2015年2月号会報 巻頭言「風」より

気候システムの激変を避けられるか、パリ会義

加藤 三郎


1.年初と年末のパリ

2015年の世界は、異常な現象で年が明けた。まず、記録的な寒波が日本や北米なども襲い、交通機関に大混乱を巻き起こした。そうこうする内にパリで1月7日から9日にかけて、イスラム過激派による残忍なテロ襲撃事件が二つ発生した。特に最初のテロは、風刺画週刊誌社を白昼堂々と襲い、同社の幹部や漫画家など12人を殺害して、逃亡するという大事件となり、フランスのみならず、世界を震撼させた。この事件は、11日には、言論や表現の自由を抑圧するテロに抗議する大デモに発展し、そのデモには、仏大統領と独首相が並んで腕を組み、英首相ら40人を超える首脳も参加するという前代未聞の出来事へと発展した。

言うまでもなくパリでは、フランス大革命を始め現代の政治思想の基盤を形作った数々の出来事が発生しているが、この事件は今日の世界が生み出した深刻な問題(貧困、差別、失業、テロ、宗教・民族間ヘイトなど)を私たちに厳しく突きつけた。

さて、そのパリである。ここでは、本年末に、気候変動対策として京都議定書に代わる新たな法的枠組みを確立するための国連会議(COP21)が開催される。そのための準備が数年前から続けられているが、これまでのところ、新しい枠組みらしきものはおぼろには見えても、とても実効あるものにはなっていない。このまま行ったら地球の気候システムの激変は止まらず、人間社会への影響は計り知れない。

そもそも、なぜそうなるのか。私には、二つの大きなギャップが背景にあると思われる。一つは気候変動に関する科学の最新知見と現実の政策との間のギャップであり、いま一つは気候変動をもたらした先進国とそれを後から追いかけている新興国や途上国との間に横たわる大きなギャップである。

2.科学の知見と現実政策との間のギャップ

地球温暖化に伴う気候変動については、国連の専門家組織IPCCは、四半世紀余に亘って、その時々の最新の科学的知見を公表してきた。最新の知見をごく骨太にまとめると次のようになろう。①今世紀末にかけて、地上の気温は上昇し続けるが(悪くすると4.8℃)、人間社会がギリギリ許容できる昇温目標は、産業革命前と比べ2℃程度。既に1℃近く上昇しているので、これから先の許容昇温は1℃程度。②CO2などの現状の排出状況を前提とすると、目標の2℃上昇までには、30年ほどの時間しか残されていない。③その目標を達成するには、2050年には世界の排出量を現状から40~70%(日本を含む先進国は80%以上)削減し、今世紀末にはほぼゼロ、またはマイナスにしなければならない。④その場合、CO2をほとんど排出しないエネルギー源(再生可能エネルギー、バイオマスなど)の割合を世界全体で2050年までに現状の3~4倍近くに増加させる必要がある。

このように、人間社会が、気候の面でかろうじて持続可能である条件は非常に厳しいが、私たちの現実社会の動きや政策を見ると、そのようなことはまるで考慮されていないように映る。昨年末の総選挙において、安倍首相がこの道しかないとして掲げたのは、アベノミクスによる経済成長路線政策であり、原発の再稼働以外の気候変動政策は何も提示していないのに等しい。他の与野党の主要な政治家たちの言動を見ていても、気候変動問題など視野の片隅にも入っておらず、ひたすら経済優先路線を追求している。

経済優先のこのような政治姿勢は、日本だけでなく、程度の差こそあれ、ほとんどの国が追求していると言っても過言ではない。議会制民主主義を選択している以上、政治家は有権者からの信任を得る以外に権力を維持する道はない。有権者は、気候変動よりも景気や雇用などの経済問題にはるかに関心があるので、政治家は有権者に、経済をよくすることを約束せざるを得ない。私の知る限り、国民に向かって「貧困・格差の問題はあるとしても国全体としては十分に豊かになったのだから、経済はほどほどにし、気候変動に真正面から向き合いましょう。そのために国民の生活が多少不便になっても、経済の成長が多少遅れても、気候を安定させ、人類が築き上げた文明を持続できるよう政策全般を転換しましょう。」と訴える政治家は先進国にはいない。

科学が人に提示する真実を理解し、あらゆる生命の基盤である気候の安定に必要な政策と経済的欲求との間に存する大きなギャップを認めた上で、少しでも縮める努力をするしかない。

3.先進国vs途上国の“古典的”対立

敢えて“古典的”という形容詞をつけたのは、1972年にストックホルムで開催された最初の国連環境会議の会場で既に先進国対途上国の厳しいやり取りがあったのを私は今でも鮮明に覚えているからだ。文化大革命下にあった中国の代表は、全体会議で次のような発言をしている。「いかなる国も環境保護の名の下に開発途上国の利益を害するようなことがあってはならない。環境改善のためのいかなる国際的政策や措置も、全ての国の主権と経済上の利益を尊重しなければならない。開発途上国の当面の利益、並びに長期的な利益に合致したものでなければならない。」また、ブラジル代表は「他国における多くの不経済という犠牲の上に富と資産を蓄えた先進国は、被害防止のための手段を講じ、被害を受けた者を回復させる主要な責任を有する。」と述べている。

この発言は、今から43年前に発せられたものであるが、今日まで、「地球の環境破壊を引き起こした責任を明確にし、それを修復し、被害を保障するための措置は先進国が取るべき。また、貧しい途上国の開発の権利を環境保護の名の下で制限してはならない」という議論が営々と続いてきている。温暖化についても、この先進国対途上国の対立は、1992年の地球サミットで確認された「共通だが差異ある責任原則」の延長線上で議論が繰り返しされている。

この問題をさらに複雑にしたのは、この20年余の間の先進国と途上国との経済的な力関係の変化だ。すなわち、温暖化対策が始まった1990年では、温室効果ガスの主な排出国は、米国23%、EU19%、日本5%などの先進国であったのに対し、中国はまだ11%に留まっていた。しかし、2012年では、中国が26%の最大排出国となり、米国16%、EU11%、インド9%、日本4%程度になり、2030年を考えると、中国が28%強、米国13%、インド9%、EU7%、日本3%弱と見込まれている。

それに加え、CO2などの温室効果ガスの場合、排出後、大気中に長期に亘って滞留する特質を有するので、単年度よりも累積の排出量がはるかに重要となる。このように、中国やインドなどの新興国の経済力とガスの排出量が変化したことによって、この議論は、従来の単純な対立構造から複雑になっているが、少なくとも昨年のCOP20 では、途上国の代表株である中国やインドは、依然として、先進国の責任を厳しく追及し、より多くの排出削減とより多くの途上国支援を求めたようである。このギャップの解消も単純には乗り越えられないことをこれまでの論争が明瞭に示しているが、これを上手に克服しなければ前には進めないだろう。

4.パリで希望をつなぐには

16億人台の世界人口で始まった20世紀。それから1世紀余を経て、科学技術の進展の中で人口は72億人となり、一人あたりの経済規模は5~6倍に拡大した。生活の利便性は高まり、それを維持するエネルギーの使用量は大幅に拡大した。その過程で、人は、ほとんど無意識のうちに気候システムを変化させ、生態系を著しく劣化させただけでなく、本来、平等であるべき国々の間に様々な格差を築いてしまった。

これらすべては、人間社会の安定性や持続性を危うくしている。気候の安定については、23年前に人類社会は気候変動枠組み条約を策定し、その下でそれなりの努力をしてきたが、それをはるかに上回る温室ガスの排出を続けているために、科学が明示しているように、これまでのところ効果は全くみられない。それを反転させる契機にしたいとの願いが、今年末のパリ会議にかけられている。

もし、パリで、人間社会だけでなく、生態系全体にも大きな悪影響を与えている気候変動問題に、国際社会が効果的に対応できなければ、気候の激変がもたらす様々なインパクトにより、人類の将来は誠に危険となる。その悪夢のような事態を避け、パリを何とか希望をつなぐ場にするには、私たちの価値観と政策全般、特に経済の回し方をどうしても変える必要がある。