2003年3月号会報 巻頭言「風」より

風が吹けば・・・

加 藤 三 郎


「風が吹けば桶屋が儲かる」という話があります。これは、「風が吹く」ということと「桶屋が儲かる」という関連性のないことを面白おかしく結びつけ、なるほどと納得させる話です。これをまねたわけでもありませんが、最近私は、「京都議定書が発効すれば、ニュービジネスが栄える」と言って回っています。

すでに日本でもいろいろな企業が京都議定書の発効を見越して、環境ビジネスを展開しつつあります。なかでも自動車業界などは、随分前から従来の車に比べて燃費が倍近く向上するハイブリット車を販売しており、また最近では、究極の低公害車とさえ言われる燃料電池車をマーケットにのせ始めています。従って、私の話は新味や意外性、あるいは面白味には欠けますが、それでも私は大真面目です。ニュービジネスは多方面に出てきていますが、私は特に次の3つに注目しています。

(1)ESCO(エスコ)

ESCOとは、"エネルギーサービスカンパニー"の略であって、省エネ専門会社のこと。具体的には、省エネ方法の発掘、コンサルティングから、計画立案、設計施行、システムの保守、運転管理、効果のモニタリング、検証、さらに事業資金の調達などを一貫して行うサービス事業です。何故これがビジネスになるかといえば、京都議定書上のCO2などの法的責務は6%削減ですが、過去10年間で、民生部門のうち家庭からのCO2排出量は20.4%、同業務系から22.1%の増加をしています。京都議定書を達成するためには、交通部門とともに、この民生部門をいかに削減するかが最大のカギ。つまり、この部門でかなりの省エネを達成するのに必要な技術、ノウハウが必要であり、そのサービスを提供できる会社があれば、これから先、ビジネスチャンスは非常に増えるというわけです。

ESCO業者は顧客に対して、一定の省エネ効果、つまり経費の削減を保証し、効果の一部を報酬として受け取るしくみです。また逆に、もしも削減効果の未到達分が出ても、それをESCO業者が補填する契約を結ぶと、顧客は最小リスクでコストダウンと省エネを実現出来る仕組みです。ESCO推進協議会によると、産業部門と民生部門を合わせたESCO事業の受注額は、2000年度には264億円、2001年度には667億円と急増し、2002年度には、1,000億円を突破すると見込まれているとのことです。このように、京都議定書の目標の達成が困難であればあるほど、政府も自治体も企業もESCO事業者のノウハウに頼る面が出てくる、つまりはビジネスチャンスが増えるわけです。

ただし、ESCO事業者が受取る金額は、相手が家庭の場合、そう大きくはありません。しかも数が膨大ですので、手間がかかります。私は、この場合は民間企業では採算がとりにくく、地域密着型のNPOが活躍する場(エコ・マネーを活用することも含めて)が増えるのではないかと思っています。

(2)排出量取引

排出量取引も、京都議定書のもとで位置付られた削減義務を履行するための一つの手法です。どういうことかというと、A社にとっては1トンのCO2を削減するのに、仮に3万円かかるとします。それがB社だと、1万円で済むとすると、A社にとっては自分が必要量を削減するよりも、B社に下げてもらう方がコストが安くなります。この単純な例が示すように、社会全体としても最小コストで目的を達成するために排出量の売買取引を可能とするマーケットが出現するのです。  ただし、京都議定書は現時点では発効しておりませんので、取引が正式に始まったわけではありません。日本では、商社や電力会社などが参加した模擬実験が繰り返されておりますし、また環境省と三重県が似たような取引実験をしたと伝えられています。京都議定書が発効すれば、特に大量の温室効果ガスを出す企業には具体的な削減義務量が導入されるに違いないと思います。そうなれば、経済原則に基いた排出量取引が企業間で発生し、排出量取引に必要なさまざまなノウハウを持った専門家や企業、さらにそれに関連する新しいビジネスが沢山出てくる筈です。

この排出量取引は国内だけでなく、むしろ国際的な取引にも使われますので、現在のニューヨークの証券取引所や東京証券取引所のようなグローバルなマーケットがCO2など温室効果ガスの排出取引のために登場することになるでしょう。これは架空の話ではなくて、すでにイギリスはそのことを見込んでロンドン・シティを国際的な取引のセンターにすべく国内法にて一歩先んじて動いているのは、01年11月号の本欄で触れた通りです。

(3)バイオマス産業

昨年末に政府が取りまとめた「バイオマス・ニッポン総合戦略」によると、バイオマスとは「再生可能な生物由来の有機性資源(化石燃料を除く)」となっています。つまり、バイオマスとは、地球に降り注ぐ太陽のエネルギーを使って、無機物である水と二酸化炭素から生物が光合成によって生成した有機物であり、持続的に再生可能な資源であると説明されています。

実はバイオマスは、日本では古くから極めてよく使っていたものです。薪や炭であり、人間や動物の排泄物を利用した堆肥であったり、さらには、私たちの食べ物の残り滓といったものが代表例です。少なくとも半世紀ぐらい前の日本は、こういった有機資源をほとんど残さず有効活用して、循環社会を築き上げていたことはよくご存知の通りです。私自身も中学生の頃の日課の一つが、食事や暖房用の薪を鉞で割ってつくることでした。ですから、バイオマスなどというカタカナ文字を使わなくても、私にとって極めてなじみのあるエネルギー源でありました。

そのバイオマスが今様々に注目され出したのは、京都議定書のCO2削減目標を達成する上で不可欠、とまで言われるようになってきたからです。植物はCO2を吸収し、自らの体をつくりますが、その体自体もエネルギーを持っているので、そのエネルギーを利用する分だけ化石燃料を減らすことができます。

それだけでなく、先述した燃料電池車への水素供給源としてもさまざまな形で利用することが出来ます。今、技術者は、バイオマスからメタン発酵へ、メタンから水素へといかに効率的に転換するかを巡って技術の最前線では熱く燃え、凌ぎを削る競争がすでに猛烈に始まっています。

バイオマスにはこのような利用の仕方だけでなく石油化学の場合と同じように、原料として様々な化学物質、薬品までも抽出できます。従ってバイオマスには単に廃棄物の再生利用といった面だけでなく、新しい技術、新しい産業、新しい製品の獲得が可能であり、やがてバイオマス産業として大きく花開いていくはずです。

日本の産業界のなかには、京都議定書を経済にとって重荷と感じ、出来ればその責務から外れたいと抜け穴探しや抜け穴づくりに励む人も今でもいるようです。しかしこのような試みは、日本社会の再生や技術の進展を遅らせる誤った選択と思わざるを得ません。京都議定書の発効こそ、国際競争力が低下したと散々に言われている日本社会が地球温暖化時代にあっても活路をひらく飛躍台となるに違いないからです。

そのようなことを私に考えさせてくれる「風が吹けば桶屋が儲かる」という話は、なかなか味のある話だと思い起こしております。