2012年6月号会報 巻頭言「風」より

自然は人間の「都合」を待ってはくれない

加藤 三郎


1.3.11後晴れぬわが心

昨年の東日本大震災・原発事故(3.11)以来、私はどうも心がすっきりしない。なぜそうなのか。ひとつには、多数の事故被害者が未だに困難な生活を強いられており、特に原発事故現場の近くでは自分の家にも帰れない人がたくさんいる状況を見聞きするたびに心が晴れないのは当然であろう。

また、首都圏や多くの場所で余震と思われる地震がしばしば発生していることも不安のタネだ。まして、首都圏直下型地震の確率が高くなってきた、あるいは南海トラフなどの大震災が考えられるなどの報道に接するたびに生活はどうなるのかという不安はぬぐえない。おそらく誰しもがそうであろう。従って、日本の歴史の中で、同じような人災や自然災害に悩まされた先人たち、特に鴨長明の「方丈記」や、三陸での地震津波や冷害に悩まされた宮沢賢治の「雨ニモ負ケズ」などが多くの人に読み返されているのも無理からぬことだと思う。

私にとっての不満は、このような自然災害が起こらないと、なぜ政策(エネルギー・環境政策が中心であるが)が変われないのか、なぜまともな科学者や専門家らの警告や研究の結果から、事前にもっと厳しい対策がとられないのかということだ。結局、日本は、大きな犠牲を払わないと何一つ変革ができない国なのか。もし、そうだとすると、今、多くの人やメディアの関心が温暖化対策から潮が引くように消えているが、これも大災害を引き起こさないと変われないということであり、その思いが脳裏から離れず、心が晴れないのだ。

2.なんと日本でも強力な竜巻が

ゴールデンウィーク最終日の5月6日、茨城県つくば市や栃木県益子町などを中心に日本ではまれにみる竜巻災害が発生。中学生一人が亡くなり、50名近い人がけがをし、2300棟を超す建物に被害が発生した。破壊をほしいままにしている竜巻の姿はテレビでも繰り返し放映され、日本では竜巻はさほど深刻なものにはならないという、これまでの常識を覆す映像だった。

私自身はかねてから、アメリカで発生している竜巻報道は、気が付く範囲で、被害状況などもメモなどしていたが、竜巻シーズン以外でも最近は大きな竜巻が起こり、建物破壊や多数の死傷者の発生が頻発している。竜巻は台風と違い、専門家でも予測困難とのこと。まして、普通の市民にとっては、いつどこで発生し、自分や家族が巻き込まれるか全くわからない。それでなくても不安な世の中が、ますます不透明になっている。

気候変動を研究している科学者たちが、豪雨や干ばつ、竜巻などが温暖化の進展とともにパワーを増すと20年以上も前から警告していたが、その通りのことが世界中で現実化している。その現象の一部が日本でも起こっており、生命や財産を脅かしている。

3.“驕るな、人間”ということか

このように1年3か月のうちに生起した出来事を見てみると、改めて、人間はこの地球上で主人公ではないという思いを一層強くする。何しろ、地震、噴火、竜巻、津波、そして異常気象など、どれ一つをとっても人間が科学技術の力でコントロールできるものなどない。自然そのものは、特有のロジックと時間軸を持ち、それは決して人間の都合には合わせてくれないのだ。

例えば、日本での電力不足などを嫌って、わざわざタイに工場を移したとしても、洪水に見舞われ、せっかくの工場や設備が水没する出来ごとが起きる。温暖化によって海面が温まってしまった東南アジアの海から、より多く蒸発した水分が地上に落ちて洪水になる。その洪水が増える仕組みや時間軸は、自然自身が持っているものであって、人間の都合に合わせてコントロールできるものではない。そこで、昨年の秋のように、数百の日本企業がタイで被災するということも起こるわけだ。人間がどんなにエラそうにふるまったところで、自然の力には、到底勝つことなど出来ないことを改めて思い知らされているこの頃だ。

4.人は何が出来るか―気候変動の場合

強力な台風の発生、干ばつ、豪雨、竜巻など人が出来ることは、これまでの最善、最新の科学の知見を基に、被害や影響をなんとか許容できる範囲に収める努力をするしかない。まず、地球の気候システム内で、今、起こっている出来事を可能な限り、詳細に観測し、将来起こり得る可能性を予測することだろう。これは、普通の人にはできない。IPCCのような科学者集団にゆだねるしかない。その分析に基づいて、気候変動の脅威を緩和させるのに役立つ対策を実施させるよう政治・行政に働きかけることが、普通の人の役割だろう。

具体的に述べると、温室効果ガスの排出を直接規制なり、経済的手法なりで最小に抑える努力を国際的な規模で実施すること。また、地域の自然的、経済的、社会的条件に合わせて、都市の作りや農作物や防災計画を練り直し、最良と思われる適応策を実施していくことである。しかし、このような施策を実施しようとすると、これまでは異論反論が多方面から強力に寄せられて、実施が困難になることが常であった。温暖化対策を人類社会全体が取り組み始めて20年も経つというのに、効果的な対策が取られていない。それら障害を乗り越えるための新しい手段・手法を考え出さなければならない。

正直言って、これはかなり困難なことであるが、人間がもし、平和裡に21世紀を乗り切り、次の世代に出来る限り、荒れていない地球を残そうと思えば、何が何でもやらねばならないことである。もし、それが出来ないのであれば、人類の近未来はかなり厳しいものにならざるを得ないのではなかろうか。