2000年4月号会報 巻頭言「風」より

環境倫理とソルジェニーツィン

加藤 三郎


70歳をまわった母親と30の半ば過ぎた男、人間らしいコミュニケーションもなく長いこと同じ屋根の下で住んでいること自体が異常なのに、そこに小学生時代に拉致されてきた少女が19歳になるまで誰にも知られず恐怖の中に生かされていたという異様。さらに、その少女救出という重大情報を知っても雪見酒に麻雀をしながら動かなかった県警本部長。この衝撃的なニュースを知って、多くの人が日本の社会もここまで落ちたかという認識を深め、人倫はいずこへと多くの人が思ったに違いない。もとより私もその1人だ。

このような悲しみや怒りのなかにあっても、私には、もう一つの人倫がどうしても念頭を去らない。それは、人と自然との関わりを規定する掟、つまり環境倫理だ。先ほどの新潟での事件が異様であるとすれば、私たちが経済の拡大に狂奔してきたこの20世紀末の風景も異常だ。気象の異常、生態系の異変。化学物質による様々な出来事。その中には、化学物質過敏症といわれるもの、そういうことも含めてまことに深刻だ。自然が人間に様々な形で警告を発しているのだが、その警告が無視されたら、おそらく大きな環境災害となって人間社会に戻ってくるに違いない。そうならないよう、また長期的な人間と自然とのバランスをとる意味で、環境倫理の探求は当会の設立当初からの重要な課題だ。

その環境倫理の中身として、私はかねてからモーゼの十戒や仏教の五戒にならって、下の10項目を提案しているのは、会員の皆様はご存知のことであろう。

循環
(地球の限界のなかで人類社会の持続性の確保)
○地球の環境には限りがあることを常に考えに入れること
○もののいのちを大切にし、「もったいない」という心で生きること
○先祖に感謝し、子孫の活動基盤を維持するよう常に心に留めること
○不要物の再利用や自然への還元を不断に心がけること
共存
(生きものあっての人間の生存及び人と人との共生の自覚)
○地球に生まれ、他の生きものと共に生きる幸せを感謝していること
○どの国の人も、この地球に生を享けた市民として受け入れること
○世界の一部がこければ、やがてどの国もこけることを悟ること
抑制
(貪欲は結局は人間社会を破壊するという自覚)
○貪欲のために地球の環境を損なっては元も子もないと自覚すること
○足るを知り、自然や文化を愛して心豊かに生きること
○量の拡大ではなく、質の充実を求め、尊重すること

この10項目のうち、よく問題になるのは「抑制」である。抑制は上から下への抑圧につながるのでむしろ「自律」、「自立」などの方がよいと何人もの友人から指摘された。

また私のように煩悩多き身で「抑制」を主張するのは僭越だとの声もある。しかし私は2500年前のシャカ(釈尊)の最後の教えとして『仏教聖典』が伝える「教えの要は、心を修めることにある。だから欲をおさえておのれに克つことに努めなくてはならない。身を正し、心を正し、ことばをまことあるものにしなければならない。貪ることをやめ、怒りをなくし、悪を遠ざけ、常に無常を忘れてはならない。」をよすがとして、「抑制」は環境倫理の重要な要素と考え、主張してきた。

そんなさなか、本年3月15日の読売新聞の朝刊で、ロシアの作家ソルジェニーツィン氏(1970年ノーベル文学賞受賞者)の「私の21世紀論」を読んでいたら、抑制の重要さを説くエッセーに出会ったので、ポイントを紹介したい。

「20世紀は、人類のモラルが向上した世紀ではなかった。前例のない規模で虐殺が行われ、文化は極度に衰退し、人間の精神は荒廃した。それを考えれば、21世紀がもっと我々にやさしい世紀になると期待する理由がどこにあろう。

環境破壊は進み、地球の人口は爆発的に増加している。そして、第三世界の大問題がある。」

「深刻化する環境破壊は将来、気候帯を変化させ、真水や耕地に恵まれていた地域でも水と土地の不足を引き起こしかねない。それは、人類の生存を揺るがす新たな紛争を招く可能性がある。つまり、人と人との生き延びるための戦争だ。

こうした事態を回避するには、我々が自らの欲望を制限する必要がある。公の場でも私生活においても、我々はとうの昔に、自制という名の黄金のカギを海の底に落としてしまったので、己に犠牲を強いたり、無欲になることは難しい。しかし、自己抑制は、自由を手にした人間が目指すべきものであり、また、自由を獲得する最も確実な方法だとも言える。」

「気候変動のように、我々を苦しめたり、破滅させてしまうような事象が起こるまで、待っていてはならない。自然環境や他の人間に対して事前に融和的な姿勢をとらなければいけないのだ。

もし、自分の欲求をしっかり制御し、自身の利害を道徳的基準に従わせる術を身につけなければ、人間性の最悪の面がキバをむいて、人類はバラバラに分裂してしまうだろう。」

「いまの人々の目には、自制というものは、まったく受け入れがたい、抑圧的なもの、いや嫌悪を感じさせるものとさえ映るかも知れない。人類はもう何世紀も、自分たちの祖先が必要から自制を学んでいたことに気づかないで育ってきたからだ。我々の祖先は、いまよりはるかに束縛され、希望の少ない状況で生きていたのだ。何にも増して自己抑制が重要だと人類が本当に気づいたのは、ようやく今世紀に入ってからだった。」

ロシアの作家も、このようなことを思っていたのかと、我が意を得た思いをしたのは、私一人ではあるまい。社会を眞に動かす基底にあるのは人々の意識・価値観だ。循環、共存とともに抑制もソルジェニーツィンが言うように黄金のカギになる日が、早く来てほしい。当会の環境倫理部会は今、「食卓から見た環境倫理」に取り組んでいる。会員の皆様もいろいろな形で関心を寄せてほしい。