2012年2月号会報 巻頭言「風」より

思い知った「足るを知る」~私の食生活~

加藤 三郎


今回は、極めて私的な、しかし、私にとっては、かなり深刻な病気体験の記述からこの巻頭言を始めることをお許し願いたい。

昨年夏、年に一度実施しているごく一般的なメディカルチェックを受けた。その結果によると私の胃に「多発性ポリープ」の疑いがあるので、内視鏡による再検査を受けるべしとのことであった。一通り考えた末に、縁のある都内の大病院で精密検査を受けた。9月半ばのことである。その結果、初期の胃ガンが発見され、その後、ガンの広がりや深度、細胞の性質などの詳しい検査の結果、11月29日入院、11月30日手術となった。

がん発見から手術まで、若干の時間を要したのは、一つには、手術が1、2ヵ月先になったとしても大きな変化はないという主治医の判断があり、もう一つには仕事の区切りを一通りつけて、手術に臨みたかったからである。どなたでもそうだろうが、数か月先まで仕事の都合などの外せない予定が入っており、そういった予定の隙間を縫って、手術日を決めた。

予定通り29日の午前中には入院し、翌朝早く手術室に入り、腹腔鏡を用いた胃切除の手法により手術は実施された。手術そのものは極めて順調に終わったようだ(執刀医談)。そして、術後わずか10日で私は退院したのである。

ここまでは順調だったが、本当の苦しみは、ここから始まった。私の胃の容積は、45%程度、機能は30%程度に縮小したが、その我が新しい胃と私のこれまでの飲食物の摂取の習慣、つまり食べ方、量、スピード、箸間隔との親和性がどうしても取れず、慎重に食べても、ことごとく強い拒否反応にあってしまった。食べるとすぐに吐き出すだけでは収まらず、長時間に亘って吐き気に苦しめられた。ひどいときには、出される食事のメニューを聞いただけでも、吐き気がこみ上げるといった具合で、さすがのベテラン執刀医も、術後これほどの激しい反応を示した人を知らないというほどであった。

これでは、自宅や近所のクリニックなどで手に負えるものではなく、やむなく退院後一週間にして、再入院ということになった。再入院後も、しばらくは吐き気地獄に苦しめられたが(ほぼ1ヵ月の間に体重は10キロ近く減少)、投薬が効いたのか、時間という要素が胃を鎮めてくれたのか、理由は分からないが、吐き気がおさまり、しかも、転移なども全く心配はなく、ようやく生きた心地を取り戻した。

心に余裕が戻ってくると、人は、いろいろ考え始める。読者の皆様にとっては、面白くもない話が長く続き、誠に申し訳なかったが、私としては、ここで今回のタイトルにたどり着いたのである。

私たちは当会の設立当初から環境倫理、とりわけ日本の伝統社会が持つ倫理観、そしてそれが持続可能な社会に役立つはずだということに確信を持ち、一貫して、このテーマを追い続けている。より具体的には、三井物産環境基金の助成を経て、日本の伝統社会が持つ知恵とその可能性について調査した結果、その知恵を8項目に分類した(詳しくは、2010年にプレジデント社から発行した『環境の思想―「足るを知る」生き方のススメ』をご覧いただきたい)。私たちから見て、特に中心的なテーマは『足るを知る』である。『足るを知る』ということは、欲望を徹底的に追求することではなく、中庸に、ほどほどのところで満足しながら生きていく知恵である。

私自身が、『足るを知る』生き方をしているか否かについて、自己点検を怠らなかったつもりではあるが、ただ一つ、弱点だと思っていたのは私の食べ物に対する欲望である。私の父はよく「腹八分目が大切だ」と言っていたものだが、少年から青年期の私は、「腹八分目ではどうにも足らない。腹12分目は欲しい。」と冗談で返していた。実際に甘いものも辛いものもよく食べる生活は、中高年に至るまで続き、ずんぐりむっくりのメタボ腹と言ってもいい状況を長期間に亘って保持していた。それに対してはよくコノヱさんやスタッフから「足るを知らないお腹」などと冷やかされ続け、本を出す頃に、やっと「腹十分目」くらいには、納めることが出来るようになったが、まだ「腹八分目」には至らなかった。

自分の名誉のために言っておくと食べ物以外の名声やお金に対しては、ほぼ『足るを知る』生活を維持したとは思っている。

かくして、ようやく腹八分目の世界を目指そうとしていた矢先の今回の病である。病を得て、前述の症状に苦しんでみると、如何に今まで、大量に食べ物を消費し、排泄してきたか、つまり『足るを知る』食生活には及ばない状況であったかを否応なしに実感させられた。もちろん、大食そのものが胃がんの引き金を直接引いたかどうかは分からないが、新しい胃との親和性を回復させるには、腹八分目が真に不可欠であること、そうすることが平和をもたらすことを知ったのである。

今、日本は、人口も減り、高齢化も進み、全体的には下り坂にある。エネルギー統計等を見ると、私の若い頃からつい数年前までは、エネルギー生産や消費はどんどん上がってきたのが、いよいよ右肩下がりに転じた。3.11を待たずに転じているデータを見て、そういう世界にこれから生きていくのであれば、量は少なくとも、質の面では足るを知る生活が出来るという思いが一層強まった。

ガンという病気を経た結果、今までの数十年にわたる私の課題であった食生活の改善が強制されただけでなく、生活全体に亘って足るを知ることの意味と重要性を再認識することが出来たのは幸いなことであった。