2016年6月号会報 巻頭言「風」より

世界の中の日本の役割

加藤 三郎


1.衰退するのか、日本

私は自分自身を人並みの愛国者であると考えている。何しろ日本チームがオリンピックやワールドカップで活躍すればうれしがるし、日本人学者がノーベル賞をもらったと聞けば我がことのように誇らしくなる。また、イチローやマエケンの大リーグでの活躍振りを聞くと、普段、野球なぞ見もしないくせにソワソワする。

しかし、その私も最近は各分野での日本の衰退を心配することが多くなった。衰退の原因はいろいろあろうが、根本は、日本の人口が減り始め、高齢化が急速に進む“老大国”になりつつあるという人口構造の問題。もう一つは、過去の成功体験の残照の中にずっと浸って、現在のありのままの姿を見ようとしない風潮や知性の怠慢にあるように思えてならない。環境・エネルギー政策分野でもその傾向が顕著だ。

私は本誌15年6月号で、ジャーマンウォッチによる地球温暖化対策の国別ランキングを紹介し、その中で日本は主要58か国のなかで、なんと50番目にランクされていることを紹介した。その評価に、ある人は驚き、ある人は評価方法がゆがんでいると言い、多くはハナから無視し、話題にすらしようとしなかった(この団体の最新版では日本のランクはさらに低下)。

日本人の多くは、日本の環境技術や省エネは世界に冠たるものと思い込まされているので、このような評価をまともに受け止めようとしていないように思われる。つまり、過去の栄光や誤った情報(大戦中の大本営発表的な)にすがって、現在の実力をしっかり見ようとしていないのではないか。

これは何も環境分野だけに限らない。『中央公論』本年5月号は、「ニッポンの実力」と題した特集を組み、様々な視点から日本の実力をあぶりだそうとしている。例えば、「国際競争力27位」、「労働生産性21位」、「民主主義指標23位」などのランキング数字を挙げ、それぞれを詳しく分析している。中央公論の編集者も日本の全般的な衰退傾向が気になったのか、「我々は将来を悲観するしかないのだろうか。様々な指標の中に答えを探る」ことを特集の狙いとしていた。

本稿では、私たちの一大関心事である持続可能な社会づくりの観点から、世界の中の日本の役割について述べてみたい。

2.世界の中の日本の特色

世界には190余の国があり、それぞれがかけがえのない文化や歴史を持っている。恵まれた国もあれば、シリアやアフガニスタンのように存亡の危機に陥っている国もある。全体でモザイク模様の人類社会を形成し、その世話役を不十分ながらも、国連とその関連機関(WHO、UNEP、世銀など)が担っている。

そのような国家群の一員である日本は、世界のなかでどんな特色を有しているのであろうか。私には、次のような点が思い浮かぶ。

第一に150年ほどの時間を掛けて、西洋の文物(科学技術、政治経済、社会思想、文化、芸能、スポーツなど)を悪戦苦闘しながらも取り入れて、ほとんど我がモノとした最初の非西洋国であること。

第二に、西欧化の激しい流れの中にあっても、平和で今日の持続可能性に繋がる伝統文化を賢明に保持し、時代の変化に合わせて発展させてもいること。

第三に、欧米諸国以外で唯一、先進大国G7のメンバー国であり、今なお世界第三位のGDP大国であるが、近年は衰えが目立つ老大国になりつつあること。

第四に、20世紀には、中国、韓国、東南アジアなどのアジア諸国の近代化に対し、プラス・マイナスの様々なインパクトを与え、いくつかの国では、甚大な人的、物的損害を与えた歴史を背負っていること。

第五に、これまでのところ唯一の核兵器被爆国であるとともに、東電福島原発の甚大な事故を起こし、世界の原子力のあり方や政策にも大きな影響を与えていること。

第六に、国際社会、特に先進国の一員として、人類社会の平和と持続可能な発展に貢献し得る大きなポテンシャルを今なお有していることである。

3.世界に向けて何が出来るか

平和で、持続可能な社会を追求する上で日本が世界にどんな貢献が出来るかについて、私の考えを述べる前に「貢献」について一言述べておきたい。日本では「貢献」は、余裕のある時に施すもの、余裕がなければしなくて良いと考える人が多いように思われる。もちろん「貢献」の目的や中身にもよるが、自分が属す社会組織の一員として、その維持、発展のために必要であれば、余裕のある無しに拘わらず、すべき責務であって、決して施しではないと私はかねてから考えている。

日本は人類社会の一員だ。この時代を生きる一員として、意識するかしないかに拘わらず、世界とは強く繋がっている。世界の国々から直接、間接、数々の恩恵を得ている。近年では、コンビニ、インターネット、スマホ、AI、IoT…どれをとっても外国生まれの仕組みだ。また日本も様々な形(途上国や国連等への資金提供、人材の派遣、高機能製品の製造、和風文化の普及、学術分野での開発や発見など)で世界に貢献し、相互に裨益し合いながら、この人類社会を維持している。しかも日本は、先進国の一員であり、人類社会に責任あるリーダーの一人だ。それらしい仕事は当然、仲間うちから期待され、それを為すのはリーダーとしての責務だ。利益があるからやる、ないからやらないというものではない。

さて、その日本が世界の持続性維持のためすべきこと、出来ることは何か。すぐに思い浮かぶのは公害防止・省エネ技術の普及であったり、途上国の人材育成支援や、世界に約430基ある原子炉もやがて廃炉になることを考えれば、原子炉廃炉などの経験や技術の伝播・普及などではなかろうか。

しかし、このような支援は必ずしも日本でなくても出来る。日本しか出来ないオリジナリティのあるものは何か、それは日本の伝統社会が培い育んできた持続性の知恵ではなかろうかと、私たちは当会発足以来、常に考え、調査し、主張してきた。

前からの会員さんはご存知のように、その成果は『環境の思想―「足るを知る」生き方のススメ』(2010年)や『生き残りへの選択〜持続可能な環境文明社会の構築に向けて』(2013年)などに中間報告的にまとめ、公刊している。日本の伝統社会が持っていた知恵とは、自然との共生、足るを知る、調和を貴ぶ、先人を大切にする、次世代を愛し育てる、などの8項目である。

私たちが意識して、和風文化の探求と普及に取り組んで20余年の月日が経ったが、この間、西洋起源の理念やシステム(新自由主義経済、グローバル資本主義、議会制民主主義、自由・平等・人権思想)はことごとく難しい局面を迎えている。欧米社会内部で発生している貧富の格差拡大、押し寄せる難民への対応、ヨーロッパで顕著な民族差別の極右政党の拡大、最近では、アメリカ大統領選挙での迎合的で無責任な言動などである。

その一方、この間、日本では政財界のエライさんではなく、目立たぬ普通の人々の間で、穏やかで平和を愛し、貪欲を慎み、秩序を保ち、自己犠牲を厭わない営みも一部で未だ健在なのは頼もしい。

「世界で一番貧しい大統領」としてすっかり有名になったウルグアイのホセ・ムヒカ前大統領が4月に来日し、各地で講演やインタビューに応じた。その中で、ムヒカ氏は「質素なだけで貧しくない」、「簡素に生きていれば人は自由なんだよ」、「怖いのは、グローバル化が進み、世界に残酷な競争が広がっていることだ。すべてを市場とビジネスが決めて、政治の知恵が及ばない。まるで頭脳のない怪物のようなものだ。」(4月1日付朝日新聞) などと語り、私も大いに注目した。

そのムヒカ氏は、『文芸春秋』6月号のインタビューのなかで、なぜ多くの日本人が氏の言葉に惹きつけられるのかとの問いに対し、「私の考え方は、日本の昔から引き継がれてきた文化の根底と、通じるものがあるのかもしれない。だからこそ、日本人に訴えるのではないだろうか。しかし、その日本の良い文化というのが、西洋化された消費文化によって埋葬されてしまって、今は見えなくなってしまった。経済を成長させていくことに躍起になり、かつての良さを見失っているようにも見える。そもそも日本人の心の底に流れているものがあり、私のメッセージが偶然、かつての良さを取り戻したいと考える日本人の心情に響いているのかもしれない。」と答えている。

私は、日本が世界に向かってすべき最も重要な役割は、和風文化の知恵と香りとを基礎に置き、日本で磨いてきた技術やシステムでもって、世界の持続性を支えるのに本気で貢献することだとムヒカさんの言葉を味わいながら再確認している。