2009年4月号会報 巻頭言「風」より

今度こそ、自力で道を拓きたい

加藤 三郎


ペリー、マッカーサー、そしてオバマ?

私は子供の頃から日本の歴史が好きで、いろいろと読みあさってきた。その過程で、日本も他の国と同様、その発展過程から生ずる必然や、自国には直接関係のない偶然によって歴史が形作られ、成功や失敗を繰り返しながら、日々が積み重ねられ、歴史となるのを見てきた。どの時代にも、ゆったりとおだやかに流れている時期もあれば、急にコースを変え、国のあり方、統治の仕方を原理的に大きく変える一大転換点があることも読み取ってきた。

その転換点は、近世の日本では、私の考えでは、これまでに3つある。第1の転換点は、幕藩体制を築き、鎖国政策を導入した17世紀前半の徳川時代。2つ目はその幕藩・鎖国体制を廃止し、西洋列強に伍して国民国家をつくりあげた明治維新。3つ目は、帝国憲法の下、軍事国家へと変貌したが、敗戦によって新たな憲法を受け入れ、平和と人権を守りながら、産業・貿易国家として再生した時期の3つである。

第1の転換点は、周知のように徳川家康、秀忠、家光の三代の将軍によって完成し、その後、二世紀余に亘って厳格に維持された江戸時代の基本構造を形作った時期。問題は、第2、第3の転換点が誰によってもたらされたかだ。いずれの場合も、国内における長く苦しい努力や緊張を伴う闘争を経つつも、大転換の引き金を直接引いたのは、ペリー提督とマッカーサー元帥という、アメリカ合衆国の軍人であった事実に、深い感慨を覚えてきた。

もう少し立ち入って眺めてみると、第2の明治維新の場合は、鎖国下にも拘わらず、杉田玄白や前野良沢らの医師グループによる蘭学の組織的な勉強を通じて、西洋事情がかなり知られることになり、特に19世紀に入ると西洋の軍艦も日本近海へ出没するようになる。さらに中国が英仏連合軍に敗れ、屈辱的な南京条約を結ばされ(1842年)、香港などが取り上げられたという衝撃的な事実についても、幕府当局者や一部の知識人たちは、オランダや中国の商船からかなり詳しい情報を得ていた。従って、鎖国政策が、日本の独立と平和を保障しない時代を迎えたことを先覚者はもとより徳川政権の中枢部でも感じ始め、対応策の検討も密かに開始されていた。しかし意見が錯綜し、幕府自身の手によって政策の大転換は出来ないでいた。

その転換を促したのは、軍事力を背景に幕府に迫ったペリー提督指揮下の艦隊の出現(1853年)と翌年の日米和親条約の締結である。ペリーが浦賀沖に出現して以来、電信、電話などの通信機器がない時代にも拘わらず、わずか15年で幕府が瓦解し、新時代が奔流となって動き出した速さや激しさには驚くばかりだ。

第3の転換についても、日本が日清、日露戦争に次いで、第一次世界大戦においても戦勝国となったことなどがはずみとなり、明治憲法の下で、急速に軍事国家へと変貌していった日本の歴史はよく知られている。それに対し、国内で異議を唱える者がいなかったわけではない。大規模な自由民権運動などを経て制定された帝国憲法下で国会も開設され、大正時代には民主化運動も経験していた。そのため、1930年代以降、アジア諸国を蹂躙しつつ、軍事大国化していくことに対し、危惧の念や抵抗はかなりあった。しかし、日本自身の力でその流れを阻止し、転換することは結局できなかったために、アメリカを中心とする軍事力と激しく衝突し、そして敗退した。その結果、マッカーサー元帥に代表されるアメリカの国家意思の下で、帝国憲法体制が解体され、現行の憲法になり、近代的な産業国家化への道が新たに拓かれた。この時も、直接的にはアメリカ軍人の手によって道がこじ開けられたことになる。

さて、問題はこれからにある。地球環境の悪化とともに、不平等や貧困の拡大を始め、社会面の劣化が無視し得なくなり、これまでの化石燃料を駆動力とし、物的な豊かさや快適性を求める大量生産、大量消費に頼る経済は持続不可能で行き詰りつつある。これを克服する、新たな社会への転換、つまり第4の転換は、今度こそ日本人自らが主体となって行うべきだと私たちは考え、奮闘しているつもりだが、残念ながらその成果は未だ見えないでいた。

しかし、ついに転換点はやってきた。昨年の秋以来、日本を含め世界の経済が、激しい混乱と縮小を迎えつつある今、人類の生存と経済活動の基盤である環境を守りながら、持続可能な形で経済を立て直すという課題が一気に浮上した。現時点では、その課題を明確に意識し、回答を示そうとしている政治家は、グリーン・ニューディール政策を掲げて動き出したオバマ大統領のように思われる。この政策はまだ始まったばかりで、時代が必要としている変化を実現し得るかは未知数であるが、経済社会が向かうべき方向を明示し、大胆に踏み出したことは間違いなかろう。

果たせるかな、今回も、「日本版」グリーン・ニューディールをやろうと、都合の良いところだけオバマに相乗りする動きが日本の政治・経済の中枢部から出ている。例えば、オバマ政権のグリーン・ニューディールの実施財源としては、排出量取引から得られる収入を当てようとしていることや、風力やバイオマスも対象に入れているなどの肝心なことは、日本では目をつぶったままだ。

社会崩壊の先には「環境文明社会」

本稿執筆中も、株価の乱高下、貿易や生産量の縮小、消費の減退、雇用の悪化などの報道が連日つづき、これまでの「経済」がギシギシと音を立てて壊れていく気配だ。つまり単なる景気循環ではなく、経済そのものの内容が大きく変化しつつあることを示していると思われる。1月13日付の日経の紙面は、日米2人のトップ経営者の興味ある話を次のように伝えている。

1人は、J.フロント リテイリングの奥田務社長で、「小売業が心に留めておかなければならないのは、景気が回復してもかつてのような大量消費社会には戻らないということだ。不況に加え、ライフスタイルの変化という構造変化が同時進行している。消費の成熟化ともいえるが、景気が良くなればモノが売れるという時代はもはややってこない。」

一方、世界最大の小売業ウォルマートのCEOスコット氏は、「米国民の消費パターンは根底から変わってしまった。景気が回復しても簡単にはもとには戻らないのではないか」という意見である。

経済学者、例えば、ノーベル経済学賞を受賞した米コロンビア大学のスティグリッツ教授は、「この危機をきっかけに、新自由主義は終わりを迎えなければならないと思う。規制緩和と自由化が経済的効率をもたらすという見解は行き詰った。ベルリンの壁の崩壊で、共産主義が欠陥のある思想であると誰もが理解したように、新自由主義と市場原理主義は欠陥のある思想であることをほとんどの人々が理解した(08年11月3日付朝日新聞)」との見解だ。

このように、実業家も学者も、経済の中身が変わりつつあることを明瞭に語っている。私たちも長いこと、大量生産・大量消費の経済は、有限な地球環境の中では持続可能ではないと主張し、持続可能な社会を維持する「グリーン経済」について地球環境の悪化や資源枯渇の面のみならず、食・農や働き方、購買行動や地域の伝統文化の面から切り込んで検討してきたが、まさかサブプライムローン問題が直接のきっかけとなって、世界の経済を巡る風景が半年足らずの間にこれほどまでに変わってしまうとは思っていなかった。

だからと言って私たちの主張が間違っていたわけではない。むしろ、これまでの主張が、未曾有の経済不況という形を伴って、現実化へ向けて大きく動き出したと考えるべきであり、私たちはさらに前に進まなければならない。その方向は、昨年12月号の本欄で述べた「環境文明社会」を築くことだと考えている。この環境文明社会こそが、崩壊しつつある20世紀型経済社会の先にある希望であり、その中身を深く検討し、ロードマップを描き、社会に広くその実現を働きかけることが、私たちのミッションではなかろうか。

そうすることが過去において、ペリーやマッカーサーらの力を借りて実現した日本社会の転換を、今度は自分たちの力で切り拓くことなのだと覚悟を固めているが、会員の皆様はいかがお考えだろうか。