2001年8月号会報 巻頭言「風」より

地球温暖化との長い戦い

加藤 三郎


1.京都で生まれ、ボンで蘇生

地球温暖化の潜在的な影響は、20~30年もすれば人間の生活に根こそぎ影響を与えるような事態になりかねない。その重大性を考えると、京都議定書を葬り去ることは許されない、との思いから、言論活動だけでは不十分だと思い、いくつものNGOグループ約500人と一緒になって6月9日に初めて渋谷でファミリーパレードを行った。私にとってデモやパレードを自らが主体となって行ったのはこれが初めてである。それでも、事態が好転しないので危機感を深め、6月27日と7月9日の2回、議員会館や首相官邸前で、さらに、7月19日には銀座の数寄屋橋で、道行く人たちに京都議定書の早期批准などを強く訴える集会を持った。このようなNGOの声が小泉首相や川口環境大臣をはじめとする政府代表団の耳に届くかどうかはわからなかったが、それでも何もしないでただ心配や批判しているよりはとの思いから、街頭に立ち、私達の訴えを道行く人たちに伝えた。

ボンにも気候ネットワークをはじめとするNGOの仲間が出かけて行き、京都議定書の早期決着を強く求めた。その訴えが実ったのかどうかは定かでないが、7月23日、京都議定書の具体的なルールの大筋が決着した。それに先立つ、ジェノバの先進国首脳会議(G8)でもこの問題が大きな争点の一つになったものの、アメリカやEUとの溝は埋まらないままボンに持ち越されたため、ボンの会議が成功するか極めて微妙な状況にあった。私自身も最終日はどうにも気になり、インターネットを通じてボンでのEUの記者会見と全体会議の様子を音声を交えて見ていた。難産の末の政治的な合意で、会場にいる関係者は安堵の色につつまれていたが、それをインターネット越しに見ていた私もほっとした。

京都議定書は文字通り、京都で生まれ、産後の日だちは順調ではなかったが、約四年後にボンで蘇生したことになる。この蘇生に導いたのは、直接的には京都議定書交渉団であろうが、その背後に温暖化をなんとか制御してほしいと願う無数の人の熱い思い、さらに温暖化についてこの十数年にわたって科学的知見を提供しつづけている専門家集団がいる。いずれにせよ、京都議定書が死文化せずに蘇生したことは、おそらく人類史に大きな変更をもたらした外交文書としてその難産ぶりとともに、永久に京都議定書の名が語り伝えられていくであろう。

2.日本の交渉姿勢は大いに疑問

このボンの会議が難航した直接の理由は、日本のマスコミも、現地に行ったNGOも口をそろえて、日本政府が次々と難題を持ち出したことにあると伝えている。最後の段階では日本も合意のために努力をしたとは思うが、ただブッシュの突然の離脱表明以来、日本の政府がとった交渉姿勢には私は大いなる疑問を禁じえない。

前号にも書いたように、ブッシュ大統領の京都議定書に対する対応は極めて一方的で身勝手である。最初の段階で、その翻意を促し、京都議定書のプロセスに復帰するよう説得することは重要だし、それにエネルギーと時間をとったこと自体は正しかったと思う。しかし、問題は、アメリカの京都議定書離脱は思いつきではなく、堅い政治判断に基づくものであることが明確になって以降の対応である。日本は、京都議定書を米国抜きでも発効させるのを辞さないことを明確にした上で、ジェノバの先進国首脳会議やボンの会議に臨むべきだったと、私は今でも考えている。

もちろん、いかなる時点でも、最大の温室効果ガス排出国であるアメリカと関係を保ち、必要ならば共同研究なり共同の技術開発なりをすることは重要である。しかし、そのこととアメリカが明確に拒否している京都議定書を、その産みの親ともいうべき日本がどう活かしていくかは別問題である。現に、ブッシュ大統領は7月17日、ジェノバでの主要報道機関との会見のなかで、「私は世界中の首脳者に申し上げているが、温暖化防止という目標については米国は強く支持している。違いがあるのは方法論だ。この問題は科学的な根拠に基づいた解決が必要だ」と明確に述べている。

従って、ヨーロッパ諸国は、若干のニュアンスの差はあっても、京都議定書についてはアメリカと同一歩調をとらず、まず、京都議定書を発効させながら、アメリカのさまざまな形での参加を促がすというやり方をとった。ところが、小泉首相はボン会議が合意に達した直後の談話でも、「米国を含めた合意が形成されるよう日米ハイレベル協議などを通じ、米国の建設的対応を求める」とだけ述べて、米国抜きでも批准するかどうかについては言及しなかった。

もう一つの問題は、京都議定書を発効するためには日本の参加が不可欠であるという交渉上有利なポジションを徹底的に利用して、日本は京都議定書のルールの骨抜き化といっても過言でない交渉姿勢をとりつづけたことである。これは、新聞でも伝えられたように、森林による吸収や議定書の目標を達成出来なかった際の罰則規定などについて、日本が強圧的ともいえる交渉姿勢をとったことが問題になった。それは現地にいるNGOから連日強い批判を招いただけでなく、政府に近い関係者からですら、日本の交渉姿勢は世界の先頭にたって環境対策をすすめる国であって欲しいという多くの国民のねがいとは全く裏腹の交渉ゲームを展開しているという失望が伝えられた。私は、日本は一体なにでもって世界に貢献しうるのか、何が日本にとって重要なのかを改めて国民レベルで議論し直し、今後のさまざまな環境交渉における交渉姿勢を正していかなくてはならないと感じた。

3.まずは批准を

京都議定書は地球温暖化との戦いのうち第一歩にしかすぎない。何度も本欄で述べているように、温暖化は今世紀中の問題だけではなく、来世紀にもさらに延長されていく息の長い戦いである。一方、地球温暖化の原因をなす経済活動はまさに人間の生活に関わるだけに、簡単にやめたり縮小したり出来ない難しい問題である。従って、温暖化とはこれから長い長い付き合いになることを覚悟し、その認識のもとで長期的な戦略をとる必要がある。

それにしても、よほどのことがない限り京都議定書のルールは、本年秋に開催されるCOP7で最終的に文書化され、日本も含む多くの国で批准され、来年中には発効するだろう。小泉首相も米国抜きでも国会に批准を求める決意を早く固めていただきたい。   

4.温暖化に合ったシステムの構築を

地球温暖化が一過性のものでなく長い付き合いになるとすれば、それにあった体制を地球レベルで確立していかなければならない。まずはこの日本で、温暖化のスピードを少しでも緩めるための対策を強化することである。さらに言えば、温暖化がすすむことを前提としたシステムを構築しなければならない。それがどんなものになるかについては、これからも繰り返し述べていくことになろうと思うが、いずれにしても化石燃料に対する税の導入、技術開発の促進などすべてにわたって新しい知恵を導入し、城の石垣のようにひとつひとつ築いていかなければならない。

ただ、この構築作業が必ずしも辛いものや負担が多いものだと考える必要はない。むしろ新しい時代、新しい経済、新しいライフスタイルをつくっていくという夢や期待を抱いてもらっていいし、そのことは政策さえ宜しきを得れば可能だと私は信じている。