2012年5月号会報 巻頭言「風」より

正しくこわがるには

藤村 コノヱ


岩手、宮城など被災地からのがれき受け入れが、科学的知識の不足や「お互い様」精神の欠如、そして政府への信頼失墜などから、なかなか進まないという話を3月号で書きましたが、最近、食品中の放射性物質についての安全基準が厳しくなったことで、同じような事が起きています。

福島の原発事故以前には国内に存在しなかった安全基準が作成されたこと自体は歓迎すべきことです。しかし、そもそも自然界には放射性物質が存在する事を考えれば、「ゼロ」という状況はあり得ず、過度に厳しすぎる基準の為に、それに翻弄される母親のストレスが子どものこころにも影響を及ぼしたり、消費者の過敏な行動が生産者の困窮を増長したり、限りなくゼロに近いモノを売りにする商売も出るなど、新たな問題もいろいろと出ています。こうした状況を見るにつけ、寺田寅彦の警句、「ものを怖がらなさ過ぎたり、怖がり過ぎたりするのはやさしいが、正当に怖がることはなかなか難しい」というのは本当にその通りだと思います。そして、日本の戦後教育の負の部分、あえて言えば、民主主義教育や理科教育(科学教育)、そして道徳教育の不十分さがこうしたところにも表れているのではないかと思います。

環境文明21では、ここ数年「2030年の環境文明社会」プロジェクトに力をそそいできましたが、その議論でも、教育が全ての基本であるという認識を深めています。戦後、教育界にも経済市場原理が持ち込まれ、経済成長が全てに優先するという考え方が教育現場にも浸透し、経済社会で有用な人材の育成が教育の主流になってきたことの反省に立ち、これからの教育は、地球の有限性への認識や「共生、互助・利他、中庸…」といった価値の醸成を、学校教育だけでなく、家庭・地域・職場等の社会教育の場でも一生涯を通じて行うこと。特に、大学では企業戦士の育成から脱却し教養と専門性を深め真の市民を育てる教育に徹すること。また、家庭や地域でも地球市民としての情報や知見を育む学びの場を増やすことなどを提案しています。

また、技術教育に関しては、その分野の専門知識のみならず、その基盤になる技術倫理や環境倫理を普及定着させることや、技術の公平な評価を行うために技術アセスメントの仕組みを導入すること。また、ますます専門性を帯び高度化・輻輳化してくる科学技術に対して、私たち一人一人が可能な限り学ぶ機会を設け、わからない事は専門家とのコミュニケーションを深め両者の信頼関係を築くことで、技術がもたらす様々な課題にも対応できる社会にしていくなどを提案しています。技術者に対する教育と受け入れる側の個人への教育、併せて社会の仕組みを変えていく提案です。

こうした考え方は、私たちの提案に限らず、以前から専門家の間では議論されていたはずです。そしてこうした教育や技術との付き合い方が、戦後、特に高度成長期にもっと本気で行われていたならば、今回の原発事故のようなことは起きなかっただろうし、仮に起きたとしても今回のような様々な混乱も少しは抑えられたのではないかという気がします。

ところで、当会として最初の議員立法としての制定、さらに改正法の成立に向けても率先して提案し働きかけてきた、環境教育推進法の改正法が今年10月から全面施行になります。昨年6月、私たちの提案の多くが盛り込まれ、内容も大幅に改正され、名称も「環境教育等による環境保全の取組の促進に関する法律」となった改正法ですが、成立以降、法律に基づき設置された「環境教育等推進専門家会議」において、基本方針作りが進められてきました。そして、私自身、当初からこの法律に関わってきた者として、また環境教育とNPO活動の実践者として、会議のメンバーとして積極的に意見を述べてきましたが、その基本方針(案)が5月にパブリックコメントにかけられ、この10月から全面施行になるわけです。

基本方針(案)自体は30頁に及ぶもので、法律施行に向けた政府の方針が述べられています。例えば、【求められる人間像】には、他者と議論し合意形成することのできる人間、既成概念にとらわれず新しい価値を作り出すことのできる人間といった人間像や、【環境教育が育むべき能力】の「未来を創る力」として、社会経済の動向やその仕組みを横断的・包括的に見る力/論理的思考力と判断力・選択力/コミュニケーション能力/他者に共感する力、などが明記されています。これらは平成16年に出された改正前の基本方針にはなかった記述で、3.11の出来事を大いに意識したものです。また【環境教育に求められる要素】についても、今回の原発事故を受けて、環境に関わる問題を客観的かつ公平な態度でとらえることができるよう、そのための教育活動の必要性も明記されています。さらに、改正法のポイントである「協働取組」についても、相互理解と信頼醸成の必要性と、情報公開と政策形成への参画の重要性が明記されています。

このように、今回の基本方針(案)には、持続可能な社会の構築に向け、地球温暖化や生物多様性問題といった従来の課題に加え、今回の大震災や原発事故なども反映した内容が随所に書き込まれており、包括的で横断的な環境教育の重要性とその方向性が具体的に示されています。

原発事故後、放射能教育が必要に迫られ再開されました。また国民的議論の必要性も高まっています。こうした方針がつくられることを契機に、放射能教育に留まることなく中長期的な観点からのエネルギー教育を含む環境教育、議論し合意形成する力を育てる教育、そして倫理ある技術者を育てる教育を徹底して行い、正当に怖がることの出来る市民、そして自ら解決に向け行動する市民を育てていくことが、多くの犠牲に報いることになるのだと思うのです。

ちなみに、パブリックコメントは誰でも意見を述べることができます。この会報がお手元に届く頃には環境省HPにアップされる予定ですので、是非、積極的に意見を述べて頂きたいと思います。