2010年5月号会報 巻頭言「風」より

持続可能な環境文明社会を目指して

加藤 三郎・藤村 コノヱ


本号を以て、本誌『環境と文明』が通巻200号となりました。創刊から16年と8ヵ月経ったことになります。会員の皆様、執筆投稿いただいた皆様、そしてそれを受け止め編集発送作業を続けた事務局スタッフに対し、心より感謝します。この激変する世の中で、ほぼ同じスタイルで淡々と一号も欠かさず出し続けてこられたことをうれしく、誇りに思います。

座して待つか、働きかけるか

当会は1993年9月に発足しましたが、それに先立つ2ヵ月前に会の事務局となる環境・文明研究所を川崎市中原区で立ちあげました。創立時には、私と藤村コノヱさんのほかに、途上国の衛生改善に活躍していた鈴木猛さん、財団法人環境衛生センター出身で雑誌編集に長けていた古谷野加代さん、コノヱさんの元同僚だった荒田鉄二さんの5人が事務局を担いました。

この5人が、この会をどのような性格のものにするか、会報をどんな形で出していくか、また、編集はどう行うかなどについて、議論を重ね、8月下旬には会報のスタイルを作り上げました。第44号から頁数を12から16に拡大した以外は、基本的には変わりなく、発行し続けてきました。当時の編集長は鈴木猛さん。彼は大変な読書家でもあり、文明論など大好きな先生でした。

第1号は93年10月に発行。その巻頭言に相当する『風』欄で私が呼び掛けたのは、「座して待つか、働きかけるか」でした。その中で地球の温暖化など環境問題と絡めて、次のように述べています。

「(20世紀型の)文明は生活の血や肉になっており、その変更には大きな苦痛や困難がともなうであろう。しかし、地球環境の危機、ひいては人類社会の危機を座して待つわけにはいかない」と。

この「座して待つか、働きかけるか」という呼びかけ自体は、今日まで、私の心の中でどっしりと居座っています。この間に温暖化問題はますます重大になってきておりますし、社会のひずみも目立ち、政治も流動化・漂流化し、混沌としてきております。私たちは今でも、日本がこのまま混迷衰退の淵に沈んでいくのを「座して待つわけにはいかない」との思いは少しも変わっていないからです。

改めて振り返ってみると、日本の社会はこの間に誠に大きな変化がありました。いくつかあげてみますと、細川首相から現在の鳩山首相まで、11人の首相が登場し、退場していきました。そして、昨年には自民党を中心とする政治体制が崩壊し、新しい政権が出来ましたが、この政権もまた、極めて流動的な状況にあります。

人口の減少や高齢化のインパクトは大きく、地方の大学が寂れていく、商店街がシャッター街に変わっていく、一方で医療費や社会保障関係予算は毎年増加し、将来のための投資の余地を奪っている結果となっています。

インターネットが社会の隅々までに入り込んで、その影の部分もまた深刻になってきています。働く現場では、就労者の3分の1が非正規雇用で否応なしに格差が拡大しています。自殺者の数も毎年のように3万人を超えるという状況です。

少し挙げただけでもこのような大変化が見て取れますが、そうした中にあっても、この会報が、創刊時のスタイルと志とを維持してこられたことは奇跡と言ってもよいかも知れません。

さて、私たちは本文末尾に示すように様々なことを手掛けてきましたが、今になって考えますと、全ては「持続可能な環境文明社会」に至るための主要な要素を創り出す作業であったと言っても過言ではないと思います。古くからの会員さんはご存じだと思いますが、設立した時は、私たちは「持続可能な循環社会」を創ると言っておりました。当時、循環型社会づくりは、行政でも大きな課題であり、私自身も、リサイクル問題にも深く係わっていましたので、当会の使命も「持続可能な循環社会」と規定しました。

今世紀に入っては、温暖化に絡めて「低炭素」も大きなテーマになりました。低炭素ももちろん重要ですが、私たちが目指す社会は単にCO2の排出が少なければ良いというものではなく、もっと幅広いもの、つまり、政治・経済、技術、教育、文化といった全般の見直しが必要ですので、目指すべき社会として名前を付けるとすれば「持続可能な環境文明社会」の方がより端的だと思うようになりました。つまり、経済の規模拡大や効率の追求に過大なウエイトを置いてきた結果、もっとも失われ、危険なレベルに至っている環境をもう一度再生することを社会運営の主軸に据え直してみようという提案です。

私たちは、環境分野に数多くある会報の類の中にあっても、本会報は良質な環境オピニオンを提供し続けてきたメディアだと自負しております。この良質さを会員の皆様のご参加やご支援のもとで維持向上しながら発行を続けていけたら、これに勝る喜びはないと思っております。 (加藤)

市民を巻き込む活動を

会報がこの号で200号になる。発送が終わったと思ったら直ぐに次号の編集が始まるといった具合で、常に追われながら編集作業をしている身からすると、一度も休むことなく継続できたことは、ある意味、奇跡に近い様な気もする。

当初からの会員さんならご記憶にあると思うが、創刊号から84号(2000年9月号)までは鈴木猛理事が編集人を務めていた。当時先生は既に70を過ぎていたが、すごい読書家で「ぼくの環境・文明論ノート」を連載するなど文章力にも長けており、会報の編集をとても楽しんでおられると同時に並々ならぬ情熱も注いでいた。その後、先生が急逝されたのを機に私が編集人を引き継ぐことになった。先生のあまりの偉大さに当初は戸惑うこともあったが、加籐共同代表に助けられながら、編集担当の田尻さんと3人で、なんとか200号までこぎつけることができた。

200号を迎えるにあたり、若手の会員さんや当会の活動に継続的に係わってくれている数名の方に会報も含めての当会の今後について寄稿して頂いた。詳細は各々の寄稿を見て頂きたいが、かいつまんで言うと、環境文明社会の将来像を描きながらも日本社会の衰退を防ぐ具体策を、掛け声だけでなく練られた戦略・取り組みを、環境と経済の統合にむけ新たな経済の在り方を探求し大胆な提案を、シンプルで奥深い提言や成功事例を、といった当会の活動内容に関するご意見から、プレスリリースなどの活用といった広報活動へのご意見、さらに当会が持つ“つながり”という財産を若者にまで広げてはどうか、議論を重ねて中期計画を作ってはどうかというような具体的な提案も頂いた。今月号のエッセイで十文字さんが「自然」と「村」の正式な出会いを、ということを書かれているが、要はこれまでの環境文明21の先駆性や羅針盤としての役割である本質的で大胆な提案に加えて、それを出来るだけ具体化し社会に伝え広めながら、社会を巻き込むことも併せて求められる時代になっているのだと思う。

最近言論NPOという団体が、「エクセレントNPO」を提案したが、それによると、「エクセレントNPOとは、自らの使命のもとに、社会の課題に挑み、広く市民の参加を得て課題の解決に向けて成果を出していく。そのために必要な、責任ある活動母体として一定の組織的安定性と刷新性を維持していること。」(『言論NPO』)とある。玉石混淆のNPOの中から、優れたNPOを評価しようという一つの動きだが、この基準を環境文明に当てはめてみると、「自らの使命のもとに」「社会の課題に挑む」「課題の解決に向けて成果を出していく」「責任ある活動母体として安定性と刷新性を維持する」といったことは、ある程度満たしているように思う

が、「広く市民の参加を得て」というあたりがまだまだ弱いように思う。活動実践型のNPOと比べて調査活動や政策提言が中心なため、活動自体が地味で分かりにくく「巻き込み方」が難しい面もある。しかし、これまで環境文明で言い続けたことが現実化しつつある今だからこそ、これまでの成果をできるだけ具体的にして、「市民を巻き込む」ことにつなげていかなければ、これまでの環境文明21の蓄積が無駄になってしまう。昨年、パナソニックの助成を得てホームページを更新したが、これもこれまでの成果や活動自体を出来るだけ多くの人に伝えるためであり、HPの充実は組織の小さいNPOにとっては重要な手段だ。しかし、本当の意味で「市民を巻き込む」には、いまだに解決できていない、それでいて多くの人が知りたいと望んでいること、例えば、温暖化の脅威から抜け出し、それなりの経済活動の中で、人々が心身ともに豊かに暮らせる「環境文明社会」とは具体的にどんな社会なのか、それを実現するために個人や企業、政治は何をすればいいのか、そんな環境文明21がこれまで探求し続けてきた大きな課題に対して、多くの人が共感できるような具体的な方向性と提案を出し続けること、それをこれまで以上に様々な場面で言い続けることではないかと思う。そのためには、研究活動を含めた、これまでの事務局の活動はもとより、部会活動や地域での活動のあり方なども含め、当会のあり方についての本質的な議論を継続的に進めていく必要がある。

そしてこの会報も、これまでのように先駆的な環境思想を伝えることに加えて、それをより具体的にするための議論の場や実例紹介の場を紙面上で作ったり、個別の環境問題だけでなく、政治、経済、教育、技術など広い視点から、環境文明社会について検討を深めていくことも必要かと思う。

しかし事務局だけでは成し得ることには限界がある。是非、会報への投稿や優れた事例の紹介なども含めて、これまで以上に積極的な情報提供をお願いしたいし、会の活動に対してもご支援ご協力を心よりお願いしたい。 (藤村)