2010年2月号会報 巻頭言「風」より

ハイブリッドな価値システム
ー現代版・和魂洋才のすすめー

加藤 三郎


この1月、『環境の思想―「足るを知る」生き方のススメ―』と題する本をプレジデント社から出版した。本の骨格は、①持続性に関する日本の伝統的知恵とは何か②その知恵はどのように育まれ、継承されてきたか③その知恵は現代の経済社会でどのような意義を持ち、その知恵を生かして輝いている事例はあるのか④その知恵を現代に力強く生かすにはどうしたらよいのか、の考察となっている。

本誌で何度も紹介したように、江戸時代以前の伝統社会の知恵を分析して、私たちは「モノより心」「自然との共生」「足るを知る」「循環思想」「調和を保つ」「精神の自由」「先人を大切にする」そして「次世代を愛し、育てる」の8つにまとめた。そして、このような知恵が、今でも活かされている事例を、藤村コノヱさんとスタッフ、それに会員仲間が手分けをして調査もした。

これと並行して、江戸時代に基礎教育を受けた後に西洋文明と出会い、真剣に向きあった福沢諭吉、田中正造、夏目漱石の三人のケースについても調べてみた。

その成果を一冊の本にするには、どのような形で、一般の読者に手に取ってもらえる内容にするかが問題となった。8つの知恵を並べ、事例を紹介しただけでは足りず、知恵と現代とを結ぶコンセプトが必要だ。それを探り当て、どう表現するか出版社の編集企画者と繰り返し検討した。

言うまでもなく、私たちの生活やビジネスは、政治的には民主主義、経済面では科学技術や金融システムなどによって支えられている。携帯、パソコン、自動車、新幹線、飛行機、金融機関などのシステムがなければ、一日も生活が成り立たない。しかも、あらゆる面でグローバル化している。生産・消費活動も金融も政治も全て瞬時に世界と繋がり、世界からのインパクトを常に受けている。そのような時代にあって、伝統社会が持っていた知恵はどのような意味で役に立つのかを明らかにすることがこの本をつくるポイントだ。

私たちがこのテーマに取り組み、苦しんでいる間にも、社会では様々な出来事が起こった。科学技術がもたらす多様な影の部分 (地球温暖化、化学物質汚染など) が、益々多くの人に認識され、意識されるようになってきた。また、金融システムを担う人のなかには、強欲で倫理に欠ける人が少なくないことも見えてきた。つまり、私たちが身を任せているシステムは、致命的とは言えないまでも、それに近い欠陥があることも明らかになってきた。

その欠陥を正すための処方薬としては、伝統社会の知恵が有効なのではないかとかねてから抱いていた思いが、このような状況を前にして確信に変わった。端的な例としては、強欲に対して「足るを知る」であり、止まることのない科学技術の膨張に対しては、自然の生態系を損なわず「自然と共生」し得る範囲内に留まることが賢明だと自信をもって言える。また、「子供や先人を大切にしない」社会や政治が、結局、私たちの現在と未来に何をもたらすかも明らかになってきた。

こう考えると、私たちが依拠している政治、経済、科学技術といった欧米起源のシステムが人間の真のニーズを満たすよう機能するためには、その基盤に、伝統社会の価値や知恵を据え、そのコントロールを受けることの重要性が見えてきた。それを私は「ハイブリッドな価値システム」と表現するようになった(図参照)。

「ハイブリッドな価値システム」というと今風な表現ではあるが、振り返ってみると、私たちの先輩たちが明治維新に際して西洋文明と向き合った時に、違った表現ではあるが、同じ思いを発していることにも思い至った。例えば、佐久間象山は、黒船に象徴される西洋の圧倒的な軍事力、技術力を前にして、「東洋道徳、西洋芸術」を主張し、日本には誇るべき道徳があると叫んでいる。また、明治の先輩たちは滔々と流れ込んできた西洋のシステムに向き合う心を「和魂洋才」と呼び、和魂の有効性を忘れなかった。同じころ、「日本の実業界の父」渋沢栄一は、「士魂商才」という言葉で、武士的倫理観の必要性と有効性とを強調している(『論語と算盤』)。従って、日本の伝統思想、知恵を現代に活用するという意図は、実は、私たちの発明ではなく、先輩たちは、西洋文明に遭遇したときから気が付き、力強く主張していたということも併せ知ることとなった。

今、日本も世界も揺れに揺れている。かつて盤石と思われていた欧米のシステムも様々な欠陥を露呈している。そして、東洋にあってそのシステムをいち早く取り入れ、使いこなしてきた日本人も、現代の欧米人と同じく、混乱から抜け出す道を探しあぐねている。そのような中にあって、「ハイブリッドな価値システム」という現代版の和魂洋才に気づき、それを活用していくことが日本だけでなく世界にとっても有益であると思い、その思いを『環境の思想』の中に展開した。多くの人に手に取ってもらい、読んで考えてもらえれば幸いである。