2000年6月号会報 巻頭言「風」より

三度問う、「景気」はそんなに大切かと

加藤 三郎


私はかつて本欄で「景気」はそんなに大切かと題して二度ほど論じたことがあった(95年9月同年12月)。そのなかで私は、地球環境が危機的様相を呈するなかにあって、その主要な原因をなした20世紀の規模の拡大をひたすら目指す経済活動に変革のメスを加えることもなく、政治家や経済人そしてマスコミまでが「景気」、「景気」とはやし立て一時的な“気付け薬”を与え続けていてよいものかという疑念を表明した。また私は、これまでのやり方を続けたのでは、環境も経済も、つまり自分たちの生活もやがてだめになってしまうことをもういい加減に人々が気づいてしかるべきだとも述べた。

それから約5年。このテーマはいつも私の中にあり、繰り返し反芻し、例えば、環境倫理や憲法を論ずる時にあっても、間接的な形でこれを取り上げてきたつもりである。しかし、森喜朗総理の例の「神の国」発言を巡って、総理自身が首相官邸で語った釈明(5月26日)に接すると、三度、景気はそんなに大切かと問わねばならぬ思いにかられたので、私の思いを率直に述べてみたい。

森首相は、「先般の私の発言につきまして、十分に意を尽くさない表現によりまして、多くの方々に誤解を与えたことを深く反省をいたし、国民の皆様に心からお詫び申し上げます。」とテレビカメラや記者を前に釈明を始め、そのなかで次のように話しておられるのが私の注意をひいた。

「私が一番申し上げたかったことは、少年が相次いで命を軽視するような事件をひき起こしている中で、人の命の大切さへの理解や宗教的な情操を深める教育が大切であるということでございます。人の命は父母からいただいたものに間違いありません。しかし、もっと端的に言えば、神様からいただいたものであり、いただいた命は自分の命としても大切にしなければならないし、同様に人様の命も、あやめてはいけない。そのことを基本にしないといけないということを私は強くお話したわけです。」さらに「私は日本が古い歴史と伝統文化を有し、また豊かな自然に恵まれた国である、日本人はそうしたことを大切にしてきた国民であると思っています。しかし、戦後の経済成長の中で、日本人は物の豊かさに目を奪われて、命を大切にする心や他人に対する思いやりの心や、日本の伝統文化を尊重するという心の大切さに対して、十分意を払ってこなかった面もあると思っております。」と続けられる。

このような話なら、私にもよく理解できるが、その私にとっても問題なのは、記者から「この発言をきっかけに森内閣の支持率は急降下しているが、政治責任をどう考えるか」との質問に答えた森総理の次のような発言である。

「最近の調査で内閣支持率が低下していることについては、今回の発言がその影響を与えていることは率直に私も認めざるを得ないと思っております。今回の発言が誤解を与え様々なご批判をいただいたことは私の責任であり深く反省をいたしております。(中略)私としては支持率については謙虚に受け止めながらも、国家国民のために何が必要であるかを常に第一に考えることが大切であろうと考えております。少年が関与するこうした事件が続発しておりますこと。こうしたことも国民の声に耳を傾けて、真摯に対応していかなければならないことは当然重要なことでありますし、また何よりも小渕前総理が想いを残していかれました景気の回復に、私自身も引き続き万全を尽くしていきたい、このように考えているところです。」ここで私は面喰らった。

森首相は、少年による悲惨な事件の続発を憂慮し、人の命の大切さや情操を深める教育が大切だと力説しておられる。そして戦後の経済成長のなかで、日本人は物の豊かさに目を奪われて、命を大切にする心や他人を思いやる心、日本の伝統文化を尊重する心の大切さに十分意を払ってこなかったとわざわざおっしゃっている。

しかし、記者に支持率の低下をどうするのかときかれると、続発する少年事件に真摯に対応することは当然重要なこととする一方で小渕前首相がやり残した景気の回復に「私自身も万全を尽くしていきたい」とおっしゃる。

私が感じ取った疑問をあえて整理してみれば次のようなことになろうか。

戦後の経済成長のなかで、日本人は物の豊かさに目を奪われて、命を大切にする心、他人に対する思いやり、さらには伝統文化を尊重する心に十分意を払わなかったとの総理の認識と、景気の回復に万全を尽くすという言葉との間には、何が、どんなロジックがあるのだろうか。道中端で逝かれた前任の小渕総理への哀悼のリップサービスなのか、それとも景気を回復して、成長路線に戻しても、戦後の経済成長とは違って、国民が心を見失わない何か秘策でもあるとお考えなのであろうか。それとも少年問題は少年問題、景気回復は景気回復で別問題よと割り切って片づけておられるのであろうか。

最近の悲惨な少年事犯に現れた心の真っ黒な空洞化現象への森総理の憂慮を私は疑わない、いや疑いたくない。また、経済成長の中で汚され傷ついてきた日本の自然や伝統文化に対する総理の関心の深さも信じたい。それなら、どうして、少年問題への対応と同時に、説明もなしに「景気の回復に万全を尽くす」などとおっしゃるのであろうか。こちらが本心で、心の問題や文化などは本当は二の次、三の次なのだろうか。

実は丁度この少し前、私は毎日新聞社の企画で愛知和男議員にインタビューし、次のようなやり取りをしている(6月6日付、毎日新聞)。

加藤:
ところが、いま自民党は景気をよくしなければといっています。
愛知氏:
景気が回復しないのは個人消費が伸びないからだという。個人消費を伸ばすことは、もっと捨ててくれということです。私はそうまでしてまで景気を良くしていいのかと思っています。いまの政策運営には違和感があります。景気はしばらく回復しなくても仕方ない。この際、社会の仕組みを変える。不況で失業者が出たら、その痛みを社会全体で支えていく。そういう政策運営が大事ではないかと思っています。

私は繰り返し述べてきたとおり、環境や心のためなら、経済はどうなってもよいなどとは毛頭も思っていない。経済の一定のレベルや質を維持することは、個人にしても国家にしても不可欠である。しかし、それは今までのやり方で、借金をしながら、景気を一時的に浮揚させればよいということではない。私事になるが、私は公務員時代より年収は減ったが、貧しくなるどころか心と活動の自由を得て豊かになった幸せを日々味わっているだけに、森総理に問いたいのである。環境の悪化はもとより、日本の歴史の中でも稀に見る心の虚ろな漂流や文化の衰退を前にしても、なお「景気」はそんなに大切ですかと。万全を尽くすとおっしゃる景気の回復とはどんな景気なのですかと。