2005年9月号会報 巻頭言「風」より

戦略性に欠ける日本の温暖化対策

加藤 三郎


前号に紹介したスウェーデンでのエネルギー・環境事情取材の後、私たちはブリュッセルにある欧州連合(EU)本部を訪れ、温暖化対策の責任者にお目にかかり、CO2排出量取引開始後の状況などについて取材した。取材しながら、一部の強硬意見や省益に振り回されて長期的な国益が損なわれている日本の対応に、改めて危機感が深まった。

●動き出したEUのCO2排出量取引

本制度は今年1月よりEU25カ国で一斉に開始された。開始に当たってはEU内の指令により法的拘束力を持つ制度として位置づけられたことはもちろんである。EUは、京都議定書発効以前から当制度と京都議定書上のメカニズム(CDMとJI)との連動を意図しており、同議定書が発効された今は、その通りの運用がされている。

EU内の排出量取引そのものは、京都議定書での対象となるCO2、メタンなど6ガスを対象としているが、07年までの第一段階ではEU各国内の大規模排出源からのCO2排出のみを対象としている。

どの施設を対象とするかは、EU指令に基づき国が定めたナショナル・アロケーション・プランなるものによって決定されるが、発足時はEU25カ国全体で約12,000の大規模施設が対象となっている(ちなみに、英は1,100程度、独は2,400程度、仏は1,200程度)。これによりEU域内で発生するCO2の約5割、京都議定書が対象とする温室効果ガス全体の3割をカバーしたことになるという。

CO2の排出量取引制度は、同じ削減効果を上げるなら経費の安い方法での削減を目指した典型的な経済的手法。EU事務局によると、CO2削減に要する経費はそうしない場合の約半分、年間68億ユーロかかるところを30億ユーロ程度でまかなうことになるという。

本制度は、約12,000の施設の一つ一つに、各国の当局が割り当てた排出許容量(専門家の言う「キャップ」)を定めている。各国間での公平のために、EUが定めた共通のガイダンスのもとで割り当てをしている。EU当局が適正でないと認めた場合は、国に対して、その割り当てを修正するように要求する権限がEU本部に認められている。

各施設が削減に努力し、使い残した排出量がある場合、それを他社に売ることもできるし、将来の事業拡張などのために貯めておくこともできる。また、当局から割り当てられた排出量を達成できなかった企業は初期段階では、1トン当たり40ユーロ(1ユーロは約135円)、08年以降は100ユーロの反則金を支払わなければならない。このため、各施設が許容量を達成できるかどうかをめぐって、CO2排出の取引が始まるわけである。05年7月現在、CO21トンの価格はヨーロッパの猛暑を反映して約28ユーロになっている(発足当初は10ユーロを切っていた)。つまりCO21トンあたり約3800円、1炭素トン当たり約13900円に相当するので、かなりの高額になっている。

割り当てを受けた各施設は、年一回EUが定めたガイドラインに則って実際に排出した量を正確に報告しなければならない。この排出量は独立した認証人によって検証され、公表される。施設が、虚偽ないし誤った報告をしたことが検証で明らかになった場合には、排出量を修正申告するまで、取引できない。

この排出量取引が活発化するにつれて、ヨーロッパにある主要銀行はCO2削減プロジェクトに積極的に融資するようになってきたという。つまり、金融業界もこの取引に加わってきたということである。さらに、米国の多くの州がCO2排出量取引に関心を持ち始めており、この点に対してもEUは注目しており、将来、EUを越えたグローバルな排出量取引市場の出現が見込まれている。

●国益に反する日本の後向き対応

以上のようなEU内の動きを見ていると、日本の中で排出量取引に対して、少なくとも建前の上では、未だ「断固反対」している経団連や経済産業省の姿勢はあまりにも時代錯誤、というより一部の省益、団体益のために全体の国益を犠牲にした戦略性のなさを露呈していると言わざるを得ない。

日本のなかで断固反対をしようがしなかろうが、もはやEUを中心に活発に排出量取引がなされており、その間にEU当局とEU加盟国の政府・企業によって取引に必要な経験が積み重ねられつつある。そしてその経験は、EU諸国のリードを許した環境ISOシリーズ時での苦い経験に照らしても、国際スタンダードになることは明らかである。そういうときに鎖国時代の日本よろしく、国内で「反対」を叫んでいてもどうにもならない。京都議定書に当時のクリントン米政権が中心となって削減コストを軽減するために折角導入したこの制度に依って効果的なCO2取引制度を日本でも速やかに確立し、日本の産業界や国民が強く求めているように経済的に削減が可能となるようにすべきである。

実は反対している経団連会長会社のトヨタを始め有力日本企業のヨーロッパ法人は、当然ながらEUの取引き制度の対象企業になり得、現に少なからぬ法人が直接、間接にこの制度を利用している。それにも拘わらず日本国内では「断固反対」とはどういうことなのか、まことに理解に苦しむ。

排出量の許容制限「キャップ」をはめられることを強く嫌がっているとか、環境税と同様環境省にリーダーシップをとられるのが経済産業省には我慢ならぬなどの理由が伝えられているが、私にはこれは理由になり得ないと考える。何故なら、京都議定書により日本はすでに総量に対する「キャップ」(90年比6%削減)がはまっており、これを確実に達成するためには、やり方はいろいろあるにしても、最終的には個々の、特に大規模発生源には排出割り当てをせざるを得なくなるだろう。だからこそ、今から「断固反対」しているのだろうが、それでは先が見えず、戦略的ではない。むしろ、「キャップ」や道路特定財源の活用を含めて、どのような取引や税であるべきかを経済界から積極的に打ち出した上での議論であって欲しい。少なくともヨーロッパではそうしている。

折りしも今、アスベスト問題がメディアをにぎわし、政治の課題として浮上している。20数年前、私は環境庁大気規制課長として、NOx総量規制の導入などの案件と並んでアスベストの環境調査も担当した関係で、環境省やメディアから、アスベストの環境濃度の危険性に対する当時の認識、また法規制の必要性についての当時の判断を聴かれている。これに対する私の答えは、稿を改めて別に記すつもりだが、この問題が出て以来ずっと気になっているのは、むしろCO2対策である。

環境中におけるアスベストの安全性に対する当時の認識とは比べ物にならないほどCO2については科学的知見が揃っており、しかも対策をとるためには何が必要か、将来的にはさらに何が求められるかも十分すぎるくらい明らかになっている。それなのにクールビズやウォームビズなどを超えて確実に削減を実現するための「規制と経済的手法」の導入は「断固反対」によって、柵ざらし状態である。10年後、20年後、温暖化による異常気象などの影響が甚大になった時に、何故あの時有効な対策を取らなかったのか問われたら、担当局長はもとより、環境大臣や経済産業大臣やその導入を怠った国会はなんと答えるのであろうか。05年3月号本欄に紹介した水俣最高裁判決、そして今回のアスベスト問題、さらにすぐその先に見えるのはCO2対策であることを銘記して欲しい。