2001年10月号会報 巻頭言「風」より

瞬時の危機、緩慢な危機

加藤 三郎


私たちスタッフ全員が、9月15日開催の全国交流大会の準備に追われていた最中の9月11日、ニューヨークやワシントンで、ブッシュ大統領が「21世紀の新しい戦争」と呼ぶ出来事が起こった。それ以来、連日、ニューヨークにそびえ立つアメリカの富と繁栄の象徴と言われる貿易センタービルに、2機の旅客機がまるで吸い込まれるように飛び込み爆発炎上し、やがて2棟の超高層ビルが瓦礫となって崩壊していく様を繰り返し見てきた。仕事柄、国内でもよく飛行機を使い、また今回アメリカの舞台となった都市に、しばしば出向くものの一人として、一連の報道から目が離せないでいる。あらゆるテロは、卑劣で人道に背くものであり、いずれも厳しく罰せられねばならない。特に、今回の同時多発テロは、民間航空機の乗客を道づれに、航空機を武器として、高層ビルや国防省の建物に突っ込み、関係のない超多数の一般の人を巻き添えにしてしまった。死者の数は6,000人前後となる未曾有の出来事であり、損害は計り知れない。このテロを実行した人、支援した組織は、厳しく罰せられねばならないことは言うまでもない。ただ、それだけでは足りないものが私の心に残り、それが軍事的な報復によりますます嵩じてくる。

軍事的報復だけでテロは失くなるか

ブッシュ大統領はじめ米、英政府の高官達は、着々と軍事報復の準備をすすめていたが、本稿執筆中の10月8日夜、ついに軍事行動に踏み切った。テロを根絶するため、アフガニスタンとその周辺で大規模な軍事行動を長期に実施するとなると、これまでの戦争でも見られたように多数の民間人にも被害が及ぶことが考えられ、報復がまた新たな報復やテロを呼ぶのではないかという疑念を拭い得ない。私の理解する限り、テロの要因や誘因には、大きくいって二つある。一つは、貧富の差に根ざしたもの。もう一つは、宗教や民族間の紛争に根ざしたものである。今回が、そのどれにあたるか、あるいはその両方を含むものか、現時点では何とも言えないが、仮に、イスラム原理主義対西洋型の物質文明の戦いといった様相があるのなら、その背景には、貧富の極端な差があることは、なんとも打ち消しがたいことと思われる。

人類社会では2割にも満たない10億程度の人が多くの富を享受している。消費だけみても、先進国で8割を越える消費を占める一方、人類の約35%の貧困層の消費は、人類全体の消費のわずか2%であるという。そういうなかで、栄養不良で苦しむ人が8億人を越え、安全な飲み水さえ手に入らない人が17億人もいる。

先進国と途上国との間には、健康の状態、寿命の面でも大きな格差が出ている。20世紀の間に、この格差が縮小したというのならまだしも、差がますます拡大し、貧困にのたうち回る人たちにとっては、絶望的な思いをして生きているであろう。これがテロの直接の原因になるわけではないだろうが、卑劣なテロを許容する雰囲気にはなり、実際今回のアメリカに対するテロを拍手喝采して迎えたイスラム世界の貧しい人々の姿が、テレビに映し出されてもいる。

やはり人間の社会を安全にするためには、軍事的な報復や圧力で押さえつけるだけではどうしても足りず、その要因や誘因となっている貧富の差を少しでも少なくする努力を、特にアメリカをはじめとする先進国側が、積極的にとらないとどうにもならないと思う。

テロの誘因は貧富の差だけではなく、人種や宗教に根ざし歴史的にも政治的にも深い亀裂から派生することも我々は見てきている。南アジアや中近東よりは、はるかに豊かなヨーロッパのバルカン半島で起こり、今も尚、くすぶり続けている民族間、宗教間の戦いなどは富の差(多少の差はあるであろうが)だけではとても説明出来ない、人の心の闇の深さを示している。今回のアメリカのテロで、狂信的なイスラム原理主義がターゲットになっているが、イスラム教自体に帰依する人の数は世界中で13億人にのぼるという。21世紀の世界で、人々がより安全に、より平安に過ごすためには、好むと好まざるとに関わらず、宗教や人種を超えて多様性を尊重する知恵と寛容さを持たなければならないことを今回の悲劇から学ぶべきであろう。

瞬時の危機と緩慢な危機

今回の出来事を見ていると、政治もメディアも人々もテロに爆破されたビルのような、瞬時に発生した危機に対しては、極めて迅速に反応する。テロの規模や卑劣さからすれば当然であり、この迅速な反応が出来なければ、政治機構としては失格となる。この種の危機をもたらすものは、テロだけではなく、地震、噴火などの自然災害、あるいは洪水、火災といった人災も含まれるが、このように危機が誰の目にも明白に見えるときには、対応は迅速となる。

それに対し、貧富の差の拡大や地球温暖化、オゾン層の破壊、生物種の減少、化学物質による汚染といったような危機に対しては、多くの人の目には緩慢な変化と映るので、危機としての認識すらなかなか出来ない。そのインパクトは、総量においては瞬時の危機をはるかに上回るにもかかわらず、この種の危機には緩慢な対応しか出来ず、しかもメディアや国民の支持も足りないため、その対応も徹底を欠く。例えば、地球温暖化の危機一つとっても、おそらく20~30年のうちに、一地域や一都市でなく、地球上のあらゆる地域に重大な影響が出ようとしているにもかかわらず、その危機の進行は緩慢に映るためか、対応の程度も小出しで遅過ぎる。地球温暖化その他の環境問題に対してかける時間や方法は今回のテロのような瞬時のものとは違っても、今から瞬時の危機の場合と同等ないしは凌駕する戦略的対応をしなければ、その結末は取り返しのつかない重大な結果となることを私は恐れる。

米国よ、国際協調はやはり必要

ブッシュ大統領は軍隊を導入するにあたって、国際社会、特にロシア、イギリス、フランス、中国、パキスタン、インドなど関係の深い国々に国際協調と支持を強力に呼びかけ、極めて精力的な外交活動を展開している。私は、今回のテロの規模の大きさ、意味の重大性などあらゆる点から見て、国際的な支持をとりつけ、理解と協力のもとで、この憎むべき犯罪者組織を罰しようとすることに何の異論もない。

だが、そのブッシュ米大統領が、就任以来、京都議定書のみならず、核実験禁止、小型武器の規制、人種差別反対など、国際的に長年にわたって積み上げてきた協調努力に、次々と背を向けてきたことに失望させられてきた者としては、今回の外交上の動きは何とも納得がいかない。ブッシュ大統領は、このテロはアメリカにのみ向けられたのではなく、自由と民主主義とに対する卑劣な挑戦であるので、国際的な団結と協調とでこれと戦うとおっしゃる。しかし貧困問題も地球環境問題も、また武器の規制も人種差別反対も、人類全体の現在と未来にかかわる重大な課題であり、それとの戦いもまた、アメリカを含め全ての国の責務ではないか。

これを機にブッシュ米政権が、人類社会が抱える重要課題への戦いに、世界のリーダーとして一刻も早く戻って欲しいと願わずにはいられない。何故ならニューヨークやワシントンなどで失われた罪なき人々をも上回る、多数の人の生命と福祉がかかっているからである。アメリカのもつ力、富、英知、科学力、技術力、そういったものすべてを人類社会の持続性確保のために使っていただきたいと強く願う。今回のことが一つの契機になって、アメリカが京都議定書をはじめとする国際協調体制に、一刻も早く戻ってくるのなら、今回の悲劇は、一つの重要な方向転換と希望をもたらした歴史的出来事としても記憶されるであろう。10月末から開催される予定の京都議定書を批准させるための会議(COP7)がその最初の試金石となろう。