2001年7月号会報 巻頭言「風」より

京都議定書が危ない!

加藤 三郎


去る3月29日、こともあろうにブッシュ大統領が地球温暖化対策のための京都議定書から離脱する旨表明した。理由は、①温暖化の科学は不確か、②中国などの途上国が削減義務を課されていないのは不公平、③温暖化対策が米経済に悪影響を与える、である。会員の皆さまには、この3つの理由が全く根拠がないことは、これまで本誌でも繰り返し温暖化を取り上げてきたのでおわかりいただけると思うが、改めて簡単に私の反論を挙げる。

まず①については、国連の気候変動の専門家(IPCC)だけでも12年の時間をかけ、科学部門では1,000人以上の第1級の科学者が参加して最新の知見をまとめた(本誌01年2月号参照)。ブッシュ大統領自らも、米国の権威あるアカデミー団体に温暖化の科学を問うたのに対し、当アカデミーもIPCCの結論を妥当と表明している(本年6月6日)。

②については、今日の温暖化の原因の8割程度は先進国によるものであり、先進国がまず責務を果たすという原則が国際的に確立されている。その原則づくりに関わったのが、現ブッシュ大統領の父君、元ブッシュ大統領である。

③については、政策如何による。ちなみに日本での40年に及ぶ公害対策の歴史は、対策が経済に悪影響を与えないことを見事に証明している。

京都議定書は日本が議長国となって難航の末にまとめた21世紀の人類社会に向けた極めて重要な外交文書である。日本が米国の主張に同調して批准しないと議定書が実質的に死んでしまう可能性が高い。人類史上画期的なこの文書を日本は自らの手で葬り去ってしまいかねない。その責任は誰がどう取るのであろうか。

日本はEUとの交渉で有利な交渉条件(例えば森林吸収分の増大、排出量取引の制限撤廃など)を獲得しようとするためか、米国寄りの姿勢を小泉首相自らが必要以上に見せているのかもしれないが、これは日本がリーダーシップを発揮する好機を失わせているだけでなく、世界の信頼や希望を傷つけている。この交渉方針を早急に改め、世界の温暖化対策の先頭にたつことが、多くの国民の願いであると私は確信している。

日本のなかには米国が参加しないと、中国などが抜けてしまう、とまことしやかに語って議定書の発効を出来るだけ遅延させようと説得しているグループがいるが、この主張は正しくない。議定書の発効を強く願っているのは、温暖化のインパクトをすでに強く受け始め、またCDM(クリーン開発メカニズム)で資金と技術が先進国からはやく来て欲しいと願っている途上国の筈である。現に、朝日新聞によると、中国もインドも米国抜きでも議定書に参加する旨述べている。

いずれにしても京都議定書は危機的状況にある。7月8日付の毎日新聞の「21世紀の視点」欄に私は「小泉環境外交への失望」と題して次の文章を掲げたが、会員の皆様のためにここに再録する。


小泉環境外交への失望
京都議定書をめぐる日米会談

四月二六日に小泉内閣が成立して以来、聖域なき改革を目指す小泉純一郎首相のリーダーシップは目覚しい。今まで手がつけられなかった道路特定財源の見直しをはじめ、地方交付税の削減、特殊法人の改革など、いずれも勇気ある挑戦であり、応援してきた。

そのような中にあって誠に残念なのが、京都議定書への対応である。小泉首相のこの問題への対応は、比較的最近までは「慎重に検討する」、「粘り強く検討する」と言うばかりで、他の分野での、ひるまず恐れず取り組んでおられる改革姿勢とは対照的に、判然としなかった。

今回ブッシュ大統領と会談した際、京都議定書については、米国と協力し、その「精神」を活かして日・米・EU諸国が一緒に参加できるような打開策を、閣僚級協議の場でぎりぎりまで検討する旨を表明した。なぜ、小泉首相は京都議定書を活かすとは言わず、わざわざ「精神」を活かすと言ったのであろうか。これは、日米が共同で京都議定書の修正案づくりに入ったことを、実質的には意味するのではないか。そうだとしたら、その意味するところは重大である。現実に、発表の翌日、エーブラハム米エネルギー省長官は、これで京都議定書は死文化した旨語ったと報道されている。

京都議定書が危機に瀕している今、改めて、この議定書ができた経緯を思い起こしてみよう。一九八〇年代に入り、地球温暖化の潜在的で重大な脅威が科学的に明らかになるにつれて、国連が動き出した。九年前の「地球サミット」の場で締結された条約に基づき、九七年一二月、百六十を越す国々が京都に集まり、日本が議長国となって、難航の末取りまとめたのが京都議定書である。つまり、北も南もそして米国自身も参加し、十年を越す討議と妥協の結晶である。

京都議定書の意義は、温暖化を原因とする様々な異常気象と、それに伴う人間社会への被害が、今世紀中には未曾有の規模に達しかねないと科学的に警告された中で、地球温暖化の主要な原因を作ってきた先進国が、まず温室効果ガスの排出を削減することに、初めて合意したことである。これは、産業革命以来、急速な右肩上がりできた先進国でのエネルギー消費の削減を意味するものであり、人類史上初めての、画期的な合意とされた。こうして作られた議定書に対して、議長国としての責任と名誉にかけても、京都議定書の内容を発展させるのが日本の役割であろう。

にもかかわらず、日本の誇りも関係者の努力も投げ捨て、ブッシュ氏の横暴な離脱政策に必要以上に理解を示す理由は何であろうか。世界の大国のリーダーに対する敬意もあろう。また、米国が参加しなければ温暖化対策の機能が弱体化することに対する配慮もあろう。しかし私は、日本の中に、京都議定書による温室効果ガスの削減をしたくない、よしんば最終的にしなければならなくなるにしても、それを骨抜きにしておきたいという、一部の業界益や省益を優先する官僚などからのまことしやかな説明があり、小泉首相がその影響を受けているのではないかと心配だ。

ブッシュ氏の京都議定書離脱に対して、米国内でも疑問や反対の声が出ている。伝統的に米国と近い政策ポジションを取ってきたカナダも、米国抜きでも京都議定書を批准しようとしている。それなのに日本政府が京都議定書から離れた修正案を米国と一緒に作る動きをすれば、間もなく始まる国際交渉を混乱に陥れる結果になるのは明らかであり、小泉環境外交に失望を禁じえない。

もし、小泉内閣が地球温暖化対策の一歩前進を求める世界中の人々の願いや日本の誇りを考慮せず、米国やまことしやかな理由を挙げて温暖化対策を骨抜きにしようとする勢力の意向に沿って、京都議定書を見捨てるような結果になるとすれば、他にいくら立派な改革を掲げても、それを相殺してしまうほどの大汚点となろう。どうか小泉首相は、二十一世紀における温暖化の脅威の実態と、今人類社会が何をすべきかをもう一度反芻されて、文字通り、「聖域なき」改革を実証しうる政策判断を明示することを強く要求する。

(毎日新聞7月8日「21世紀の視点」掲載)