2015年3月号会報 巻頭言「風」より

頑張れ、環境省

藤村 コノヱ


本誌でも度々、気候変動問題に不熱心な日本政府の対応を指摘してきた。今国会の安倍総理の所信表明でもその件についてほとんど語られなかったことからも明らかである。しかし最近、この問題に限らず、執行機関である環境省は、環境省設置法に定められた任務、すなわち『地球環境保全、公害の防止、自然環境の保護及び整備その他の環境の保全(良好な環境の創出を含む。)並びに原子力の研究、開発及び利用における安全の確保を図ること』とする任務をしっかり果たしているのだろうかと思うことがある。

例えば、現在容リ法改正議論が進んでおり、家庭から出る容器包装の収集・運搬・選別の費用を全て自治体(言い換えれば税金)が支払っている現行の役割分担に対して、循環基本法の原則に則り、選別管理は事業者の役割にすべきという意見が自治体や市民団体から出ている。私の仲間もこの議論に関わっているが、彼の話によると、「現時点で役割分担はうまくいっているのに改正は必要なのか」という姿勢の経産省とそれを盾に現状堅持を唱える業界に対して、環境省の声は小さく、審議がなかなか進んでいないという。また3.11を受け環境省の外局に規制委員会が設置され、原発の安全確保に対する責任が追加された。しかし、発電に伴う放射性廃棄物問題は依然として解決しておらず、「環境の保全」や「安全の確保」の観点から大きな課題を抱えた中で、加速される再稼働に対して、環境省サイドからの懸念の声は聞こえてこない。

これらは明らかに現政権の経済重視の意向が影響していると思われるが、それにしても、環境を守る仕事を行う上での権限も、公務員としての身分保証も与えられているのに、なぜ、もっと強い信念をもって思い切った環境政策が展開できないのかと、もどかしさを通り越し憤りさえ感じることも度々である。その要因は、今月号の対談でも指摘されているのでそれもご覧頂きたいが、おおよそ次のことが考えられる。

一つは、政治家の問題である。公害克服そして京都議定書が生まれる頃までは、環境問題の重要性を認識し環境政策を推進する大物議員も結構いた。だから市民団体やNPOも議員に働きかけたし、議員と官僚の適度な緊張関係が環境政策の促進に役立ったと言われる。しかし、現在はそうした「環境族」と言われる議員は殆どいない。与野党問わず多くの議員が「景気、経済」ばかりで、グローバル化、科学立国と言いつつも、世界の動きも見ず、(IPCC報告など)科学からの警告にも耳を傾けない。それ故に、国際的には日本の弱腰が指摘され、環境政策は遅滞したままで、折角の環境ビジネスも元気が出ず、世界に後れを取っているのが日本の現状である。

二つ目に、これまで官僚主導で行われてきた幹部の人事権を内閣人事局(2014年5月30日設置)に一元化し、官邸主導で審議官級以上の人事を決定する仕組みができたこと。一般市民は殆ど知らないが、要は、政権の方針に沿った政策をとる人物しか幹部に登用されない仕組みだ。官僚と言えども人間、例え環境政策を推進したくても政権に楯突いても、ということかもしれない。ただ、この仕組みの前から環境政策は停滞していたことを考えると、それ以外の要因もあるように思う。

個人的には、最近の環境省は自治体、なかんずく市民・NPOを味方にしていないことも要因の一つと考えている。最近、公害問題解決に官僚として尽力した橋本道夫氏の話をよく耳にする。氏の人となりは、海外環境協力センター会報で、後輩にあたる加藤共同代表はじめ3氏が語りあう記事があるが、その中で「産業界を敵にし、経団連を敵にし、通産省と渡り合い、患者には怒られ、マスコミにはどやされ、国会では叩かれ、ある意味非常に危ないポストだった。(中略)しかし、ご自身“嫌だ”と思っておらず、まさに“天命”だと思っていたのだろう。実際、公害対策基本法制定や大気汚染防止法制定等大変な仕事をやり遂げている。」という行がある。実際氏の著書にも、「何をやってもいろいろな立場の人から批判され怒られるのは、いろいろの人が関心を持っているという嬉しい証拠」、だから、「人と積極的に会い徹底的に話し合い、相手の利害関心を理解した上で誠心誠意ぶつかり、最後は閣議や国会が革命的な変化を起こす方向に行くよう突っ込んでいった」旨が記されている。また「地方自治体と一体となってやらなければ通産省(当時)と闘えるものではない」という行があり、地方の規制行政の経験を学び、その要望を法案に織り込む努力をしたことも記されている。

それに比べて最近は、他省庁や産業界との表立った対立はあまり見られない。また地方との関係も希薄化。環境省に苦言を呈するような学識者、NPOはできるだけ遠ざけ、当たり障りのない発言、環境省の広告塔のような人材を登用する傾向も強い(審議会メンバーを見ればよくわかる)。どのセクターとも真正面から向き合い、意見対立をほぐし深め、合意点を見出す努力こそが政策の選択肢を広げ、よりよい環境政策を生み出すのに、対立を避け厳しい意見を遠ざけるようでは、真の環境政策の前進も、市民や政治家を動かすこともできるはずがない。

勿論、当時と現在では時代背景は大きく異なるし、公害と現在の環境問題では複雑さも異なる。そのため一概に比較はできないが、それでも環境保全という環境省(当時は環境庁)の役割も行政官に求められる使命も少しも変わってはいない。むしろ、地球環境の危機的状況の中で拡大されている。

IPCCによる科学的立証もある。自然資本経営の考え方を基盤に活性化を目指す地域・自治体も増えている。私たちNPOも20数年の経験を経て成長し政策提言力も付けてきた。その気になれば、公害時代より強い後ろ盾があるはずだ。是非とも、環境省の本来の役割は何か、己の“天命”は何かを深く認識し、高い志を持って、元気な自治体や市民・NPOも味方につけて多様で実効性ある政策を社会に示し、世界をリードしてほしいものである。