2011年2月号会報 巻頭言「風」より

日本は”衰退”するか?(2)

加藤 三郎


私はかねてから、日本の個々の環境・エネルギー技術の中には、世界に冠たるものが幾つもあることを指摘してきた。しかし、個別技術がいかに卓越していても、それを維持し、伸ばす政策が伴わなければ技術力はすぐに停滞してしまう。例えば温暖化対策について言えば、環境税や取引制度や再生可能エネルギーへの支援策、さらには大気汚染防止法の活用による規制などが不可欠だ。こういう政策が伴わなければ、せっかく技術者や企業がよい技術を作りだしても、伸びは止まってしまう。厳しい競争や高いハードルがあって記録が伸びるスポーツなどと何ら変わりはない。70年代の日本の公害体験が明示しているように、賢明な規制は企業に味方する。

このことを繰り返し述べてきたが、残念ながら、経済界首脳の一部、日本の政府というよりはむしろ経済産業省の一部が、規制や税など企業の技術力や競争力を伸ばす契機となる政策を頭から拒否し、それに政権(現政権も)が振り回されてきたことが、日本にとっての不幸だというしかない。

それを改めて感じさせたのが、昨年11月に東京で開かれたOECD環境政策委員会による日本の政策レビューの機会だ。私はそのレビュー報告書の総括コメントを依頼されたので、OECDが日本の環境政策をどう評価しているかを点検してみた。やはり、日本の良い点もきちんと指摘しているが、同時に、欠けている点、弱い点も、遠慮なく指摘している。日本人の間には日本の環境政策・技術は世界に冠たるという思い込みがいまだに強いが、OECDレビューに加わった外国人専門家の目は厳しく、日本の問題点をきちんと突いている。一例を挙げれば、日本の専門家がよく自慢する省エネ法によるトップランナー方式については、もし、これが本当に良い政策であれば、家庭やオフィスからの排出量は減るはず。しかし、個々の機器の排出量は減っても、数や規模が拡大することによって、排出総量は増えている。となると、トップランナー方式は日本人が口を揃えて自慢するほどのものではない、という主旨のことを指摘している。

もう1つ。日本人は自然を愛好し、日本の自然を精一杯守ってきたと言うが、果たして本当にそうなのか。絶滅危惧種は増加し、自然保護関連の予算は増えていない。COP10で合意された生物多様性目標に比べても、日本の現状は大変低いと指摘する。

これらの例が示すように、日本人の多くが、日本は環境大国であると思い込み、足踏みしている間に、世界は進んでおり、取り残されつつあることに気がつかない。まさに、ウサギとカメの物語のようだ。言うまでもなく、私は国を愛し、国を誇りに思いたいので、日本がずるずると後退していくのを見たくない。日本が遠くないうちに形勢を逆転し、再び、日が昇る明るい未来を取り戻し、世界の中で尊敬され、希望を持って生きられるようになってほしいと心から願っている。そのためには、少なくとも次の3つは必要と思う。

その1は、過去の成功体験や独りよがりの思い込みを捨て、常に物事を客観的に見つめ直す努力をすること。そのためには、日本の識者の警告も、また海外の批判的な意見にも耳を傾け、絶えず、自分たちの強み、弱みを点検しながら生きていくべきであろう。その点で言えば、温暖化の科学を巡る財界の一部首脳や学者と称する人たちの見識の無さを見るにつけ、評論家・立花隆氏の著書『脳を鍛える』(新潮社)の中にある言葉が思い出される。それは、「現代社会において、科学と技術が中心的な役割を果たしているというのに、文系の人の知識は驚くほど低い水準にあります。特に高校で、文系の人に対する理科教育の水準が切り下げられてから、また文系の入試で、理科の科目がほとんど無視されるようになってから、それはあきれるほどひどいものになっています。これはとんでもないことです、現代の経済が科学技術に支えられていることを考えると、ほとんど日本を滅ぼすに等しいことと言えます。」

私はこの文章を7年前に読んだとき、国を滅ぼすに等しいとは少々オーバーではないかと思ったが、その後の成り行きを見ると正にその通りになったと実感している。真実を見極める努力を常に怠らず、耳に痛い話を避けたり、苦い良薬を飲むことを避けるのではなく、前進するために常に挑戦することが必要であろう。

2番目は、ここまで日本が後退してくると、教育から立て直すしかない。もちろん、学校教育だけでなく、社会人教育、親の教育も含めて、取り組み直す必要がある。過去半世紀近く、良質な教育を放擲した過ちを正すためには、今後、半世紀近い時間が掛ったとしても、教育から立て直すしかあるまい。その内容については前号本欄で、同僚の藤村コノヱさんが書いているので、ここでは省略する。

3番目はやはり、希望だ。私の好きな言葉に「たゆたえど沈まず」というのがある。これは、若い頃、OECDの環境担当書記官として、パリに住んでいたときに知った言葉だ。幾多の戦乱や、外国による占領といった苦難をパリ市民が乗り越えてきた中で、人々を支え続けた市の紋章にある標語だそうだ。それ以来、私自身も困難に直面した時に「たゆたえど沈まず」と口の中で呟くだけで、勇気をもらったことが一再ならずある。

日本もまた過去に幾多の困難に直面し、揺れ動いたこともあったが、「たゆたえど沈まず」で今日まで来ている。今日の状況をみると、日本の国力の衰えは、しばらくは続くと思うが、日はまた昇ると希望を抱き、先人が歩んできた道を想い、前を見て励んでゆけば、道は自ずと開かれる筈だ。私たち環境文明21のスタッフ一同は、その心構えでゆきたいと念じている。