2014年12月号会報 巻頭言「風」より

「やむを得ない」で済ませるのか

加藤 三郎


1.危うし、生きもの

私は少年時代から、理工学系のものに関心を寄せ続け、公務員になってもその方面の仕事が多かった。大気や水の汚染、交通公害、廃棄物、そしてCO2などへの対策であった。別に生きものを嫌ったわけではないが、ありふれた動植物以外は、名前も知らず、関心も少なかったと言っていい。しかし、そのような私でも、この5,6年、生物界の異変はただ事ではないと思うようになってきた。

気候変動の脅威と同様、地球上の生きものを取り巻く環境はあまりにも厳しくなって、絶滅する種や個体数激減の報道が目につくようになってきた。最近でも国際自然保護連合(IUCN)が公表したレッドリストによると、76,199種のうち、22,413種が絶滅の危機にさらされているという。なんと3割だ。特に、サンゴや両生類は危機的なレベルにあるらしい。さらに世界自然保護基金(WWF)によると、世界に生息する野生動物の個体数は、過去40年間に半減したというから驚きだ。

このような事態を引き起こした主要な原因は、明らかに人間活動だ。森林開発、都市や道路の造成、農薬の大量散布さらに乱獲、化学物質や温暖化、オゾン層破壊などが、生きものの生息環境を壊している。地球上には記録されただけでも175万種、未記録種まで入れると1,000万から3,000万種が存在すると科学者は推定しているが、その中のたった一種に過ぎないヒトによって、生物の多くを取り返しがつかない状況に追い込んでいると思うと、いくら関心の薄かった私でもこれは重大なことだとショックを受けた。

人間がなぜ、そこまで生物を追い詰めているのか、その根には明らかに「経済」がある。カネ、モノ、快適さ、効率などの経済の豊かさが無ければ、人は幸せにはなれないという思い込みがあるのだろう。私たちの宗教(神道、仏教、キリスト教、イスラム教などを問わず)には、何よりも生命を損なうなとの教えがある。それなのに、豊かさへの欲望に突き動かされて、ほとんど無意識のうちに生き物を抹殺し、結果的に人間自身の存立基盤を危うくする愚行を重ねている。

2.本当に「やむを得ない」のか

九州電力川内原発の再稼働問題は、立地自治体の同意と鹿児島県議会での再稼働を求める陳情採択を受けて、伊藤祐一郎知事は「諸般の状況を総合的に勘案して、再稼働はやむを得ない」と述べたと報道されている。その報道のなかで、私の関心を最もひいたのは、知事が記者会見で「福島の事故で原発の安全神話は崩れ、大変な状況になったことは確か」と原発のリスクに触れつつも、「資源が限られた日本で国民生活のレベルを守り、我が国の産業活動を維持するためには、原発の稼働はしばらくやむを得ないと判断した」旨語ったと11月8日付の毎日新聞が報じている点である。

私がここで問題にしたいのは、知事が生活のレベルを守り、産業活動を維持するため「やむを得ない」と述べるに至った判断である。

この判断は、単に原発再稼働問題だけでなく、環境政策と経済に絡まるほとんどの問題にも通じる“普遍性”があると思うからである。今回の総選挙においても、地球環境悪化への本格的な対応策を与野党もメディアもそして一般有権者も重要な争点にしなかった背後にあるものは、知事の思考経路と重なるものがあるのではなかろうか。政権や産業界のリーダーたちは、国民生活のレベルを守り、日本の産業活動を維持するポーズは熱心に取るが、国民の生活に深く絡まる原発の再稼働リスクや気候変動の深刻な被害、さらに生物の個体数までもが激減している危機的状況には対応しようとしていない。

つまり、国民生活のレベルを守るためには「やむを得ない」、産業活動を維持するためには「やむを得ない」と政治家たちは言いながら、その国民生活のレベルは、福島事故後の未だ続く近隣住民の厳しい避難生活、増大する非正規労働者の不安定な雇用環境、富める者は益々富み、貧しい人は這い上がれず沈んでいる。その現実を直視せず、なお「やむを得ない」を押し通すのだろうか。その繰り返しが今の、不安定でゆがんだ社会の姿ではないだろうか。まして、気候変動に対する備えは、昨今の、再生エネルギー電力の買い取り一時中断に見られるように、地球環境時代に対応した新たなエネルギー産業の芽を摘みかねない愚策がとられようとしている。

3.地球環境時代の新モラル

これまでのわが身を振り返ってみると、私も時折「やむを得ない」と言ってきたように思う。それだけ私にとっても、経済の成長や快適で便利な生活は他に替え難いほどの魅力があったように思う。しかしながら、地球環境がここまで悪化し、今後さらに破壊される危険が明らかになってきた以上、これまでの生活感覚や価値観を見直し、変えるべき時に至ったと考える。

差し詰め、反省を込めて次の三つをこの時代に生きる者のモラルとして我が心に言い聞かせたいと思う。