2015年7月号会報 巻頭言「風」より

気候変動対策に問われる企業トップの責任と覚悟

藤村 コノヱ


先月開催されたG7と同じ頃、ドイツで開催されたCOP21準備会合で、日本はまたもや不名誉な「化石賞」を授与されるなど、世界から「日本の温室効果ガス削減目標は不十分」との批判が高まっています。一方、当会でも、「70年代の公害克服の経験が、なぜ、気候変動問題の解決に活かされないのか?」「時代は違っても活かせる知恵があるのではないか?」と、部会などで議論していますが、なかなか決め手が見つかりません。そんな中、一つのヒントを得る機会がありました。

一昨年から四日市市で市民の政策提言力向上を支援する活動を行っていますが、そのご縁で「四日市市公害と環境未来館」を見学しました。展示も工夫されていて予想以上の施設でしたが、特に感動したのは、公害認定患者がコンビナート企業を相手に起こした四日市公害裁判の様子を約20分の映像で紹介する「四日市公害裁判シアター」。被害患者とそれを支える人々の鬼気迫る戦いぶりや当時の行政マンや研究者の奮闘など、資料や当事者の証言も生々しく、全ての関係者が各々の立場で、全力で解決への道を切り拓いていったことが伝わりました。また、「少なくとも人間の生命、身体に危険のあることを知り得る汚染物質の排出については、企業は経済性を度外視して、世界最高の技術、知識を導入して防止措置を講ずるべき」という昭和47年の判決には、経済性より生命こそを優先すべき、という法の正義が明記されていました。

また、当時の企業対応の詳細についてはあまり知らなかっただけに印象的でした。裁判開始の昭和42年当時には、国の方針に従ったものであり違法性は全くない旨主張していた被告企業。しかし、昭和47年の判決を受けて、被告企業の一つだった三菱油化の黒川社長(当時)は、「判決はある意味で将来へ向けての企業姿勢が問われているものと十分尊重し、かみしめていきたい。判決に対してどうするかは、地域住民の健康や環境を守ることなしに企業の永続的発展はありえないという企業の社会的責任を前向きにとらえることを前提に、単に技術論、科学論だけにとらわれることなく柔軟な姿勢で臨み、結論を出したい」との談話を即刻発表。翌日には、控訴しない方針を打ち出し、患者の早期救済を最優先することを決定したそうです。当時を知る化学メーカーのOBの方からは、地元からの突き上げが激しく技術的にも企業側が未熟だったために、やむを得ず出した結論だった、という話を聞きましたが、それでも、今と比較すれば、やはり経営者としての責任や覚悟といったものが感じられます。

実際に、昨今の気候変動を巡る動きを見ても、産業界は「日本の省エネ技術は世界一」「経済効率性を重視すべき」といった古い思い込みと短期的経済性を理由に、世界から非難される低い目標値に甘んじ、「自主規制」という企業にとって都合のよい政府方針に対し異議を唱える経営者は殆ど見られません。

また、2030年の電源構成の決定の際、経産省有識者委員会の委員長を務めたコマツの坂根相談役は、「原発を1%減らして再生可能エネルギーに置き換えると、電力コストが年間2200億円増えるとの経産省試算がある。」と一役所の試算を鵜呑みにし、根本的解決に向けた知恵も将来世代への責任も殆ど感じられない発言をしています(6月17日付毎日新聞)。これを受けてか、原発新増設や運転延長にまで言及する電力会社トップも出てくる始末。

勿論現在でも、経営者として優れた先見性と倫理観を持ち、真の社会的責任を追及し続ける経営者はいます。当会の「環境力大賞」を受賞した経営者の皆さんもそうです。しかし、国の政策にも関与するような大企業の経営者からは、先見性や知恵、倫理観、企業の真の社会的責任の自覚など、経営者としての気概や志のようなものを感じさせる発言はほとんど聞かれません。

に厳しい発言で有名な浜矩子同志社大学教授は、著書『国民なき経済成長』の中で、「安倍政権の経済政策は人間に目が向いていない」と断じた上で、安倍総理が企業統治の強化に期待するのは、近江商人の“三方よし”でも、アダム・スミスの“人の痛みや苦しみがわかる共感性を有する人間らしい人間たちが携わる営み(=経済活動)”でもなく、「グローバル競争に打ち勝つ攻めの経営判断を促すこと」だと述べています。

こうした政権の意向が経営者にも影響しているのでしょうが、企業活動からの温室効果ガスが大部分を占める現状では、企業の取組強化は不可欠です。特に強い影響力を持つ大企業のトップが、権力や目先の経済性に惑わされることなく、優れた先人経営者に学び、従業員と会社、その基盤となる環境と社会の“持続性”を最優先し、気候変動という人類社会の危機に産業構造の変革も視野に入れ、本気で取り組まない限り、市民の力だけでは、日本の気候変動対策は前進しません。

これまでも、「民主主義の赤字」(2014年11月号)や「頑張れ、環境省」(2015年3月号)等で、政治家、官僚、私たち市民の、いわば、「人間力」の低下が停滞の一因では、との私の思いを述べてきました。そんなに単純ではないとの反論もありますし、直接命や健康被害に係わる公害と気候変動では危機感が違う、貧富の格差が広がり環境どころではない、というのも事実でしょう。

しかし、そんな言い訳を続けてきた結果が今です。政治家、官僚、経営者、そして勿論私たち市民やNPOも、どんな時代でも最優先されるべきは「生命」であり、それを維持するために良好な環境は不可欠であることを再認識し、(なでしこジャパンの彼女たちのように、)「持続性」という頂上を共有し、“強い思い”をもって、“全員で全力で”挑戦していくしか道はないように思えます。