2006年9月号会報 巻頭言「風」より

価値を変え、社会の変革を促す、更なる一手

藤村 コノヱ


ある友人が某市の環境副読本を持ってきて「どう思う?」という。見ると、内容はさておき、テーマごとに問題解決のノウハウが書かれており、学校現場で理屈抜きに教えるには使い勝手がいい。世間では昨年からのクールビズのお蔭で、見栄えは別としてノーネクタイの男性が増えたし、打ち水やキャンドルナイトなど温暖化防止を銘打ったイベントも都会では定着しつつある。企業でも「エコ」は当たり前になり、その手のコマーシャルも増えてきた。なんとなく「環境」は世の中で認知され、その取り組みも一見進んでいるかのように見える。

しかし実際には、ここ数年でも、地球温暖化の主たる原因物質であるCO2の排出量は減っておらず温暖化そのものもはますます進行している。ごみもリサイクル率は上がったものの発生量そのものはやっと減少の兆しが見え始めた程度で、処理経費は地方財政をますます圧迫している。一時期世の中の関心を大いに集めた環境ホルモン問題もなくなったわけではなく、その影響は密かに進行しているはずだ。生態系だって目には見えにくいが確実に壊れ、絶滅危惧種の数は年を追って増えている。いろんな人の努力にもかかわらず、環境の状況は決して改善されたわけではない。社会的にも一週間前にあった殺伐とした事件が次の週には忘れ去られ、また新たな事件がマスコミをにぎわすといったことの繰り返し。公務員や企業の不祥事も後を絶たず、社会全体が持続不可能な社会にますます近づいているのが実態である。

私自身、環境教育は「人としての生き方や社会経済の有り様を学び、その実現に向けて行動する人を育てること」だと考え、価値の転換や社会変革を促す環境教育を呼びかけ、実践もしてきた。それを容易にする仕組みとして、仲間と共に環境教育推進法の制定にも尽力した。しかし最近強く思うことは、持続可能な社会を作るには、もっと多くの人の考え方を変え行動を促す必要がある、特に社会のリーダーや経済社会で大きな力を持つ企業人は率先して変わる責務があり、それを促すにはどうしたらいいだろう、ということだ。勿論、リーダー(特に政治家)を選ぶのも、製品・サービスを買うのも国民だから、その教育が重要なことはいうまでもないが、リーダーや企業人が変われば、価値観や社会規範の変革のスピードが速まるのではないかという気がする。

そしてそのヒントは、日本の歴史、特に持続可能な社会のモデルである江戸時代にあるように思う。本誌6月号で、江戸時代の寺子屋では、単なる知識だけでなく社会の一員としての道徳・倫理を、市井の子どもたちにまで授けていたことを述べたが、リーダー(武士層)や企業人(商人、職人層)についても、さまざまな学びの場が存在していた。そして鎖国や封建制度という、現在とは異なる社会環境ではあっても、現在にも通用する人づくりのヒントがたくさんあることに気づかされる。

まずリーダー層の育成についてだが、江戸時代が265年続いたことを考えると、安定した社会、封建制の中でも生き生きとした社会を維持するためにいろんな工夫をしたはずだ。例えば、幕府が各地に「藩」を置くことを認め、藩政を許したのは地方分権の走りだと思うが、藩政は各藩にかなりのところ委ねられていた。そのため、各藩では藩政を担う人材の育成に大いに力を注いだ。「藩校」をつくり、強制ではないがほぼ全ての藩士に、平和の時代における官僚としての統治能力と資質を培うために、子どもの時から朱子学に基づく儒教的倫理観を徹底的に教えこんだ。

教育内容は各藩の裁量に任されていたが、基本的には四書五経を読み、それについての問答を通じて、「仁」「義」「礼」「智」「信」など、人としての倫理と社会のリーダーとしての資質・能力を培っていたようだ。そして、それは上級武士に限らず、「たそがれ清兵衛」「壬生義心伝」などにみられるように、下級武士にまで後に「武士道」といわれるものとして浸透していた。翻って、政治家や官僚など現代社会のリーダー層がどのような教育を受けてきたか、といえば、おそらく、こうした倫理や資質・能力を培うための特別な教育など受けていないと思う。だとすれば、少なくともそういう立場を目指す人や既にその立場にある人は、法律や専門分野のことだけでなく、まして処世術や練金術に励む前に、宗教や倫理など精神性を高め「徳」を修める学びをしてほしいものである。

一方、ここ数年企業では、CSR(企業の社会的責任)への関心が高まり、専門の部署を設置する企業も増え、解説書も増えている。しかし、江戸時代中期の石田梅岩によって説かれた「石門心学」の中には、そんなことはとうに説かれている。すなわち、儒教の教えに商人の世俗の苦労から生まれた教訓を加えた「職業倫理」として、『商人が「仁(他人を思いやる心)」、「義(人としての正しい心)」、「礼(相手を敬う心)」、「智(知恵を商品に生かす心)」の4つの心を備えれば、客の「信(信用・信頼)」となって商売はますます繁盛するのだと説いている。そして、勤勉に励む心(労働と努力の価値)の重要性を説き、商人は商人らしく、ただひたむきに仕事に執心することが人格形成につながるのであり、決して目先の利益やひとときの我欲に惑わされてはならない』(京都小売業支援センター資料)としている。CSRなど難しい言葉を使わなくても、暖簾の継承を切願していた当時の商人たちに強く支持されたこの教えの中には、企業にとって何が最も重要か、持続可能な企業となるために何をなすべきか、そもそも商売の本道とは何かが明確に説かれており、こうしたことこそを、企業人、特に企業のトップに立つ人たちは是非学び実践して欲しいものだ。

これ以上、持続不可能な社会へと進まないためには、もう小手先のことでは間に合わないところまできている。政治家を選び購買活動を行う私たち市民が変わり・変える努力を続けることは当然だ。しかし、速やかに、価値観や社会規範を変えるために、社会のリーダーや経済社会で大きな力を持つ人たちは、もっと根本的なところに目をむけ、謙虚に学び、自らの責任を自覚して本気で持続可能な社会をつくる努力を始めて欲しいものである。