2010年1月号会報 巻頭言「風」より

危険水域に一歩近づいた人類社会
ーCOP15「失速」の意味するものー

加藤 三郎


2013年以降の地球温暖化対策の枠組みを決めることとなっていたCOP15(コペンハーゲンで開催された国連会議)は、会期を一日延ばし、19日に終了した。しかし、そこでの成果は乏しく、これまでのサミット会合などで積み上げてきた合意事項を一歩も超えておらず、むしろ後退気味になり、残念ながら「失速」したと言わざるを得ない状況と思われる。鳩山首相、オバマ大統領、温家宝首相、インドのシン首相を含む100人を超す首脳が温暖化対策のためだけに集まるので、2年に及ぶ準備期間中に閣僚レベルでも乗り越えられないでいた難問題も、それなりに納得のいく打開策を見出してくれるものと私たちは強く期待していたので、落胆を禁じ得ない。

NGOなどの3万人を超す交渉関係者以外の人々も世界中から集まり、それぞれの思いを口々に訴えていたので、彼等もおそらくは失望しながらコペンハーゲンから帰っていったのではなかろうか。この失速の意味するものは、主要国の首脳すらも、経済開発や成長を追求するという国益の擁護にまわってしまい、人類の存続をも危うくする温暖化に立ち向かう地球益の方は二の次にせざるを得ない現実を露呈したということだろう。今回の結末を見ていると、先延ばしされた2013年以降の枠組みが、来年のCOP16で、合意に至るのか心配だ。人類社会は危険水域に一歩近付いたのではと暗い気持ちにならざるを得ない。

そもそも、地球温暖化問題が国の政治レベルで、検討の課題に上ったのは、今から20年ほど前である。国連の気象庁(WMO)と環境庁(UNEP)とが座元になって、気候変動問題を専門的に検討するパネル「IPCC」を設立し、そこに、人類社会の持続性と安定を脅かす気候変動をもたらす地球温暖化に関するあらゆる科学的なデータを持ち寄り、分析して、その成果を国連での審議に供することとしたのである。

IPCCは、1990年以来、4回に亘って、その時どきの最新・最良のレポートを公表しているが、我々が持っている公式の最新レポートは、2007年版である。その時から、COP15は、重大な責務を帯びて、準備が重ねられてきた。振り返ってみれば、過去20年ほどの間に、大きな出来事が沢山あったが、その第一に上げるべきは、温暖化に伴う気候変動の被害が、科学者の予見に沿った形で、世界各地で、現実のものになってきたことである。IPCCに結集する科学者の知見も、20年前と比べると格段と確実になってきている。しかも、気候変動の人類社会への脅威は、一層大きくなる方向を指し示し、ここ数年のデータは、科学者が警告を発した以上に深刻な影響が世界各地で現れていることである。

この間、政治・経済的には、中国・インド・ブラジルなどに代表される新興国の経済力が一段と拡大し、それに応じて、世界における発言力も顕著に増してきた。地球温暖化問題が最初に取り上げられた20年前と今とでは、中国・インドなど新興国の温暖化ガス排出量は、激増している。その一方で、アメリカ、EU、日本などの先進国は、いずれも経済はある程度は伸びたものの、国内に社会経済上の深刻な課題を抱え込み、国際的な影響力は、相対的には低下しつつある。

そのような中で迎えたCOP15であるだけに、政治力を相対的には低下しつつある先進国と影響力を増大させつつある新興途上国との間で、本来ならばより適切な役割と責任の在り方が建設的に議論され、人類社会の健全な発展のための枠組みと見取り図が描かれるべきであったのにも拘わらず、先進国、途上国の間の不毛な対立の構図を解きほぐすことが出来なかった。今後のより厳しい交渉のことを考えると先行きが憂慮される。

しかしここで挫けていられない事情がある。地球温暖化に伴う気候変動そのものは、人間界でのゴタゴタにも拘わらず進行している。世界各地で異常な気象現象は頻発し、様々な悪影響が人間社会のみならず、生物界にも及んでいる。それは陸上での豪雨や干ばつによる災害や、食糧・水資源への悪影響から、昇温と酸性化の進む海中の生物や水産資源にも、取り返しのつかないようなインパクトを与えつつあるようである。生態系での変化ついては、来年10月、名古屋で開催される生物多様性の保護に関する国連会議(COP10)に向けて、次々に科学が明らかにするであろう。

そのような事態が益々顕著になり、人類社会の健全な存続を保障する気候システムや生態系の破壊を前にしても、なお、今回のように経済中心の国益に固執することは許されない政治環境が、やがて国際的に醸成されるに違いない。

従って私たち、特に政治のリーダーは、そう遠くない時にやってくるであろう生き残りをかけたより厳しい国際交渉に備えて、あらゆる準備をしなければならない。例えば、真の国益とは何か、将来世代を含む人類社会全体の利益は誰がどう守るのか、食糧、水、資源などの弱肉強食的な争奪や人口の大量移動を回避するための国際社会のルールをどこでどう決めるのか、そのルールを確実に担保する組織や実行方法はどうするのか、すなわち国連の機構とそこでの合意の形成や決定方法は今のままでよいのかといった重い課題にいよいよ挑戦する必要性を今回の失速は、図らずも浮彫りにした。