2009年6月号会報 巻頭言「風」より
野心的な「中期目標」こそ、日本の発展に不可欠
加藤三郎
主張のポイント
- 「中期目標」を巡り、経団連の一部業界が展開している、対策コストの「均等」論は、あまりに内向きで、国際社会の理解は得られない。
- 科学からの警告と70年代の経験を教訓として、野心的な「中期目標」を揚げ、その達成に全力を挙げるべきだ。
- 産業界の中にいる多数の良識派とも手を携えて、希望の持てる日本の再建に挑戦したい。
本誌が届く頃には、麻生内閣は、年末にコペンハーゲンで開催される温暖化防止交渉会議(COP15)の主要争点ともなる温室効果ガス削減の「中期目標」を決定していると思われる。COP15は、中期目標だけを議論する場ではないが、この問題が、日本を含む先進国にとって当面の重要課題であるので、私の考えを述べておきたい。
そもそも、この中期目標を巡る議論の直接の出発点は、国連に結集した専門家(IPCC)からの報告書が07年に出されたことだ。この中でIPCCは、6つのカテゴリーに整理して、CO2の排出と濃度上昇(現在は380ppmをはるかに超し、年間、2ppm近く増加し続けている)に伴って気温がどれほど上昇するかを人間活動が拡大した産業革命前からの気温上昇として示した。
この科学的知見を受けてEU首脳は、域内においては2020年に、90年レベル比で20%の削減を決めるとともに、気温上昇を産業革命以前から2℃以内に抑えるため、世界の温室効果ガスの排出総量を50年までに半減するよう提案していた。なぜ「半減」かを一口で言えば、地球温暖化がこのまま進行し、2℃を超えて世界が許容し難い破局的な事態に陥ることを避けるためには、世界の排出総量を2050年までには少なくとも半減することが不可避との科学的認識をベースにしていた。
この年6月、ドイツのハイリゲンダムで、先進国首脳会議(G8)が開催された際、当時の安倍首相は、議長のメルケル首相らとともに、50年までに半減することを提案した。安倍氏は、その当時の日本における議論、特に経団連や経済産業省の議論からするとかなり野心的な提案をしたことになる。ただ、ブッシュ大統領の反対により、「世界で半減」は合意には至らなかったが、半減を「検討する」ところにまでブッシュも歩み寄った。
さて、その安倍首相は、ご存じの経緯で、9月には政権を投げ出してしまった。後を継いだ福田首相は、翌年に控えた洞爺湖サミットで議長を務めることもあってか、温暖化政策には熱心に取り組み、6月に「福田ビジョン」を発表した。このビジョンについては、今ではあまり語られなくなっているが、福田首相のポリシーを民間の知恵を入れて大胆に表明した。すなわち、「地球温暖化による影響が既に顕在化している中、この危険な状況から脱出するためには、CO2の濃度を安定させることが必要。そのためには、2050年までに世界全体でCO2排出量の半減を目指さなければならない。これは、日本の根幹をなす削減構想であり、G8や中・印を含む主要排出国との間で、この目標の共有を目指す。日本としても50年までの長期目標として、現状から60~80%の削減を掲げて低炭素社会の実現を目指す」と。
この福田ビジョン発表の1か月後に洞爺湖サミットが開催され、本件に関するG8首脳間の主な合意は、①50年までに世界全体の排出量の少なくとも半減を達成するビジョンを全ての国と共有し、温暖化条約の交渉において、これを採択することを求める。②この長期目標を達成するための中期目標と国家計画が必要。G8首脳は、自らの指導的役割を認識し、排出量の絶対的削減を達成するため、野心的な中期の国別総量削減を実施する。③国内および国家間の排出量取引、排出規制、料金、税金、消費者ラベルなどの市場メカニズムは、民間部門に経済的インセンティブを与える潜在力を有し、費用対効果の高い方法で、排出量削減を実現し、長期的な技術革新に刺激を与えるのに役立つことを認識する、というもの。
以上が、今から1年前の洞爺湖における合意事項であった。しかしながら、福田氏も2か月後には辞任してしまい、麻生首相が温暖化対策も引き継いだが、日本の中期目標の設定が、大きな政治課題に浮上した。そこで政府は、この議論を整理するため「中期目標検討委員会」を設け、何度も議論を重ねて6案にまとめ、この中から麻生首相が6月までに決断することになった。
なお、麻生さんが就任した後、オバマ政権が誕生し、ブッシュ時代とは180度異なる積極的な温暖化対策を国内外で打ち出した。すなわち、直ちに中期、長期の削減目標を掲げ、その達成のための有力な手段として、排出量取引を2012年までに全米で導入することを明確にし、さらに大気浄化法(Clean Air Act )に基づいて、自動車からのCO2排出規制を行う方針を打ち出した。また、連邦議会においては、排出量取引収入を見込んだ予算案と法案の審議が始まっている。国際的にも、米国がリーダーシップを取り戻す旨表明しており、既にEU首脳とオバマ大統領との間で、連携して対策を取るとの合意がなされている。
一方、日本を見ると、鉄鋼、電力などの経団連の有力部門からは、相変わらず慎重というよりネガティブな発言が繰り返されている。経団連の御手洗会長は、中期削減目標としては、90年比で4%増の案しかない趣旨の発言をしているが、これは京都議定書の削減公約すらも大幅に下回る目標であり、これが日本の財界リーダーの発言かと耳を疑うような内容である。さすがに、斉藤鉄夫環境大臣も「これでは世界の笑いものになる」と厳しく批判している。
私は、そもそもこの6案の作られ方にも甚だ疑問を感じるが、産業側から出されているいくつかの案は、いずれも対策を実行するとこれほどコストがかかる(GDPは減少し、失業率は増え、所帯の可処分所得が減り、光熱費が増えるなど)ことをひたすら強調している。しかし、温暖化対策を怠ったとき、起こりうる様々なタイプの被害については算定していない。お金がかかるから対策はしたくないと言っているにほぼ等しい。世界は今、温暖化対策を中核とするグリーン・ニューディールを実施して経済も雇用も浮上させようとしているのにだ。これでは日本は世界をリードするどころか、まともに相手にもされないだろう。
同じことは各国間の公平論についてもいえる。産業界の首脳の間では、日本は乾いたぞうきん状況であって、削減する余地はないとの認識のようであるが、私もそして多くの外国の専門家もそうは思っていない。例えば、世界自然保護基金(WWF)が昨年7月に発表したG8 各国の温暖化対策ランキングでは日本は5位、また、少し前だが世銀の削減進展ランキングにいたっては、70ヶ国中62位であった。世界の目は決して甘くないのだ。
今回の6案の中で特に不可解な議論は、CO2を削減する限界費用を先進国間で均等にせよ、あるいはGDP当たりの対策費用も均等にせよとの主張である。08年2月号の本欄でも述べているように、国や企業間の公平は重要であるが、何が「公平」かは、様々な議論がある。もし対策コストの均衡論を本気に主張し、競争条件を合わせようというのであれば、コストに関連する諸条件も合わせなければならない。ヨーロッパの多くの国は環境税も排出量取引も導入している。日本にはその2つともない。この他、勤務時間などの労働・福祉条件も同じでない。為替レートも日々変化している中で、対策コストを均等にせよという議論が国内では通用したとしても、国際社会でどうして通用するであろうか。こういう事には触れないで、単に限界費用を各国間で均等にせよという内向きの議論では世界の納得は得られない。
最も重要なのは、現実を直視し、まともな科学の警告に耳を傾け、真正面から取り組むことである。確かに現実は厳しく、課題は大きいが、意思さえあればピンチはチャンスに変えられる。70年代に産業公害やエネルギー危機に直面した日本が真正面から取り組み、産官民が歯を食いしばって取り組んだ結果、素晴らしい成果を出した。なぜ、あのような努力を温暖化問題に対してもしないのか。温暖化の危機が言われて久しいのに、アメリカの自動車業界がそれを無視して、燃料効率の悪い大型車を作り続けた結果が、今見るGM、クライスラーの破綻である。日本の経済界が70年代の教訓や目の前で起こっている現実を無視して、自分に都合のいい議論に固執していては、世界を味方にすることは出来ない。
私たちは、日本の産業界の中に沢山いる、良識を持ち、未来を見据えている人たちとも手を携えて挑戦したいと思っている。それこそが、日本を今の苦境から救い出し、青年や子供たちが希望を持てる国に再建することだと信じるからだ。