2004年5月号会報 巻頭言「風」より

揺れるアメリカの地球温暖化対応

加藤 三郎


最近のアメリカの政治は、ほとんど全てが今年11月に行われる大統領選挙に向かっているように思われる。イラク戦争とその収拾策、財政大赤字のなかでの大幅減税、イスラエル寄りの中東政策、どれを見ても焦点は大統領選に当てているようだ。そんな中で温暖化政策について報道されることは少ないが、今アメリカで起こっていることは興味深い。

◆京都議定書を拒否しつづけるブッシュ政権

ブッシュ大統領は、就任するとすぐに京都議定書を拒否した。その理由として、科学的根拠が十分でない、アメリカ経済に大きな影響を与えるなどが挙げられたが、大統領選挙で争った民主党アル・ゴア氏が京都議定書を強力に推進したのでそれへの反発との見方もあった。

ブッシュ政権が3年あまりすぎた今でも政権の京都議定書拒否は続いている。最近は国連の温暖化条約事務局に対する拠出金においても京都がらみの話には非常に冷たいという。ただ、さすがに温暖化防止対策を全く無視しているわけではない。ブッシュ政権は「水素社会」を作るためと称し燃料電池などの技術開発にはお金をつぎ込んでいる。

◆ 政権とは異なる自治体や民間の動き

このようにブッシュ政権では消極面が目立つ温暖化対策だが、アメリカ社会全体がそうかといえば、そうではない。むしろアメリカの自治体の中には日本顔負けの温暖化対策を真剣にとっている州も目立つ。例えば、カリフォルニア州は自動車排ガス中のCO2も規制対象にしており、この規制を06年から実施する予定とのこと。

マサチューセッツ州などでは、発電所からのCO2も規制をしようとしている。これなどは日本に無い進んだ対策を州レベルがとっている好例だ。私も少し驚いたのは、昨年の暮れ、カリフォルニア州、ニューヨーク州、マサチューセッツ州、オレゴン州、バーモンド州、ワシントン州など12の州知知事がアメリカ政府の環境保護庁(EPA)の政策に反対し、訴訟に踏み切ったことだ。

それは日本の大気汚染防止法に相当する大気浄化法ではCO2などの温暖化ガスを規制する権限がない、としたEPAの判断に対して、それはおかしいと提訴したもの。この裁判の結末がどうなるかは未だ分からないが、このことが示すのは、ブッシュ政権の温暖化防止政策に真っ向から反対している州があるということである。

ブッシュ政権が温暖化に熱心ではないのでアメリカの企業は皆喜んでいるかといえばそんなことはない。企業の中には、政府が温暖化対策を進めなければ、ヨーロッパや日本の企業との技術競争において差がつくことを心配し、自主規制に乗り出しているところもある。まだ日本でもまともには取り組んでいない排出権取引を、シカゴ市場で自主的に始める企業も出ている。

現在、大統領選での対抗馬であるケリー氏は環境派議員として知られており、11月の選挙で環境政策が争点の一つになるか、ならないかが注目される。また温暖化問題を20世紀の半ばからずっと研究してきたアメリカの一群の科学者には元気もあり、勇気のある人が多く、ブッシュ政権とは違った見解を打ち出している政府系研究機関の研究者もいる。

このようにアメリカの自治体、企業、政治家や科学者の動きを見ていると、ブッシュ政権とは対照的な姿が見えてきて興味深い。

◆気になるペンタゴン・レポート

昨年10月に国防総省(ペンタゴン)の依頼を受けた二人の専門家による気になるレポートが取りまとめられた。それは「突然の気候変化シナリオとそれが米国の安全保障に与える影響」と題する論文。その概要を私なりにまとめてみると次のようなものである。

温暖化は比較的緩慢に進行するとこれまでは考えられてきたが、最近の研究によれば2010年ごろから、温暖化により北大西洋への暖流の流入阻害が生じ、人口が多く食糧生産地帯である北アメリカの東部、ヨーロッパ、そして中国を含む北東アジアでの突然の寒冷化(10年間に2.8~3.3°C)や干ばつが起こり、食糧生産、淡水資源、そしてエネルギーなどに不足が生じる(逆にオーストラリア、南米、アフリカ南部は温暖化が加速)。これにより難民の発生など大規模な人口移動が起こり、これら諸国の生き残りをかけた食料、水、エネルギーなどの資源争奪戦が起こりうる。したがって、米国にとっては国境管理強化など安全保障戦略を考え直す必要があるというもの。

温暖化が進むとこれらの地帯が寒冷化するという話は理解しにくいかもしれないが、次のようなシナリオが考えられている。すなわち、温暖化の加速化→グリーンランドなどの氷河や北大西洋の海氷の溶解進行→塩分濃度の低下と海水比重の低下→メキシコ湾流(暖流)の北部ヨーロッパへの流入が阻害→これら高緯度地帯での寒冷化、干ばつ、土壌水分の低下、冬における強風などの気候変化→食料、水エネルギー資源に重大なインパクト、という流れになるとのこと。

温暖化に伴う北半球での寒冷化の可能性は科学者の間では随分前から議論されている。私自身も98年にハワイで開催された日米セミナーにおいて、米側参加者の一人でノーベル物理学賞受賞者のケンドールMIT教授から直接聞かされており、この仮説自体は決して新しいものではない。

ただ興味深いのはブッシュ政権下のペンタゴンで上記のような変化が起こりうる可能性について国防ないしは安全保障の観点から検討していることである(但し、どの程度真剣かは不明)。アメリカという国は一筋縄ではないな、ということを改めて思い起こさせるエピソードである。

さて、わが国の温暖化対応はいかがであろうか。国会は全会一致で京都議定書をアメリカとは違い早い段階で批准した。しかし、京都議定書の締約から7年目に入っているのに、議論や審議会からの提言、そしてソフトな施策はいろいろあっても、環境税や排出量の取引といった強力な対策は産業界の一部や経産省などの反対が強く、政治家も本気になっていないので、未だ取られていない。ブッシュさんのことばかり批判してはいられないのだ。