2013年7月号会報 巻頭言「風」より

不安定なグローバル時代を生きる知恵

加藤 三郎


1.壊れそうな世界

毎日、テレビや新聞などの報道を見聞きしている皆様は世界の状況をどう捉えていらっしゃるでしょうか。私はこの世で70有余年を生きてきていますが、21世紀に入ってからの世界の不安定さは尋常ではないと日を重ねるごとに感じています。まるで壊れたジェットコースターに乗っているようで、スリリングを通り越し、いつ破綻するかという不安が募るばかりです。

株価は、米国の要人らの一言半句や一寸した統計数字の発表に過敏に反応し、大きく乱高下する毎日です。しかもそれは、一瞬のうちに世界のマーケットを揺らします。所詮、株価の話とは言え、その揺れの中でどれほど多くの人が、職を失ったり、市場を失ったりしているかと思うと、大変な時代になったとつくづく思います。

目をシリアに転ずれば、凄惨な内戦がますます熾烈を極め、日々、幼い子供を含め多数の非戦闘員を巻き込み、不幸で理不尽な死傷に至らしめています。国際社会もあれこれ介入を試みても、ほとんどなす術もなく、見殺しの域を出ていないように思われます。このような悲劇はシリアに限らず、イラクやアフガニスタン、その他多数の地域で発生しています。

多くの人の人生を苦難に陥れるのは戦乱やテロだけではありません。温暖化に伴う異常気象が引き起こす気象災害もところ構わず頻発しており、多くの人命や貴重な財産を奪っています。今年の5月には、アメリカのオクラホマなどで巨大な竜巻が発生し、甚大な被害を残しました。6月に入っては、インド北部で大雨・大洪水が発生し数千人の人命が危険に瀕していると報じられています。

このようなことを書き出しますときりがないので、あと一つだけにしますが、私が気になっているのは、途方もないお金持ちがごく少数ながらいる一方で、貧困の増大、特に若者の失業が増え続けていることです。例えばスペインでは半数を超す若者が失業しているとのことです。70億人を超す地球で、毎年、8,000万人近くが増え続けていますので、数字の上では、8,000万人分の雇用を新たに提供しなければなりません。しかし、IT、ロボットなどの新技術が経営の効率を高めるためにどんどん導入されていますので、生身の人が働ける職場は狭くなるばかりです。特にPCやスマートフォンなどを使いこなしている若者をこれらの機器が職場から追いやっている現実は皮肉というより、悲劇的です。

2.何とか踏みとどまっている日本

世界のこのような状況は、日本にとっても他人ごとではありません。政党政治は不安定化し、貧富の差も拡大し続けています。子供の貧困率は先進国のなかでもワーストクラス。経済的な理由もあって、青年男女の未婚率は3割を超すと驚くばかりです。地方都市の疲弊も最近では話題にもならなくなっています。

それでも、日本社会の表面を見る限り、経済社会の破綻が露わになったわけではなく、町を歩けば平穏と清潔はまだ保たれています。多くの国で見られるようなテロや内乱など、あからさまな暴力行為は日本では確かに制御されています。いつゲリラに爆破されるかという恐れを抱きながら、新幹線や飛行機に乗ることもないでしょう。3.11後の東北の被災者たちの落ち着いた、人間の尊厳を失わないふるまいは、日本人にとってはさほど驚くにあたらない行動でしたが、これを見ていた世界の人々には感銘を与える光景であったと知らされて、かえって驚かされました。

グローバル経済の弱肉強食の毒牙はまだ日本の深部というか良質な基底には及んでいないと思われ、それがうれしいのです。もちろん、ユニクロの柳井正会長のように、グローバル競争・経済下においては、人は成長するか死ぬかしかなく、年収も将来は1億円になるか100万円になるかのいずれかであって中間層は無くなるというとんでもない主張(4月23日付け朝日新聞)もありますが、多くの良識ある日本人は、柳井さんのような考え方には組みしないと思われます。

3.底力は先祖伝来の知恵か

多くの日本人は、グローバル経済下の過酷な現実や、突然の災害に遭遇した際にも、なぜ人間の尊厳を保った行動が出来るのでしょうか。 私にはそれは永年の間に培われてきた先祖伝来の知恵が、私たちの骨肉の中にまだしっかり根を下ろしているからだと思うのです。その知恵については、私たちが2010年に刊行した『環境の思想』の中に、「足るを知る」「自然を敬い、自然と共生する」「家族や地域、社内で調和を保つ」などの8項目にまとめています。

私は最近、このような知恵の基盤には、日本人が「無常観」を心中深く抱いている一方で、武士の前向きな魂を尊ぶ心があるように思えてなりません。何しろ、子供のころから「祇園精舎の鐘の声 諸行無常の響あり 沙羅双樹の花の色 盛者必衰の理をあらはす 驕れる者久しからず ただ春の夜の夢の如し 猛き人もついには滅びぬ ひとへに風の前の塵に同じ。」という平家物語の冒頭の一節を繰り返し読み聞かされてこの世の「無常」を心に深く宿した人の強さは、比類のないものでしょうから。

義・勇・仁・礼・誠・名誉などのサムライ・スピリットについても「武士道を生み育てた社会状態は既に消え失せてしまった。しかし、はるかな過去に存在し、現在ではその本体を失った星が、今でもなお我々の頭上に光り輝いて、我々の道徳を照らしている」という新渡戸稲造の114年前の指摘は今なお適切であり、確かにいざというときには私たちの心を支え導いてくれていると私は考えます。

4.私たちの仕事は二つ

このように見てくると、乱調を極め始めたグローバル経済時代を生きる私たちがまずなすべきことは、次の二つのように思われます。一つは、先祖から伝来された知恵とそれを生み出した心を見失わず、様々な手段やツール(例えば、文学、映像、スポーツ、音楽、演劇)を通して、同世代人と共有し、確実に次世代に継承すること。もう一つは、混迷に喘いでいる外国の人とも語り合い、共有するよう試みることだと私は考えます。