳しくない方には、一寸わかりにくいと思いますが、実は私は、今日の廃棄物問題を深刻にした表の理由が大量生産・大量消費であるとすると、裏の理由は「廃棄物」というもののこれまでの定義と位置づけにあったとさえ最近は考え始めているからです。現行の廃棄物処理法を見ると、「廃棄物」とは「汚物又は不要物」と定義されています。このように定義してしまうと、社会にとって危険なものであるので、焼却や埋立により一刻も早く生活環境から排除してしまおうという思想が強く出てきます。つまり、大量生産→消費→廃棄という流れを補強したと思えるのです。現行の処理法では近年の改正により、ごみの発生抑制(減量化)の手段としてリサイクルが強調されるようになっていますが、ごみ自体は相変わらず「汚物又は不要物」のままです。

そのようななかで、環境庁の基本法案では副産物や廃棄物などを「発生資源」として一体的に把握しようとしていることは、ごみを見る目を大転換するものとして高く評価したいと思うのです。ごみが「汚物又は不要物」として廃棄されるのではなく、資源に転化されるからです。そしてもちろん基本法案で「発生資源」をおく以上、その体系下にある各法での「廃棄物」の定義も当然変更されると期待されるからです。なお、この問題にご関心の強い方は、私のホームページの「今週の主張」や、毎日新聞で連載されている「どうする循環社会を築くために」の本年1月17日、24日、2月7日の紙面もあわせてご覧下さい。