2003年11月号会報 巻頭言「風」より

食と環境を考える

加藤 三郎


今年の夏は日本においても世界においても異常な天候になった。特に東日本においては10年ぶりの冷夏となり、米作にも深刻な影響を及ぼし、特に東北地方では大幅な減収となって、おいしい新米不足の事態が発生している。そのせいもあってか今年は収穫した米だけでなく、収穫直前の田に生えている米を刈り取って盗んでいくとか、これまで聞いたこともないような米泥棒話が続いて驚かされた。農作物の不作は日本だけの出来事ではなく、お隣の中国では異常高温や干ばつによって穀物が大幅な不作になったと報じられている。

また今年は別の意味でも農作物が大きな論点となった年であった。WTO(世界貿易機関)の会議においても農作物の輸出入問題で、先進国と途上国との間で意見の差がついに縮まらず決裂した。また、FTA(自由貿易協定)をメキシコと結ぼうとしたときも豚肉の生産価格差が障害となって、破談となってしまった。つまり自動車、テレビ、携帯電話のような工業製品と並んで、食料を自由貿易体制に引きずり込もうとする勢力と、そうされたら食料主権が決定的におかされてしまう国との間で、激しいつばぜり合いが演じられ、ついに破綻に至るという注目すべき年でもあった。そんなこともあって、食と環境問題を改めて考えてみたいと思う。

古くからの会員さんはご記憶かと思うが、当会に環境倫理部会があって、98年夏からは、環境倫理の実践編として、「食卓から考える環境倫理」を取り上げた。30数回にわたり、約3年近く検討したが、その中で、飽食と食べ残しの無駄の問題、食品の安全性の問題、食料の大量輸入と環境の問題、農産物貿易の自由化と国内産業衰退の問題、子供の欠食・個食・偏食の問題など、食と環境とめぐる問題をさまざまな観点から取り上げた。その成果は2年前に『食卓から考える環境倫理―日本の食卓を取り戻す―』というタイトルで環文ブックレットに取りまとめた。この本の作成には、本会ではおなじみの小林節子さん、小林料さん、荒田鉄二さん、山辺潔さん、それに私と藤村コノヱさんが直接執筆にたずさわった他、議論に参加した主なメンバーとしては奥田四郎さん、川原啓佑さん、新谷昇さん、木俣美樹男さんなどがいた。

本稿を書くに当たって、久しぶりに取り上げてみたら、まことに力作であり、よくぞ書いてくれたとその内容の充実さに驚いた。食と環境問題に関心のある人には是非見てもらいたいと思う。この紙面で、その内容を語ることはできないのが残念であるが、「提言」に、当時議論したメンバーの気持ちが凝縮されている。それは①洋食から和食へ②地産地消③男性の家庭参加④働き方を変える⑤「食」に関する教育の実施⑥食料主権の確立⑦加工食品原料の産地の表示⑧新規就農者支援の8つである。

ここでは、私自身は、次の2つを特に強調したい。その第一は、日本の食料自給率が危険なぐらいに低いことである。人によっては、生産コストの高い日本で、農業なんてやることはない、食物は外国から買ってきたほうがよい、と極言する人もいまだにいる。商工業に従事している人にこの意見が多い。しかし、世界人口の増加は止まっておらず、しかも、世界全体の耕地面積は先進国・途上国を問わず、都市化・工業化の進展によって減少局面に入っている。その上に、たとえば途上国の比較的裕福な層(約10億人はいる)は、好んで肉食を増やしている。穀物を家畜に食べさせてその家畜の肉を多食するようになると、人が食べる穀物の量はその分減少する。加えて温暖化に伴う異常な気象現象や、オゾン層の破壊などによる生態系の劣化が進んでいるので、食糧生産の基盤は、加速的に悪化していることが懸念されている。日本はまだ財力があるとはいえ、食料の輸入に頼っているのはきわめて危険な状態だと言わざるを得ない。

2点目は、今の問題と関係があるが、やはり食は単純な市場経済には馴染まない、と思う。人は1日3回食べなければ生きられない。水・空気と並んで、食物は人が人として生きていく最も基本的な材料である。食の確保こそ最も基本的な人権だ。それを他の工業製品と同じように、市場経済のメカニズムに任せておいていいのだろうか。たとえば、日本の米作のコストがアメリカでの10倍だからといって、日本での米つくりは意味がない、アメリカの米を買えばいい、となるだろうか。メキシコともめた豚肉にしても、メキシコで作ったほうが、日本で作るよりもはるかにコストが安いからといって、日本の豚飼育をやめていいのであろうか。それは最も基本的な人権を放棄することに等しいと私は思う。

しかも、食の元は工場で作るわけではない。きれいな空気、水、土地、太陽の光や温湿度があって初めてできるわけで、食を守ることは環境を守ることだ。環境や食料の価値は、市場経済にすべて任せてはいけない。そういう意味で、WTOが決裂したのも私には理解できる。グローバリゼーションの名の下に、安い農産物を途上国や高コストにならざるを得ない日本のような国に押し付けるのは納得いかない。人間の生存に本質的に不可欠な食や環境は、単純な市場経済に馴染まないということを再度強調しておきたい。