2008年9月号会報 巻頭言「風」より

教育こそ力

藤村 コノヱ


少し前の話ですが、北欧フィンランドがOECDの学習達成度調査で学力世界一になったことが話題になりました。フィンランドは人口530万足らずの小さな国で、90年代には経済危機に陥り失業率が20%にも達したそうですが、不況を脱するには「人」という資源に投資する「教育」が最も重要ということで大胆な教育改革を行ったそうです。知識を詰め込むのではなく、変化の激しい時代を生き抜くために「自分で考える力」を育てること、落ちこぼれを出さず生涯にわたって学習する能力を身につけることなどを目標として掲げ、42歳の若い教育大臣のもとに国を挙げて改革を進めたとのこと。またフィンランドでは教師が憧れの職業で、大学院卒業の優秀な人材しか就職できず尊敬される存在なのだそうです。モンスターペアレントに悩まされ採用試験にお金が動く日本とは、ずいぶん様子が異なっています。

片やインドの急成長とその背景にあるエリート教育も有名です。インドの教育と言えば3桁の掛け算を小学生でも暗算で解くなどの話が有名ですし、古代に「ゼロ」の概念を発見するなど、もともと数字に強い国民性があったようですが、それに加えて独立後に、「人こそ国家の礎」として教育立国を目指し、超エリート教育のシステムを作り上げたそうです。そして現在、そうしたエリート教育を受け海外で成功を収めた人々が、これからのインドを支える若者の教育に一丸となって取り組んでいるのだそうです。印僑は華僑を凌ぐ力となりつつあり、これからの世界をリードするのはこの人達ではないかという予感さえします。

人口規模や歴史背景が異なるうえに、インドの場合は教育格差の問題もあるようですが、それでも「教育」にウエイトを置いた国づくりを進めている点は共通です。こうしたことを見るにつけ、やはり人材こそが持続可能な社会の基盤だと改めて思います。そしてどん底に落下しつつある日本を立て直すのも教育しかないという思いが募るのですが、残念ながら、日本では教育に対する認識までが低下しているのが現状です。

その一例として、今後5~10年の教育計画となる「教育振興基本計画」の作成にあたり、文部科学大臣や文教族が、今後10年間で教育関連予算の対国内総生産(GDP)比を現在の3.5%から5%に引き上げるよう政府に働きかけたのに対して、財務省が反論、結局教育関連予算や教員数の定員増などの数値目標は盛り込まれなかったという話があります。その時の新聞報道によれば、財務省は、「1人当たり教育費」を算出すれば、日本は先進国中で米国に次いで2番目の公的教育支出国になると指摘した上で、「欧米のように、教育でどんな子どもを育てるのか、学力向上や規範意識など成果にこそ数値目標を設けるべきだ」と反論したそうです。こうした官僚に、教育の本来の目的を以て反論できなかった議員も情けないですが、それ以上に教育が成果や効率性といった経済論理だけで議論されていること自体、この国のトップにいる人たちの教育に対する認識の低さが見て取れます。教育は社会の一員を育てることと併せて、人として生きることの道を教えるという大きな役割があり、それは経済効率だけでは語れないものです。にもかかわらず、どうも昨今の教育はその大切な部分を忘れて単に数値目標や経済性だけで語られる傾向が強いようです。

いつ頃から、こうなったのか。日本の持続性の知恵の研究で、江戸時代の寺子屋について調べたことがありますが、江戸時代は、「教え」という行為は金銭に置き換えることができない、ある種の神聖さを帯びたものと考えられていたことや、師匠が教えに対する報酬として金銭を要求することはなかったと伝えられています。ただし、寺子屋の入門日には寺子は正装して親に連れられて師匠のもとに出向き、若干の謝儀として、金品に扇子を添えて入門の願いを述べたそうです。また江戸時代の幕藩体制の中でも、寺子屋や藩校などの教育内容に関して、幕府・藩が深く介在することはほとんどなく、各種各様の教科書(往来物)がその子の家庭状況(職業)や発達段階に応じて使い分けられていたようです。

しかし明治以降、近代国家の建設に向け、明治政府は教育内容にも深く関与するようになり、「近代化」の名のもとに、穏やかな師弟関係の中で行なわれていた「学び」は、システム的な「教育」へと変わり、「聖域」から「富国強兵の一つの有力な手段」へと変貌していきます。それでもまだこの時代には、欧米の主知主義の行き過ぎを反省し、日本的儒教的道徳心が、実学と共に教育内容として残されていたようですが、第二次世界大戦を経て、昭和30年代後半からは、経済界がその経済的力を背景に、様々な要求を教育界に突きつけてくるようになります。教育投資効果や教育発展計画などの用語も多用され、教育界にも経済市場原理が持ち込まれるようになったのもこの時代です。そして、経済成長が全てに優先するという考え方は教育現場にも浸透し、経済社会で有用な人材を育成することが教育の主流となってきます。政府の教育関連の諮問委員会などのメンバーに財界から多数登用されるようになったのもこの頃からです。勿論、持続可能な社会を作るには経済活動も重要ですが、人を育てるという行為はそのためだけにあるわけではなく、まして効率や経済性という物差しだけで測れないところに教育の真髄や意義があるのではないでしょうか。

そうした中で環境文明21は環境教育の重要性をずってと訴え続けてきました。先人が築き上げてきた伝統の中から持続性の知恵を学び、一人ひとりが人間として生きる力を身につけるとともに、持続可能な環境文明社会の有り様やその一員としての役割を学び実践する力を育てること、そんな環境教育が広がり浸透してこそ、日本の社会の持続性は保たれるはずです。小学校からの英語教育や株の学習などといったものより、もっと大切で基本的な学びがあることを、大人、特に国のリーダーたちはしっかり認識すべきです。幸い、環境教育に熱心な鈴木恒夫衆議院議員が文部科学大臣に就任し、また環境教育推進法で尽力くださった愛知和男衆議院議員が自民党の環境教育小委員会委員長になるなど、まさに環境教育を推進するチャンス、そして持続不可能な日本を立て直す一つのチャンスが来ています。当会の「立法部会」ではこのチャンスを活かすべく活動の拡充とスピードアップを図りたいと思います。多くの方のご参加をお待ちしています。