2009年2月号会報 巻頭言「風」より
オバマ政権の発足と日本の温暖化政治
加藤 三郎
アメリカ国民だけでなく、日本そして世界中の多くの人の熱い期待を集めて、オバマ氏が大統領に就任した。アメリカの国家元首の話であるが、これほどの注目と期待を世界中から集めた例を私は知らない。特に地球温暖化など環境分野にいる人は、異様なほどの熱い想いを寄せている。現に、昨年12月にポーランドで開催された温暖化防止条約会議(COP14)では、こと削減目標については、ほとんど前進はなかったが、それは、オバマ政権の登場を待って交渉しようという思惑が支配したからであろう。
これほどまでにオバマ氏が期待された理由は明白だ。ブッシュ政権の環境政策は、科学に背を向け、エネルギー産業には配慮しすぎるといった具合で、悪すぎた。もちろんブッシュ氏は、2期8年間、アメリカ国民の正当な選挙によって、選任された大統領であるので、ブッシュ政治をどう評価するかは、第一義的にはアメリカ国民のものであり、私のような外国人があれこれ論評するのは控えるべきかも知れない。
しかし、アメリカは温室効果ガスの最大の排出国であるので、その国の大統領の政策は、人類社会全体の今と未来に少なからぬ影響を与える。不幸にしてブッシュ氏の取組みが極めて後ろ向きであったことから、人類社会全体へのツケがあまりにも大きくなった。とすれば、私にもブッシュ政権の温暖化対策を批判する資格はある。現に本欄においても、また新聞・雑誌などにおいても度々、前政権の環境対策を批判してきた。例えば、ブッシュ政権は、就任直後に京都議定書をあっさり離脱しながら、その年の秋にアメリカで同時多発テロが発生すると国際社会が協調してテロとの戦いに参加するよう強く呼びかけたが、このことに対し、「人類社会が抱える(温暖化対策などの)重要課題への戦いに、世界のリーダーとして一刻も早く戻って欲しいと願わずにはいられない。何故ならニューヨークやワシントンなどで失われた罪なき人々をも上回る、多数の人の生命と福祉がかかっているからである。」と毎日新聞紙上(01年10月3日付)で述べたこともある。
しかしそのブッシュ政権は、アメリカ史の中に消え去り、オバマ政権が力強く登場した。その政権が環境政策、就中、温暖化対策にどのような政策を取るかは、1年余に及んだ選挙中も当選後も度々表明しているので、大筋は、会員の皆様もご存じであろう。一口で言えば、オバマ氏の温暖化政策は、科学が明らかにし国際社会が取り組んできた対策を真っ直ぐに見つめ、積極的な対策を大胆に取るということである。長期目標としては、温室効果ガスの排出を2050年までに90年レベルに比べ、80%削減することを明確にしており、そこに至る有力な手段として、排出量取引をオークション方式にて全土で展開するとしている。
オバマ氏らが選挙戦の終盤近くに差し掛かっていた昨年9月、アメリカ発の一大金融危機が発生し、それが瞬く間にヨーロッパへ飛び火し、あっという間に全世界へ波及した。日本も例外ではなく、トヨタ、キヤノン、ソニーといった日本を代表する大企業さえも、その津波に巻き込まれたようである。しかもその津波の性質は、従来の経済のやり方や考え方の大幅な変更を迫る兆しが見えてきた。
1929年の大恐慌から脱出するためのニューディール政策にならってか、オバマ陣営はいち早く「グリーン・ニューディール」や「グリーン・ジョブ(緑の雇用)」を打ち出したが、それは温暖化対策の必要性と危機に陥ったアメリカ経済とを繋ぐ鍵を「環境(グリーン)」に見出したからと思われる。就任式では、オバマ新大統領は、次のように述べているのが注目される。
「私たちが危機のさなかにあるということは、今やよくわかっている。経済はひどく疲弊している。それは一部の者の強欲と無責任の結果だが、私たちが全体として、困難な選択を行って新しい時代に備えることが出来なかった結果でもある。」
「あらゆるところに、なすべき仕事がある。経済状況は、力強く迅速な行動を求めている。私たちは行動する。新たな雇用を創出するだけではなく、成長への新たな基盤を築くためにだ。商業の糧となり、人々を結びつけるように、道路や橋、配電網やデジタル回線を築く。科学を本来の姿に再建し、技術の脅威的な力を使って、医療の質を高め、コストを下げる。そして太陽や風、大地のエネルギーを利用し、車や工場の稼働に用いる。」と。
このようなオバマ氏の公約がどのように実行され、どのような成果をもたらすかに私も世界も凝視しているが、うれしいことに大統領就任から1週間も経たない1月26日、グッドニュースが飛び込んできた。それは、前政権の決定を覆し、自動車排ガス中のCO2を3割削減することなどを目指すカリフォルニア州の独自規制を連邦政府としても許可する方針をオバマ大統領自ら表明したことである(これの関連記事は本欄の04年5月号、06年12月号)。私としては、このような政策判断がこの後も適時適切に続くことを期待している。
さて、日本の温暖化政治はどうであろうか。小泉内閣は、何事にせよ「ブッシュ追随」ばかりで主体性がないと、よく批判されたが、こと温暖化対策については、ブッシュ路線と袂を分かち、京都議定書を国会で全会一致での批准に導いた。
小泉路線を継いだ安倍首相は07年6月のハイリゲンダム・サミットで、EUが科学の警告を尊重して打ち出していた「2050年までに世界の温室ガス半減」の流れに日本の首相としては初めて乗り、「50年半減」を国際的な相場にするのに貢献したものの、そのフォローもしないままに政権を投げ出してしまった。福田首相は、洞爺湖サミットの議長として、最重要な議題となっていた温暖化問題についてはかなり勉強し、6月には、「福田ビジョン」を発表した。
これは、従来の官僚作文には見られない意欲的な政策パッケージとして民間の知恵を入れて作ったもので、それを引っ提げて福田氏はサミットに臨み、それなりの成果も挙げた。しかし、その福田氏も9月には政権を降り、退任の記者会見で、在任中の業績をいくつも挙げた中で、あれほど力を入れているように見えた温暖化対策については、意外にも、一言の言及もなかった。それは、福田氏が単に言い忘れてしまったのか、それとも温暖化問題は、彼にとっては全力を挙げて取り組む課題というよりは、サミットを乗り切るための「必須科目」でしかなかったためなのか、私には今もって疑問として残っている。
昨年9月に発足した麻生内閣は、ドタバタ迷走中だが、温暖化対策について言えば、福田前首相からの宿題に一応は取り組んでいる。まず、温室効果ガスの国内排出量取引の試行実施については、予定通り10月にスタートさせた。しかしながら、この「日本型」排出量取引は、経団連の自主行動計画を下敷きにしているだけに、参加する企業の排出枠を自主的な設定に任せ(その方式も総量規制か原単位規制かも含め、自由)、未達成の場合の罰則などもついていない。というわけで、多くの専門家からは、これは名ばかりで、国際的には通用しない、シマリのない取引制度であると批判されている。オバマ新政権が公約通り排出量取引を全国的に実施すれば、EU諸国と一緒に「大西洋炭素市場」が出現する可能性は大きい。今のままでは、ここでも日本は置いてけぼりになってしまう。
もう一つの宿題である2020年までの削減中期目標を検討する委員会も動き出した。状況から推察すると、麻生内閣は野心的で効果的な中期目標の設定にたどり着けるとはとても思えない。日本は、個々の技術では世界で有数なものを持っているので、それを活用し、推進するには制度をつくることが不可欠であるのに、そのための政治・行政力を欠いていることが残念でならない。
斉藤環境大臣は、オバマ氏の動きに触発されたのか、「日本版グリーン・ニューディール」なるものを作ろうと、かなり意欲的のようだが、環境省が持つ予算の枠内では、到底オバマ政権のような大胆な政策は打ち出せまい。仮に打ち出したとしても、2010年度以降の実施と見られており、例によって「Too little too late,(少なすぎで、遅すぎ)」と、見劣りする可能性が大きい。
一方、野党のうち、民主党を見ると、地球温暖化対策基本法の制定、そして中期目標は、20年までに90年比25%削減、長期目標は、50年より早い時期に90年比60%超削減を謳い、政策手段としてはEU並に上限枠を個々の排出源に配分した国内排出量取引市場を作り、海外市場とのリンクを図り、さらに地球温暖化対策税の創設を目指すなど、政権与党に比べれば、はるかにすっきりと歯切れはよいが、民主党が政権与党となった時、公約通り実行できるであろうかという不安は強く残る。
従って、日本にどのような本格政権が発足するか、そしてその政権がどの程度、温暖化問題の重大性と戦略性を認識するとともにその危機を経済と私たちの生活の再建に転換できるかの「環境力」に日本の未来は掛かっている。
さて、現時点で日本の政治がもたついている原因はどこにあるのであろうか。根本的な原因は、日本をどのような社会に作り変えていくかという明確なビジョンとそれを達成するのに必要な政治的な意志と国民の強力なサポートが欠けていることにあると考える。私としては、経済の成長や効率にあまりにも大きなウエイトを置いた政策から、生命と経済の基盤である環境の保全に国の主軸を据え直した「環境文明社会」づくりに、政策の方向を大転換し、そこで新しい経済政策、新しい教育、都市・農村づくり、交通体系づくり…を積み上げてゆくしかないと思っている。