2007年5月号会報 巻頭言「風」より

欧米発の「環境革命」の衝撃波

加藤 三郎


最近、私がこの欄に執筆するテーマは、ほとんど温暖化のことばかりになってしまったが、今回もまた、やむにやまれぬ思いを吐露しておきたい。というのも今、欧米で、温暖化対策を契機として政治経済上の大変革を起こそうという動きが浮上してきたが、その行き着く先は産業革命にも匹敵する「環境革命」となる様相を呈し始めたからである。その震源は「温暖化は確実に起こっており、その原因は人間活動によることが確定的になり、影響は全地球的規模ですでに出始めている」という科学の認識である。

ヨーロッパは、かねてから温暖化の科学をリードし、その成果を尊重して、常に前向きに取組んできた。政治レベルでも、2050年にかけて、先進国は、60%から80%の温室効果ガス削減が必要と前から言っていたが、本年3月、ブラッセルに集合したEU27ヶ国(人口規模では5億人)の首脳たちはついに、EUは単独でも、CO2などの温室効果ガスを90年比で少なくとも20%の削減を義務化すると決定した。私にとっては、予想していたとはいえ、やはり衝撃的なニュースであった。

EUは京都議定書上、全体で8%削減の義務を負っているが、現状のままでこれを達成できる国は数ヶ国しかないと見られている。かつて環境大臣を務め、今はドイツの首相であるメルケル女史は、その困難を承知の上で他の国々を説得し、はるかに厳しい20%削減の義務化という政治的な決定にたどり着いた。これの意味するものは、EUは、これから数十年も、恐るべき地球温暖化時代を日米中などの他の国々との競争に打ち克って生き抜き、その中で加盟各国の経済や国民生活を守ろうとすれば、厳しい規制を掛けながら、産業構造、エネルギー構造、都市・農村構造、国民意識の改革など、すべてをやり遂げなければならない必要性を厳しく再確認したということだ。

10年くらいかけて、数%削減するのは、これまでのやり方を少し改善すれば可能だが、20%以上削減というのは、従来のやり方の延長線上では出て来ない。技術はもとより、教育、規制、税すべてを変えなければならない。これは、ヨーロッパ発で、その後全人類を巻き込むことになった産業革命に匹敵する「環境革命」に他ならない。

このEU首脳会議のわずか4日後、イギリスのブレア政権は、気候変動法草案の骨子を発表した。内容は、2020年までにイギリスは30%前後の削減を目指し、2050年には60%の削減を義務付ける法案をこの秋、国会に提出するというものだ。

何故好き好んでそんなことをするのか、その答えは「イギリスは科学を築いた国。第一級の科学者が厳密な手続きを経て、IPCCが示す結論に至ったのであるから、この警告を拱手傍観するのは政治の不作為であり、怠慢の極み。国民の生活を護り、誇りとリーダーシップを持てる国づくりをするのが政治家の当然の努め。」という。

さらについ最近、ノルウェーのストルテンベルグ首相は、2020年にはノルウェーは30%削減し、2050年までには、国内から排出する炭酸ガスを途上国での支援や排出量取引、さらには自然エネルギーによって相殺する、つまり、ノルウェーからの排出は、「ゼロ」にする構想を発表したという。この記事などを見ると、EU各国が温暖化に向けて削減競争に突入した感を深くするが、彼らがEUのことだけを考えているわけではない。

4月17日、イギリスのイニシアティブにより国連の安全保障理事会が気候変動問題を「平和と安全」に関する問題と初めて位置づけ、紛争予防の観点から公開討論を行った。温暖化により、国境や領海線の見直しが始まるし、食料・水・治安などの問題で人口の大量移動が発生し得るし、耕地等の争奪など、安全保障の問題がやがて深刻化するとの認識からである。

一方アメリカはどうか。本年4月2日に連邦最高裁から極めて重要な判決が出た。それは「大気浄化法」で新車の排ガス規制が出来るかどうかに関し、ブッシュ政権下の環境保護庁(EPA)は、「大気浄化法に基づいて温室効果ガスの排出規制を行う法的権限はなく、仮にあったとしても、それを行使しない」と03年に決めたことに対し、その決定は違法であるとして、カリフォルニア州、マサチューセッツ州、ニューヨーク州など12州と環境保護団体が撤回を求めて、提訴していた注目の案件に対する判決である。その要旨は、まずCO2は、大気浄化法上の大気汚染物質に該当し、EPAはこの排出規制を行う権限を有すると判定。これによって、アメリカでCO2の規制をどの法律で行うべきかの議論に対する司法の判断が出たものであり、翌日ブッシュ大統領は判決を尊重する旨を語っている。

何度も述べているように、私は日本では、基本的には大気汚染防止法に基づいてCO2の規制を行うべきであると考えているが、不思議なことに、その議論すら本格的には提起されていない。しかし、アメリカでは最高裁まで巻き込んだ議論がされていることを知るべきである。さらに、アメリカの大手企業からは、日本のハイブリット車などの低公害技術の攻勢、ヨーロッパからの規制強化の波を受けてたまらなくなったのか、政府に対し、排出規制を求める意見が強く出始めている。日本の現状では考えられない動きだが、その心は、将来、突然厳しい規制をされるぐらいなら、徐々に規制されていった方が産業界としては準備もでき、コストも安くつくとの認識からという。

このような欧米の動きに共通するのは、温暖化は避けられないものであるならば、そのインパクトを自分たちの経済社会の転換や、企業活動の革新にどう活用するかという前向きな取組みである。この環境革命の波は、さらに大きなうねりとなり、来年11月のアメリカ大統領選挙の頃には、当面のピークに達するというのが私の見通しである。

しかるに、日本を見ると、温暖化の衝撃波をまともに受け止めようともせず、第二次的、第三次的な問題に政治も国民も捉われすぎているように思えてならない。政治・行政と国民の見通しの甘さや戦略性のなさのツケが、現世代はもとより子や孫の次の世代に取り返しのつかぬものにならないことを願うばかりである。