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2005年3月号会報 巻頭言「風」より

予防原則と水俣病最高裁判決

加藤 三郎


地球サミットで確立された予防原則

本誌先月号で、当会の憲法部会がとりまとめた憲法改正第一次案について特集をした。これを丁寧にお読みになった方には、4の2条の第2項にある「人の健康または生態系に重大かつ回復不可能な影響を及ぼすおそれがある事態に対しては、科学的知見に不確実性があったとしても、未然に防止することを基本とする予防原則に立脚しなければならない」に注目された方もおられるだろう。

この原則は、今後日本の憲法に環境条項を書くとしたら、おそらく争点の一つになると予想されるので、改めて説明してみたい。

害がはっきり予測されるものに対して、未然防止をとるのは当然であるが、問題は、害が起こるかどうか必ずしも自明ではないという場合である。例えば、地球温暖化のように、実際に被害が起こった場合、甚大かつ、取り返しのつかないような被害が予想されるとすると、一つの考え方は、行政当局が、科学的な解明が万全ではないとしても、事前に対策をとるべきだというもの。それに対して、そのような不確実な科学でもっていちいち規制されたら、研究開発もできないし事業もできない。誰が見ても明瞭になった場合には従うが、疑問点が残る場合には、到底承服できないという主張がある。

これらを巡って長いこと論争があったが、1992年にブラジルで開催された地球サミットにおいて採択されたリオ宣言の中で、第15原則として、ついに確立された。

その原則では「環境を保護するため、各国はその能力に応じて予防原則を広く講じなければならない。重大なあるいは取り返しのつかない被害があるところでは、完全な科学的確実性がないことを、環境悪化を防止する費用対効果の大きい対策を引き伸ばす理由にしてはならない」とある。外交文書らしく、随所に工夫が凝らされた文章だ。何が重大で、何が取り返しがつかないかについての基準などはもちろん書いてない。また、あまり効果がなくて費用がかかる対策は、引き伸ばしていいと言わんばかりである。

この原則をどう適応するかは常に議論になるところであるが、予防原則そのものは、全ての政府が承認したので、日本においても少なくとも行政レベルでは異論はないはずである。とはいえ、日本の国会が全会一致で採択した京都議定書ですら、日本の経済関係者の中には、「これは安政の日米和親条約以来の不平等条約であり、これを採択した日本外交は失敗であった」という意見が今日でもある位だから、この原則についてもさぞかし異論があろう。

しかし、この原則は、その後の世界の憲法などにも盛り込まれた。例えば、本年2月にフランスの国会が憲法を改正し、採択した予防原則では、「科学的な知見に不確実性があったとしても、被害の発生が、環境に対して、重大かつ回復不能な影響を及ぼすおそれがある場合には、公共機関は、予防原則を適用し、権限の範囲内でリスク評価手続きを実施し、被害の発生を避けるために暫定的かつ釣り合いのとれた措置を講じるよう留意する」となっている。

加盟25カ国の間で批准作業に入りつつあるEU憲法の環境条項でも、「EUの環境政策は、EU内の様々な地域の状況が多様であることに配慮して、高度な保護を狙わなくてはならない。それは予防原則に立脚したものでなければならず、また未然防止措置がとられるべきこと、環境上の損害は優先的には発生源で修正されるべきこと、及び汚染者費用を負担すべきであるという諸原則に基づかなければならない」とある。文言は多少違うが、予防原則を規定している点は共通である。

最高裁判決を温暖化対策に当てはめると

ところで、予防原則と直接関係ないように思われるが、水俣病について最高裁から最近出された判決に、私は衝撃を受けた。現在、政府や自治体が推し進めようとしている温暖化対策に、この判決の思想を当てはめてみるとどうなるかと考え込まざるを得なかったからである。 

この訴訟とは、水俣湾の魚介類を食べて水俣病になったと主張する人が、救済認定を申請したことをめぐる訴訟である。第一審の大阪地裁の判決では原告を水俣病とは認めなかったが、大阪高裁では、国が排出規制をしなかったのは違法とし、国の基準とは別に、水銀中毒に特有の感覚異常があれば患者と認めると判断した。この事案は最高裁に持ち込まれ、昨年10月に判決が出たが、その中で、昭和34年末には原因物質と排出源を高い可能性で認識できたにもかかわらず、排出規制をしなかった国及び県の対応は著しく合理性を欠いて違法であると、行政の不作為責任を認め、患者の認定についても、大阪高裁の判決を支持した。 

最高裁がこのように判断した理由として、①昭和34年末の時点では、水俣病の公式発見からすでに約3年半が経過しており、その間、住民の生命・健康等に深刻かつ重大な被害が生じうる状況が継続しており、国は現に、多数の患者が発生し、死亡者も相当数に上っていることを認識していた。②原因物質が有機水銀化合物であり、その排出源がチッソ水俣工場であることを、高度の蓋然性を持って認識しうる状況にあったなどを挙げている。

水俣病は、発見当時は原因がわからない奇病とされたが、その後、熊本大学医学部によって、有機水銀中毒であること、その原因が化学工場からの排水であることもつきとめられつつあったが、昭和34年末の時点では、その見解は全ての科学者が支持したわけではなく、まして政府がそれを認定したわけでもなかった(政府の正式認定は昭和43年)。それにもかかわらず、最高裁は昭和34年末の科学的解明でもって上記の判断に至ったことに、私は衝撃を受けたのだ。

最高裁の今回の判決を、仮に、地球温暖化対策に適応するとどうなるか。地球温暖化については、国連の専門家集団(IPCC)による17年に及ぶ検討で、温暖化の原因が人為によることが証明されている段階にあり、しかも温暖化によると思われる深刻な被害がすでに出つつある。にもかかわらず、未然防止どころか事後対策すら十分に取られていないとすると、温暖化によって被害を受けた人が、水俣病の場合のように訴訟(もちろん法的性格は違うが)を起こしたときにどういうことになるかと言えば、やはり科学による完璧な解明を待たなくとも、強力で効果的な対策を取るべきだったという判断になるであろうことが私には予想される。

行政はもとより環境関係者が、水俣病に関して行政府の不作為責任を鋭くついた最高裁判決を重く受け止め、温暖化に対しても、早急にしっかり対応をとるべき時期にきていると私は考える。