2011年5月号会報 巻頭言「風」より

改めて原子力発電を考える

藤村 コノヱ


今回の地震と津波は、自然は私たち人間に多くの恵みをもたらす半面、耐えがたい脅威と打撃を与えることを改めて思い起こさせるものでした。 一方、福島原子力発電所事故については、エネルギー問題や原発についてこれまで無関心だった人たちも含め多くの人に考える機会を提供したという点はあるものの、「だから言ったのに!!」という思いと、この原発事故さえなければ、国内の人・モノ・資金の多くが、避けがたい自然災害を被った人々・地域に向けられたのに、という思いで誠に残念です。

原発については、私自身も会報での対談(1997年8月号)や「猛暑の夏に原子力を考える」(2007年9月)などを含め様々な場面で発言してきました。特に「猛暑の…」では、中越沖地震の際の柏崎原発事故を教訓に、地震国日本での原発推進は無理があること、太陽光・風力など再生可能エネルギーも含め多様な電源を確保してこそ安定供給という電力会社の使命が果たせること、そして「将来世代にわたるリスクを負っても原発に依存した快適・便利な生活を選択するか、可能な限りリスクを減らしローテクでも心豊かな生活を選択するか」を一人ひとりが考え判断するための教育の必要性も訴えました。さらに、全ての国民の生命や産業の基盤であるエネルギー政策が、経済産業省・政治家・業界の一部により牛耳られている実態を指摘した上で、業界にとって一番厳しい人の意見を聞くことが最大のリスク管理であることやエネルギー政策の民主化こそが最重要である旨も述べてきました。

こうした指摘は、私だけでなく、真の知識人、当会の会員や他のNPOからも、繰り返しなされてきたことです。にもかかわらず、今回の事故が発生したことは本当に残念でなりませんが、今回の事故で明るみに出た実態から見ると、起こるべくして起きたともいえます。今は早期の収束を祈るばかりですが、これを機に、政治家や専門家と言われる人たちにだけ任せるのではなく、一人ひとりが、これからの日本のエネルギーをどうするのか、その際原発をどう位置付けるのか、真剣に考え判断し行動する必要があると強く感じています。

しかし、このままずるずると行ってしまうのではないかと言う不安も感じています。

最近、新聞などで原発に関連したアンケートを実施していますが、その多くで「安全性を高めながら原発を維持」という回答が50%以上を占めています。さすがに「積極的推進」は少数ですが、これだけの不安の中にあっても、「現状維持・拡大」が「縮小・廃止」を上回っているのです。その理由として最も多いのは「他の電源だけでは、将来のエネルギー需要を賄えない」というものです。

現在日本全体では約30%の電力を原子力で賄っていますが、今回の東電管内での計画停電でかなりの節電ができたことも事実です。実際に新潟県で行われた電力使用量削減の社会実験の結果では、昨年同時期・同時間帯に比べ約17%削減できたそうです。東京でも、例えば、駅の照明が暗くなり、特急や急行の本数が減り、自販機の照明も消されましたが、何の不便もありませんでした。普段の生活である程度削減することは、その気になればできる、ということです。(温暖化防止のためにはなかなか協力してもらえませんでしたが…。)

また、再生可能エネルギーでどの程度賄えるかについては、ドイツでは2050年までに100%という目標を掲げています。日本では、継続審議中の地球温暖化対策基本法案では、「再生可能エネルギーの供給量は、2020年までに一次エネルギー供給量に占める割合を10%に達するようにする」という言い回しです。しかし、現在原子力に費やされている莫大な費用【立地支援だけで年間1476億円、技術開発支援は日本原子力開発機構だけで1790億円(「原発と日本の未来」吉岡斉、岩波ブックレットNo.802)を、小水力なども含む様々な再生可能エネルギーの開発技術や設置補助にまわせば、もっともっと増やせるはずです。

すなわち、みんなの努力で無駄を削り15%程度電力消費量を削減し、再生可能エネルギーで20%賄うようにすれば、脱原発は可能と言うことです。再生可能エネルギーでは安定供給できないといわれてきましたが、原発だって安定供給は出来ないことは今回で明らかです。それで経済活動に影響が出るというのであれば、それこそ、今流行りのスマート・グリット(デジタル機器を活用して電力需給を自律的に調整する機能を持たせる新しい電力網)を活用すればいいのです。それに日本は人口減で、省エネ技術も進んでいます。やろうという意思さえあれば、出来るはずです。にもかかわらず、「原発維持・拡大」を支持する国民が多いのは、いかにエネルギー教育が疎かにされてきたか、いかに原発PRが強烈であったか、です。

もう一つ気がかりなのは、最近の選挙結果です。菅総理のリーダーシップの無さや民主党のふがいなさに対する国民の失望の反映であり、それ自体はまっとうな国民の判断だと思います。しかし、過去数十年、原発を推進し、経産省と業界の一部の言い分に乗っていたのは自民党政権だということを忘れている気がします。そうした責任は追及せずに、ただ今の政権を責め、やっとなし得た政権交代という歴史的転換を無駄にしていいのか。「投票する人がいない」というのは事実だと思いますが、あまりに安易な選択を多くの国民がしているような気がしてなりません。

とはいえ、そんなに簡単に原発を止めることは難しいかもしれません。

ある番組で、福島から新潟に避難している小学生に、原発について質問したところ、「お父さんが働いているから、原発は怖いけれど必要」と答えていました。これを聞いて、東京に住み原発の恩恵だけ受けている私たちが、「怖いから」「再生可能エネルギーで賄えるから」という理由だけで、そこで生活する人たちを説得することはできず、雇用も含め本当の意味で安心・安全な暮らしを保障する手立てを提案し実現していかなければ、解決できない問題であることも痛感します。

それでも、原発維持の方向のままで成り行きに任せ安易な選択を繰り返していたのでは、これまでと何も変わりません。将来的には廃止の方向を明確に打ち出し、今あるものは安全運転に徹し、これから10年くらいの間に、雇用などの問題も解決しつつ計画的に再生可能エネルギーを増やしていくこと。そのために、私たちは、一生活者としても生まれ変わり、一市民としても真の政治家を育てつつエネルギー政策の民主化を進めていくことが大切です。それによってはじめて、安心・安全が確保され、市民の力に支えられた持続可能な環境文明社会に近づくことができるのだと思います。今感じている危機感を忘れず、「国難」を再生の力に変えていくこと、それが事務局のみならず環境文明21に関わる皆様の役割の一つでもあると思うのです。

ちなみに、前号でもお知らせしましたが、環境文明21のホームページには、目指すベき社会や暮らしの羅針盤として「環境文明社会」について掲載しています。是非ご覧頂き、まずは多くの人に伝えてほしいと願っています。