2000年3月号会報 巻頭言「風」より

社会を変えうるか「循環型社会基本法」(2)

加藤 三郎


前回は、本年1月に環境庁から出された循環型社会基本法案についてコメントしました。それから1カ月、この間に注目すべき動きがありました。一つは与党を構成している自自公の各党から法案が出、それは本稿を書いている時点では二つに集約されています。政府・自民党の循環型社会基本法案と、公明・自由党の循環型社会形成推進法案の二法案です。現時点においては、妥協に至っておりませんが、今国会で成立させるためには、3月半ば過ぎに国会に上提する必要があるとのことですので、本誌が皆様のお手元に届く頃には、おそらく一本化された法案が国会に出ていると思います。一方野党も循環社会づくりには大きな関心を示しており、民主党が法案を提出しています。このように循環社会をどうつくるべきかについて各政党がまともに取り組んでいること自体は評価すべきだと思いますが、現在のところでは妥協のゆくえが見えていません。そこで、ここでは私自身の循環社会づくりに必要な条件と思われる点をもう一度強調しておきたいと思います。

(1)循環社会作りの必要条件

第一は、大量生産・大量消費をそのままにして大量リサイクルになってはダメだという点です。持続可能な循環社会をつくるためには、20世紀のパラダイムを意識的に転換する必要があります。そのためには、現在の経済社会の枠組み(市民の意識・価値観はもとより、憲法、税制、法制、予算の配分、行政組織のあり方など)を中・長期的には変えていかねばなりません。この関連では、処理の有料化やデポジット制の導入も有効でしょう。このような努力抜きではいくらもがいても循環社会はできないという点です。

第二は、廃棄物を、今のまま「汚物または不要物」という定義に止めていては循環社会はできないということです。新しい言葉や概念を作らないと循環社会はできないと思います。ちなみに、2月に取りまとめられた環境庁の法案を見ますと、前回は「発生資源」と書いてあった部分を「循環資源」と書き改めてあります。

三点目は、排出者責任を明確にした上で、生産者の回収責務の原則を明らかにしていくことです。工場、事業所、家庭から排出される不要物(循環資源)の処理に要するコストを負担するのは排出者、これが原則です。しかし一方で、家電製品や自動車のように使用後に不要物となったものを分解したり、リサイクルする責任は、この製品の生産プロセスや成分などを最もよく知っている生産者に第一義的に負わせる一方で、受益者である使用者は、それに要する費用をその価格に上乗せされるという形で負担することが重要です。つまり使用者にしてみれば、製品の処理、リサイクルに要するコストを買った時点で先払いするということです。これがこの5年ぐらいの間に国際的に出てきた新しい流れです。

四点目は、リサイクルしたあとの、再生市場(中古市場)を育てることです。現在の日本で、中古市場として確立しているのは、自動車、衣類、本ぐらいではないでしょうか。それ以外は、時々、フリーマーケット(蚤の市)などで売買されることはありますが、市場としては確立しておりません。このままにしておきますと、リサイクルし、再商品化しても、市場がない、働き場がないということで結局元のゴミに戻ってしまいます。これではお金やエネルギーをかけて、ゴミの元を作っているに等しくなってしまいます。

最後の五点目としては、消費者、生活者たる国民がゴミ(処分すべき不要物)問題について正しい理解を持つことが必要です。ゴミと名が付けば、身のまわりから一切排除する。そして処理、リサイクルする仕事や人のことを理解しようともしないのでは、経済や消費生活から出てくる不要物の処理、リサイクルは進みません。一方で、静脈産業に従事する経営者、社員も、新しい技術、次々に変わる法制などに対応する研修を行う必要があります。現在、各種静脈団体が研修を行っていますが、必ずしも十分とはいえません。ある程度公費で補助してもきちっとした研修をし、そして資格を取らせる措置も必要だと思います。

以上、この五つだけでいいというわけではありませんが、これが循環社会作りの基本法が意味を持つための最低の必要条件だと思います。

(2)百家争鳴の法案作りプロセスが面白い

この法案作成過程で従来あまり見られなかった現象が起こっています。それは各政党が法案を提示し、NGO団体も法案を提案したり、活発に政党に働きかけていることです。従来の法律ができるプロセスはどうだったかと、私の経験から振り返ってみると、標準的には次のような流れだったと思います。

①役所内での立案、②審議会等への諮問、検討、答申、③提案省庁の政策案の決定、④関係省庁(内閣法制局を含む)との協議、⑤関係国会議員への根回し、⑥与党内(部会、政務調査会、総務会)手続の完了、⑦次官会議を経て閣議決定、⑧国会へ上提、可決。

しかしこの流れですと、主人公であるべき国民は圧力団体にでも属していない限り、このプロセスからは切り離され、単に見物人になってしまうか、無関心で見過ごすことが多かったわけです。

ところが21世紀に向けて循環社会を作ろうということですので、市民団体もいくつも法案を出すようになり、それも自己満足的に出すのでなく、政党に働きかけ、自分達の主張のたとえ一端でも実現してもらおうと努力するようになってきたわけです。これまでになかった新しいアプローチ、新しいアイディアも立法過程に持ち込まれ、プロセスは賑やかになり、はっきり言って面白くなってきたと思います。

そもそもこれまで政治が国民から遊離したつまらないものであったのは、ほとんど役所主導で、業界と圧力団体以外の国民とは無関係の中で法案が作られ、それが国会で可決され、制度化されることを、あきあきするぐらい見てきたからです。しかし、循環社会作りは国民の参加ぬきにはできない社会です。だからその社会をどう形作るかについて、国民がNGOなどを通じて様々な意見を出すようになったのは極めて健康な事態です。ただ百家争鳴のごとくいろいろなアイディアが出ますと、その間の調整・妥協はかなり困難になり、もしかしたら不毛な結末に終わる部分も多いかと思われます。しかし、国民が政治課程の単なるお客さんではなく、意志ある主体的な参加者となるためには様々な試行錯誤をこれから積み重ねなければならないと思います。

そういう意味で、この循環型社会基本法づくりは、その内容もさることながら法律をつくるプロセスにおいても21世紀に向けて意味のある一歩が踏み出されたのではないかという感を私は強くしているのです。