2004年7月号会報 巻頭言「風」より

ハワイで感じたこと

藤村 コノヱ


長年の夢だった短期留学もあっという間にすぎ、今この原稿をハワイセミナーの合間に書いています。予想に反して宿題に追われる毎日で、当初考えていたNGO体験も中途半端になってしまった感じですが、それでも、異文化の中で過ごした三ヶ月は、いろんなことを考えるいい機会でした。

ハワイで最初に感じたことは、時間の流れがゆっくりしていることです。日本では時計を気にしながらの毎日ですが、ハワイでは本当にみんなゆっくりしています。先月号でも書きましたが、唯一の公共交通であるバスが時間通り来なくても(というより時刻表はあっても無きが如くですが)、待つのは当たり前といった感じですし、エスカレーターに乗っても、日本人のように歩いたり追い越していく人はいません。温暖な気候と、観光地ということもあるのでしょうが、全てがゆっくり流れている感じです。忙しい日本人にとって、そんなところが魅力なのでしょう。

その反面、このゆったりさが環境問題に対する危機感のなさに通じる面もあります。省エネやごみの分別に無関心なことも6月号で書きましたが、温暖化への関心も余り高くないようです。日本でもちょっと評判になった映画「ディ・アフター・トゥモロー」は、大統領選がらみでアメリカでも前評判が高かったので、封切と同時に見に行きました。温暖化により北極海や北大西洋の海流に変化が起き、北アメリカで急速な寒冷化が進み、ニューヨークもワシントンも氷結してしまうというストーリーです。かなり誇張した表現が若干気になりましたが、こんなことが起きたらと思うと、本当に怖くなりました。その一方、ハワイの人たちはどんな様子でこの映画を見ているのだろうとあたりを見渡すと、震えるほどの強烈なクーラーの中で、バケツいっぱい位はあるポップコーンと500mlは入っているコーラーを飲みながら、のんびり鑑賞しているという風でした。ハワイでも今年の冬(1月頃)は大雨が続いたそうですし、ワイキキの砂浜も二年前に比べてかなり狭くなったように感じます。また米国本土での竜巻や山火事の被害も頻繁にテレビで報じられています。自然の景観と気候が売りのハワイだからこそ、異常気象にもっと敏感でもいいのではないかと思うのですが、多くの人が自分たちとは無関係といった感じで、それより日本人観光客が戻ってきて景気が回復しつつあることの方が大切なようです。

しかし、もともとハワイの人々は、自然との共生を基本とした暮らしをしていました。それはハワイの歴史や文化、特にフラダンスからも知ることができます。フラの振りには、風、雨、海、花、大地など、一つひとつ意味があることはご存知かと思いますが、自然の中で、自然を感じながら、自然と共に生きる姿をフラは表現しています。ゆったりした暮らし方やおおらかさは、ハワイの気候にあったハワイアン本来の生き方なのでしょう。しかし、18世紀末のキャプテンクックの渡来以来、こうした暮らし方は徐々に欧米化され、その結果、おおらかさやゆったりさは残っているものの、暮らしそのものは米国本土と変わらぬ大量消費型に変化しており、そのアンバランスに違和感を覚えます。

そんな中、ハワイのアイデンティティを復活させようという活動も見られます。初回のハワイセミナーの時に訪れたカアラ山文化学習センターの活動(1996年2月号)もそうでしたが、今回のフィールドトリップで訪れたWaikalua Fishpondもそうです。ここでは地元の小さなNGOが、fishpondを復元保全することで、ハワイアンの伝統的な漁法に見られる自然との共生の精神、すなわち「自然の時の流れにあわせて、守り育て、将来にストックを残しながら、感謝の気持ちを込めて、必要な物を必要なだけ使う」といった精神を伝えていく教育活動を展開しています(詳細は次号で)。また、シェラクラブのハワイ支部でも、オアフの東海岸線をワイキキのように俗化させてはならないと、開発から守るための活動を展開しています。その一環として行われた海岸線でのごみ拾いに参加しましたが、シェラクラブではこうした活動や週末ハイキングなどを通じて、ハワイ本来の自然を乱開発から守り、ハワイらしい自然を残そうとしています。

こうした活動は全て、本来ハワイが持つ自然や、自然との共生を基盤としていたハワイアンの生き様、価値観を多くの人に再確認してもらうことが、持続可能なハワイを実現する上でとても大切であるといった考え方に基づくものです。そういう意味で、一見環境問題とは無関係に見えるフラも、実はハワイアンの自然との共生の精神、ハワイアンの生き方を伝えるためのもので、これもまた持続可能なハワイの実現に大いに役立つ一つの道だと思います。

今回のハワイセミナーでは、グローバル化する世界の中で持続可能な社会をどう築いていくのか、地域文化や地域経済はどのような意味を持つのか、といったことについて議論しています(詳細は次号で報告します)が、三ヶ月ハワイに滞在して感じたことは、世界の楽園と言われたハワイもグローバル化の中で随分俗化されてしまったということです。そしてハワイがハワイらしく、まさに持続可能なハワイであり続けるためには、ハワイだけが持つ美しい自然、フラに込められたハワイアンの生き方、温暖な気候に育まれた「ハワイアンスピリット」と呼ばれる人々のおおらかさや優しさ、こうしたものを人々が再認識し、引き継いでいくことがとても大切ではないかということです。そして既に、様々な人がそれぞれの方法で、本物のハワイを取り戻すために挑戦し続けていることを実際体験できたことは大きな収穫でした。

同時に、日本が日本らしさを保ちながら持続可能であるためには、日本として、日本人として次世代に引き継ぐべきものは何なのか、伝統文化や地域文化を糸口に、もう一度しっかり考えてみる必要があるのではないかと思います。会として、また私の専門である環境教育にも、そんな視点が採りこめればと考えています。

さらに、環境活動そのものではなくても、こうした切り口からの地域での活動があちこちで生まれ、それぞれが自立しつつも、互いに連携しあえれば、グローバル化の波の中でも、持続可能な社会は可能なのではないか。そんなことを考えながら、また忙しい日本の生活に戻る準備をしているところです。(6月30日無事帰国し、当会事務局の仕事に復帰しました。)