2015年5月号会報 巻頭言「風」より

温暖化交渉に求められる哲学

藤村 コノヱ


先月の統一地方選は、低い投票率のためか、現職優位、現政権支持という結果。次世代にツケばかり残す政治が暫く続くのかと落胆していた矢先、原発再稼働の動きにストップをかける高浜原発再稼働差し止め仮処分の判決が出されました。この判決は昨年5月に、「最も優先される価値は住民の人格権」として、大飯原発運転差止請求事件判決を出した同じ裁判官によるもの。短期的経済性のみを重視し、倫理や正義と言ったものを「情緒的、感情論」として蔑ろにする政治家や電力会社を中心とした一部経済界に一矢報いる判決で、個人的には大いに勇気づけられました。

しかしその後、COP21に向け出された日本の温室効果ガス排出削減目標案は、近年で最も排出量の多い2013年を基準とする姑息な手段で、実質的には目標を極力低く抑えようとするもの(2013年比26%削減は1990年比で18%削減)。しかもCO2排出量の多い石炭火力を多用し省エネ・再エネの割合は低く設定するなど、これまた短期的経済性のみを優先したもので、こんな理不尽な対策を講じる日本政府や経済界にも同様の判決は下せないものかと思っているところです。

というのも、先月の「2015年パリ合意の行方」と題するシンポジウムで配布された、東北大学の明日香壽川教授のレポート集(発表者のお一人で気候変動の研究者)に大いに刺激されたからです。それには、温室効果ガス排出削減目標の公平性を巡る世界の議論の経緯と内容、各国の具体的排出削減数値目標、今後の評価方法等が詳細に書かれています。その中で私が最も注目したのは、日本では真正面から向き合うことを避けてきた「公平」や「正義」と言った議論が、実は世界では綿々と続けられ深められてきた、ということです。

日本でもCOP3(1997年)で議論となった、「共通だが差異ある責任」は知られており、(私自身も大学院の法哲学の講義で“温暖化と正義”についてレポートしていますが…)その後の議論の深まりについては一般的には殆ど知られていません。しかし、国際的には、途上国の立場が多様化したこともあり、COP17(2011年)では、「歴史的責任」「一人当たり排出量均等」の考え方に加え、「2℃目標達成のためには人類は限られた排出許容総量、言い換えれば予算をもつ(カーボン・バジェット)」という考え方が出されるなど、公平性議論も多様化し深化しているようです。

残念ながら、パリ会合(COP21)では、各国が自発的に削減数値目標を提示し、それを国際社会が自主的に評価する「誓約と評価」方式が採用される見通しです。しかし、その妥当性を評価する段階では、これまでの公平性の議論や、残された許容排出総量を国家間だけでなく現世代と次世代との間で何らかのルールにより分配する必要があるとする「カーボン・バジェット・アプローチ」で試算された数値が、各国の数値目標を評価する上で最も参照されるべき数値になるだろうと明日香教授は述べています。加えて、GDPの大きさに比べ国全体の排出量は小さい、個別セクターの原単位は小さい、経済的効率性を重視すべき、といった従来の日本の主張は、国際社会で評価される可能性は低いという趣旨の予測も述べています。

実際、これまで先進国が多くのエネルギーを使って豊かになったことや、中国が世界一の排出国(全体の27.8%)になった現在でも、一人当たり年間CO2排出量は米国16.4t、日本9.6t、中国6.7t、アフリカ諸国では全体排出量の3.3%で一人当たり1.0tという状況(2012年)を見る限り、一人の人間としての公平性が確保されているとは到底言えません。

同時に、人として生きる権利は現世代のみならず将来世代にもあるわけですから、彼らへの配慮は現世代に生きる私たちの責任であり正義であると思うのです。勿論、世界中での移動や、既に獲得した資金、技術力等も国毎に異なりますから、能力、効率性、経済性等への配慮も必要でしょう。しかし、原則は途上国や将来世代に対する責任、公平性といった視点が重要であり、国際交渉の場でもこうしたグローバルな正義が重視されるようになれば、本当にうれしいことです。

それにしても、なぜ日本では、短期的経済性のみを主張し、公平性や責任、社会的正義、と言った倫理・哲学的なことを蔑ろにし、真正面からの議論を避けてきたのか?政治家や経済界のみならず、学識者や研究者、NPOの間でも(一部ではあったようですが)、殆ど議論されてこなかったのは何故でしょうか?

日本人は物事の本質を議論し、体系的に整理することが苦手だから?正解のある問題を解く教育が主流で独自性や答えのない問題を考える教育を受けていないから?経済性・効率性など日本の得意分野とは相いれない議論で、その議論に乗らないのが日本の戦略だから?そもそもグローバルな正義とは何かが不明確だから?理由は色々ありそうです。しかし、今の日本での気候変動議論は、「倫理なき日本の原子力行政」(本誌2014年5月号)同様、本質的な議論が欠けたまま進行しているように思えるのです。

そんな話をしたら、仲間内からも、2030年目標を決める切羽詰まった段階でそんな悠長な議論をしても無駄と反論されました。しかし、環境派と言われる人たちが、政策論、技術論に加えてこうした議論をしてこなかったこと、さらに言えば、利害関係や様々な制約に囚われず自由な立場にある私たちNPOが、率先してこうした本質的な議論をしてこなかったことが、現在の薄っぺらな削減目標値議論の一因になったとも考えられます。

『温暖化問題は地球へのやさしさの問題ではなく、正義の問題であることを一般市民に理解してもらうことが不可欠である。そして時間はかかるものの最終的には政治家と官僚の両方を動かしていかないと、社会、特に日本社会はなかなか変わらない』と明日香教授は結んでいます。そして、例え即効性はなくても、「環境の問題は文明の問題」として、環境倫理、日本の持続性の知恵、環境文明社会という一連の活動を継続し、持続可能な社会像と基盤となる価値について提案してきた環境文明21が、こうした議論の必要性を訴えていくのも一つの大きな役割ではないかと、反省も込めて、改めて考えています。

6月5日、市民環境団体のネットワーク組織である『グリーン連合』が設立されます。その目的は、国民の環境意識を高めつつ、停滞する環境政策に働きかけ、大きな社会のうねりを巻き起こそうというものです。是非その場でも、NPO/NGOが率先して、研究者とも連携しながら、気候変動問題を解決するにあたって忘れてはならない価値について議論し、共有し、広めていきたいものです。


6月5日 日本市民環境団体連合会(通称:グリーン連合)設立!!

気候変動の激化、生物多様性の喪失、様々な化学物質による汚染の拡大など、私たち人間の生命や社会・経済活動の基盤である環境の悪化は止まるところを知りません。さらに、福島第一原子力発電所の過酷事故は、エネルギー転換の必要性だけでなく、私たちの文明に対する根源的な疑問を、日本のみならず全世界へ投げかけました。このままでは人類社会の存続さえも危ぶまれます。
しかし、そうした状況にもかかわらず、3.11以降、日本の環境政策は後退を続けています。
一方、環境文明21では、2012年秋から「環境NPOのエンパワーメント戦略2020」プロジェクトを行ってきましたが、検討を重ねる中で、個々のNPOの活動には限界があること、この危機的状況の中で社会への影響力を高めるには、NPOが連携することが重要との意見にたどり着きました。
そこで、いくつかのNPOに声掛けしたところ、同じ思いでいることがわかりました。
そして、日本各地で活動する環境NPO/NGOが手をつなぎ、これまでの経験と英知を結集し、持続可能な社会構築に向けた大きなうねりを日本社会に巻き起こすために、連携して活動していこうと、「環境の日」である6月5日に設立することを決意した次第です。
当面の活動としては、市民版環境白書(市民環境緑書)の作成、COP21に向けたキャンペーン、議員との意見交換会、政策提言力向上を目指す研修や講座の開催等を予定しています。

設立総会並びにシンポジウムへのご参加も含め、グリーン連合へのご支援をお願いします。

グリーン連合Facebookページ:https://www.facebook.com/greenrengo