2005年4月号会報 巻頭言「風」より

生命の基盤を忘れないで

藤村 コノヱ


毎日新聞のコラムに、フランスの電力会社が、原子力発電所から出る放射性廃棄物の処分には難しい問題があるので、哲学者に調査を依頼した、というのがありました。それによると、「原発大国であるフランスでも高レベル放射性廃棄物の処分方法について議論が分かれており、科学では安全性は理論付けられてもそれだけでは人々を説得できない。(核廃棄物の)深地層処分が想定する10万年先の安全を人の脳は予見できるか、科学者に発言権はあるのか、について哲学者の意見を聞こう」ということだそうです。これは、社会の進むべき方向を決めるにあたっては、科学と哲学、眼に見える事象と目に見えない精神、短期的視点と長期的視点、など相対的な視点からの議論が必要で、こうした議論を軽んじると、間違った方向にいくよという警告のように思います。日本でも賢者といわれる人たちは同様のことを言っていますし、会員の皆さんも同じ考えをお持ちの方が多いと思います。まさにこれが人間の智恵であり、教育が正しく行われれば、多くの人が身につけられる能力です。(残念なことにこの智恵が、最近の日本人からは失われつつあるのも事実で、教育改革が必要な大きな理由は、そこにあると思います。)

ただ難しいのは、例え正しい教育で判断に必要な智恵(材料)が身についても、いざ判断、という時に、何を判断の基盤に置くか、何を最優先するかは、時代や社会状況、個人の経験や価値観などにより異なり、合意形成が難しいということです。温暖化への対応もそのいい例です。

温暖化について未だに疑う向きもありますが、これについては、例えば、最近では3月1日付朝日新聞で梅原猛氏が「近代文明とともに始まった環境破壊は今や人類そのものを滅ぼす大いなる危険となっている。」と述べているように、世界中の科学者のみならず、哲学者も、その危機的状況については明言しており、疑う余地はない状況です。そして多くの人が温暖化を認識し何とかしなければならないと思っていることは確かです。それは、当会で行ったアンケート調査結果にも現れています(詳細な報告はホームページをご覧ください)。

しかし、いざ自ら判断し行動するとなると、「私だけがやっても」とか「そうはいっても今の利便性は捨てられない」とか「もっと優先すべきことがある」ということで、その対応はなかなか進まないのが現状です。まして国の対策ともなるとなおさらで、現に、懸案の環境税について、最近まとまった京都議定書目標達成計画案でも「総合的な検を進めていくべき課題」として、またしてもその導入は先送りになりそうな気配です。環境税に関しては、十分な議論が行われたとは到底思えない面もある上に、さまざまな(短期的)利害が絡むことから、何を判断の基盤におくか、何を最優先するかは今のところバラバラという状況です。

確かに、物事の最終的な判断基盤をどこに置くかはなかなか難しい問題で、それが時代や国や個人によって同じ方がいいのか、違うのが当然なのかも、議論を要するところだと思いますが、私自身は、「生命の基盤は環境」が、人類が生存する限り、いかなる場合にも原則であり、それを判断の基盤に置くべきだと思っています。

ご存知の方も多いと思いますが、アメリカの心理学者マズローは欲求段階説というのを唱え、それをピラミッド図に描いています。この図を見ていると、なるほど、自分の夢や希望をかなえたいという個人的な欲望も、経済や社会の安定を求める欲求も、そして平和さえも、「生理的欲求」、すなわち、人間の生命の基盤である「環境」が満たされてこそのものであり、これが安定しているからこそ、人間は智恵も欲望も持ち得るのだと、改めて感じます。

そして温暖化を始めとする現在の環境問題は、この基盤が危機的状況になりつつあることを私たち人間に示しているわけです。にもかかわらず、なかなか進まない対策や「環境税、断固反対」を唱えている産業界の一部の人たちの姿を見ていると、まだ多くの人が上位の欲求にばかり心を奪われ、「生命の基盤は何か」を忘れてしまっているように思えてなりません。

自己実現も、快適さも、経済も、人間が生きる上で大切なものですが、生命の基盤である水や空気や大地といった環境が破壊されたら、そんな人間の短期的な欲求など成り立たなくなります。それに、こうしたことは人間界のことで、人間がもっと智恵を持てれば何とかなる問題です。しかし環境だけは、人間の力だけではどうにもならないものです。だからこそ、全ての判断の基盤に、人間の生命の基盤である「環境」をすえなければいけない、というよりそれが「あたり前」だと思うのです。

勿論、環境さえ守られればそれでいいのかというと、そうではないというのがいつもの私たちの主張です。人間の生存にとって不可欠な「環境」が常に全ての基盤にあることを忘れずに、それに歴史や文化といった人間が人間であることの証し(精神性)を積み重ね、それらと照らし合わせて、時代や社会や個人の要求を満たす制度や技術や経済といったものを、智恵を使って取捨選択しながら進化させていくことこそが人間、21世紀に生きる私たちの姿であり、長持ちする社会(持続可能な社会)に続く道だと思うのです。青臭い議論と思われるかもしれませんが、こんな議論もまた、新年度から始めてみたいと考えています。