2016年4月号会報 巻頭言「風」より

「春」はまだこない

加藤 三郎


 暖かかったりひどく寒かったりの不順な天候が続いた冬も乗り切って、すっかり春らしくなりました。田園調布にある私たちのオフィスはすぐ近くに樹木豊かな公園があるせいか、早春には、うぐいすの鳴き声を耳にすることがありますが、今年は殊の外頻繁に、しかも本格的な鳴き声を聞くことができ、桜も見事に咲き、私たちを喜ばせてくれています。

このように日本の自然は、今年も間違いなく春の恵みを届けてくれていますが、私の心は、春の喜びに完全には浸ることが出来ないでいます。何か重いものが胸に留まって「春」はまだ来ないでいるのです。今回はそのことを語ってみようと思います。

その第一は、日本の政治が時代の大変化に未だ的確に対応し得ていないことに対する苛立ちと危機感です。どの時代にも変化はつきものですが、今は少子高齢化、人口減少、地方の過疎・消滅化、環境・エネルギー問題、不安定な雇用、教育の格差など、まれに見る大激動の只中に私たちはおります。それに対処する与党も野党も、また、それを選ぶ国民の側にも、まずこの大変化の実態と本質を的確に見定め、それを基礎とした新しい政治を形成する必要があるはずです。しかるに、今、私たちの眼前で起こっている政治劇は、相も変わらず「経済」成長一本やりで、その手法は規制緩和であったり、将来世代にツケ送りをすることばかりが目立ちます。

私たちに本当に必要なのは、経済の成長ではなく、安心・安全を感じられる持続性であるはず。なのに、選挙民は何よりも景気回復を望んでいるために、政治家も次の選挙のことを考えると、足元の景気回復や経済の成長政策ばかりに力が入り、直面している重要課題に対し、中長期的なビジョンや戦略を持って対応することは二の次、三の次になっているように思えてなりません。

本来なら、野党は安倍政権の成長路線とは本質的に異なる持続可能な社会作りの政策パッケージを明示して対峙すべきですが、どうも、そのための知恵も勇気も足りないように思えてなりません。結局、経済至上路線から離れることが出来ないのではないでしょうか。だから、チマチマした批判ばかりで、国民を目覚めさせ、新たな希望と展望を、説得力を持って語ることが出来ないまま、日本の野党も与党も低迷しているようにしか私には思えません。

第二は、環境・エネルギー政策の低迷です。いつも本欄で語っているように、環境政策もエネルギー政策も日本の経済社会にとっては極めて重要な政策です。それは社会を維持し、将来世代のために不可欠なルールや社会インフラを形作る政策だからです。大気汚染や気候変動に苦しんでいる今の中国を見れば、政策が如何に重要かは明らかです。確かに日本は、1990年代末頃までは、環境・エネルギー政策に真剣に取り組んだと思います。そして、それなりに成果はあったのですが、今世紀に入った頃から、「日本の環境・省エネ技術は世界のトップクラス」「日本は乾いたぞうきんで、これ以上絞っても何も出ない」などと経済官庁や経済界のエライ人が触れ回り、国民の間で、このような話が神話化されるにつれて、この分野の日本の政策も産業力もずるずると後退してしまっています。

そのような中で、「パリ協定」が採択されたのです。そこに盛られた目標を達成し、気候の安定を確保するためには、世界も日本も「脱化石」、すなわち省エネを徹底した上で、再生可能エネルギーを大量に導入するしかありません。もちろんこれは大変なことです。電気も自動車も船も飛行機も、今はほとんど化石燃料に依存しているからです。私たちの豊かさや便利さは「化石燃料」の大量使用に依存していることは確かですが、この道は遠からず行き止まりになると見定め、覚悟を決めた記念碑が「パリ協定」です。まさに気候変動を何とか抑え込むために我々は変化し、その法的ツールとして「パリ協定」があると考えるべきでしょう。

残念ながら、安倍政権はこの時代の潮流に真剣に取り組んではいないようです。現在、作られようとしている政府の「地球温暖化対策計画」を見ても、日本のエネルギー構造は、パリ協定の前に決めたままです。すなわち、石炭も原子力も大いに使い、再生可能エネルギーは2割程度の目標のままです。これでは世界の先進国としての責任を半ば放棄したようなものです。その結果、日本の折角の技術ポテンシャルを活かせず、世界では「パリ協定」を見込んだ新しいビジネスが開発されているというのに、石炭火力発電やボロボロになりつつ原子力発電に抱きついている姿を見ると、これからの世界における日本の位置取りが、良識ある国民の望むものからはほど遠くなるようにしか思えません。

第三は、日本の未来を支える力の養成を怠っていることです。足元のことしか関心を寄せなくなった政治や経済、そして、それを許す国民・メディアが主流となった今では、子供の教育やおびただしい数になった非正規社員の人材力アップなどの未来への投資などには本気になれないのかも知れません。しかし、その結果、10年、20年後の日本の潜在力はどうなっているのでしょうか。今の政治・経済界のリーダーたちは、その頃には、退任しているでしょうが、その責任をどう考えているのでしょうか。

以上、私の三つの懸念が単なる杞憂であってほしいと願うばかりです。