2002年8月号会報 巻頭言「風」より

持続可能な社会に向けた環境教育・環境学習推進法を

藤村 コノヱ


1.盛況だったシンポジウム

7月20日の「環境教育・環境学習推進法をつくろう!シンポジウム」は、梅雨明けの暑い、暑い休日にもかかわらず、市民、NGO、学校関係者、自治体職員、企業関係者、そして国会議員・地方議員など、環境教育・学習(以下「環境教育」)に熱い熱い思いを抱く約170名の方が参加してくださり、当会始まって以来の盛況な催しとなった。

当日はまず、現場で環境教育を実践している環境教育部会(以下「部会」)メンバーが現状や課題について話題提供をした後、提案理由や骨子案を説明し、引き続き全体討議を行った。その内容は本号に掲載しているのでご覧いただきたいが、参加者からは、「この熱気を絶やさないように」というような多くのコメントを頂くなど、立法化に向けた有意義なシンポジウムであった。

2.なぜ法律なのか

ところで、本来は自発的に行われるべき環境教育をなぜ立法化しようとするのかという疑問を持たれる方も多いと思う。実際部会内でも、法律で縛るのはどうかという意見があったし、そもそも環境教育はNGOが主体的に担う分野であり、行政主導になってしまうことに対する迷いもあった。しかし、それでも法律にしなければダメだと考えたのには、いくつかのわけがある。

一つには、益々深刻化する地球環境問題をくい止めるには、そのベースになる環境教育を確実に推進しなければ、という危機感からである。10年前の地球サミット、そして環境基本法が制定されて以降、確かに環境教育への取組はかなり進んできた。そして、実際どこに行っても「環境教育が大切だ」という声を聞くようになった。しかし、その内容はと言えば、10年前と余り変わらず、持続可能な社会づくりに向けた内容とはほど遠いものも多い。以前にこの会報にも書いたが、私たちは持続可能な循環社会とは、「環境」「経済」「人間・社会」のバランスが取れた社会であり、環境教育はこうした社会を実現するための有効な手段だと考えている。

しかし、実際には、例えば行政でも、温暖化は温暖化、廃棄物は廃棄物、環境教育は環境教育といった具合に縦割りで行われており、環境教育は持続可能な循環社会づくりのベース、という認識が薄い担当者も結構いる。そのため、環境教育という名のもと実際行われている内容は、自然体験や環境問題に関する知識伝達型のものが多いことも事実である。自然体験や環境問題について知ることは環境教育の原点であり、そのこと自体に異論はない。しかし、どんなに知識を持とうと、どんなに自然体験を積もうと、それらの知識や体験が実際の日常生活やものの考え方、さらには社会・経済活動の中で活かされるものでなければ充分とはいえない。そうした意味で、現状の環境教育はあまりに視野が狭く、これを持続可能な社会づくりの視点から拡大しなければならないと思ったからである。

二つ目は、その対象の狭さである。環境教育というと、子供に、と考えている人が結構多いが、この持続不可能な現代社会を築いたのは大人であり、大人こそが変わらなければ、地球環境の急激な悪化に間に合わない。大人は好き勝手なことを続け、子供ばかりに期待するのは大人の身勝手としか言いようがない。そうした意味で、子供だけでなく、すべての大人が環境教育を行う仕組みが必要だと考えたのである。

さらに三つ目に、自発性だけでは、組織的かつ継続的な取組は困難と判断したことによる。

総合的な学習の導入を契機に、学校での環境教育には弾みがついたように見えるが、実際には、教師自身が環境教育を行うのに十分な知識や能力を持っていない、カリキュラムに入っていない、教材がないなど、極めて基盤不備の中でのスタートである。また、市民に対する環境教育も予算が取れればやるが、そうでなければやらないといった具合に、組織的継続的な取組は甚だ弱体である。勿論ここでも専門的な知識やテクニックを持った職員が配置されている場合は極めて少ない。企業に関して言えば、事業活動に関連する研修はやるが、それ以上のことはやる余裕がないし、やる必要性がどこにある、と言われることが多い。このように、やってもやらなくても良い状況では、組織的かつ継続的な取組は困難であり、多くの人の環境意識を高め、ひいては価値観や暮らし方、社会経済のあり方までも変えようなどということは不可能に近い。残念ながら、自発性に乏しい国民性や法律がなければ動かない行政・企業の実態を考えると、やはり法律を作ってある程度定着させるしかないと考えたのである(ただし、私たちが提案したのは学ぶ仕組みを作ることであり、中身はこれから皆で議論し作り上げていけば、上からの押し付け的なものにはならないと考えている)。

以前に加藤代表が、「対策の速度をはるかに超える勢いで、地球環境の悪化は進んでいる」と書いたが、地球環境がますます悪化している状況から見て、環境教育についても、これまでの内容や進め方では不充分であったことを認め、すべての人に、「持続可能な社会に向けた環境教育・学習」を早急に進めることが必要だと思う。

3.立法化に期待するもう一つの理由

以上が骨子案提案の直接的な理由だが、間接的にはもう一つ理由がある。以前会報にも書いたが、私自身「環境教育・学習は有限な地球環境の中での人としての生き方や社会の有り様を学ぶこと」と考えており、これを普及させることは、単に環境問題の解決だけでなく、現在の日本社会に蔓延する様々な人間・社会の問題を解決する糸口にもなるという期待があるからだ。

例えば青少年の問題である。文部科学白書によると、学校内における暴力行為発生件数は平成5年には約5千件だったが、平成12年度は3万5千件に急増。不登校児童数も中学生の場合、平成12年度で38人に1人の割合でいる。その他、凶悪犯罪や自殺の低年齢化、引きこもり等々問題は後を絶たない。又、幼児虐待、離婚の増加など、家庭機能の崩壊も続いており、青少年の健全な発育に少なからず影響を及ぼしている。

先日も、二十数年小学校教師をしている友人と話したが、本当に危機的状況にあるという。例えば、漢字を覚えさせるのに、前日これこれをテストすると予告し、当日の朝そして授業中にも書かせ、そして放課後テストをするのだそうだが、それでも三分の一の児童しか書けないという。「教員になってこれほど教材研究をしたのも初めてだけど、これほど出来ない子供も初めてよ」と嘆く。確かに一見熱心に人の話を聞いているように見えて、全く内容を理解していない若者が増えたと話すと、「理解力がないどころじゃない。本当にバカなんだと思う。環境ホルモンの脳への影響もあるし、そもそも親がなっちゃいない。そういう若者が世の中に出る時代になったのよ」と続けた。

こうした危機的状況にもかかわらず、政府が言う教育改革やゆとりの教育からは、危機感が感じられない。というより、その根本原因が、環境問題同様、物質的豊かさを求めた私たちの価値観や経済至上の社会のしくみにあること、さらには生存基盤である環境が危機的状況にあるという現状認識があまりにもなさ過ぎる。

問題は子供だけではない。大人の社会もここで改めて書くまでもなく、本当に危機的である。

こうした様々な状況を根本的に見直し、建て直すためにも、環境は勿論、人間・社会的視点も含む幅広い内容の環境教育、まさに、人としての生き方や社会の有り様を学ぶことが、今一番重要なのではなかろうか。

4.今後の展開について

以上のようなことで骨子案を提出したが、法律を作るのはそう簡単ではない。それに、立法化を進めるには、骨子案をさらに充実させる活動や国会議員はじめ地方議員に働きかける活動、多くの市民に支援してもらうための広報活動も必要であろう。そういうことを考え、当会の活動に留めるのではなく、実行委員会形式をとり、関心のある個人・団体にも参加してもらうことにした。ぜひ、会員の皆さんにも、立法化活動の趣旨をご理解の上、実行委員または支援者になって頂き、多様な形で後押ししていただきたいと願っています。