2016年12月号会報 巻頭言「風」より

トランプ政権の発足と「パリ協定」の行方

加藤 三郎


1.COP22にも「トランプ」の影

去る11月7日から18日まで、気候変動対策に関する国連の第22回会議(COP22)がモロッコのマラケシュで開催された。この会議では、昨年12月に合意された「パリ協定」実施のための細則を決める手続きが主要な議題であった。大方の予想よりも早い11月4日の「パリ協定」の発効という祝福ムードの中、会議は始まったが、3日目の11月9日にアメリカの次期大統領にトランプ氏が選出されたニュースが伝わるとマラケシュの会場にも大きな衝撃が走ったという。

何しろ、大統領になった暁には「パリ協定」はすぐにキャンセルすると選挙戦中繰り返し述べていたトランプ氏なので、合意事項が根底から覆されるのでは、と多くの人が恐れたからである。しかし、トランプ氏の登場がマラケシュ会議参加者の結束を促す効果もあったと思われる。実際、「パリ協定」が、正式に施行される以前の2018年に、細則を定めることなど、今後の作業の大まかなロードマップが合意されたことは、ひとまず、安心材料であり、関係者の努力に敬意を表したい。

ところで、その細則というのは、どのようなものか。それは「パリ協定」を実際に動かすために必要な事項、例えば、①各国の温室効果ガス削減約束をどのように作成し、事務局に提出するか。②その約束をどのように維持し、さらに強化していくか、③進行する温暖化に適応することに関する各国の報告書作りのガイドライン、④締約国間の様々な市場メカニズムが考えられるが、ダブルカウントを防止するルール、⑤各国が定期的に透明性のある対策実施状況を報告する際のルール、⑥「パリ協定」の実施状況を定期的に確認する仕組み作り、⑦温暖化の脅威にさらされ、現実に被害を受け始めている発展国への資金や技術、人材育成での先進国等からの支援の仕組みなど、複雑な事項だ。

その細則を2018年に合意することを今回決めたので、持ち時間はせいぜい2年弱しかないが、それぞれのテーマに関して分科会を作って、結論を出していくことになろう。

この会議を締め括るに当たり参加首脳らによる「マラケシュ行動宣言」が取りまとめられた。その宣言では、2016年だけでも、既に世界中の気候変動が、異常な勢いで進んでおり、この勢いは最早、後戻り不可能だとの危機認識を示した。また、「私たちの仕事は、今や動き出した対策努力の勢いに乗って温室効果ガスの排出を早急に削減し、適応努力を強化し、そのことを通じて、持続可能な開発を支援すること。最高度の政治的な関与により、気候変動と戦うことを最優先課題とする。」という趣旨が盛り込まれた。

2.「トランプ流」への懸念

一年余に亘って続いた大統領選挙戦中も、また、当選後も世界中がトランプ氏の言動に注目し、活発に論評してきた。「イスラム教徒の入国を禁止する」「不法移民は米国から強制送還する」「メキシコとの国境に巨大な壁を築き、その費用はメキシコに支払わせる」。また、女性蔑視の発言など大統領を目指す人の発言とは思われないと、世界中の良識ある人々が批判し、不安を声高に表明していた。

環境・エネルギー問題についても、トランプ氏は無責任で根拠のない(と思われる)発言を繰り返していた。その内容はいろいろな形で、日本のメディアも報道しているが、11月16日付の読売新聞紙上で、野崎記者が、主として選挙中の発言を手際よくまとめている。それによると、トランプ氏は、①「パリ協定」をキャンセルして、国連の温暖化対策プログラムへの拠出金を止める、②雇用を奪うオバマ政権の温暖化対策はすべて廃止する、③米国の製造業を弱くするため、中国が温暖化をでっち上げた、④石炭産業を殺すため、オバマ政権は石炭火力発電所への規制を強化した、などと述べている。

これは、気候変動問題の重大性に気付いている人にとっては容認し難い見解であり、大統領になってそのまま実行されたら、気候変動対策にとって大惨事になると、私を含め多くの人が深刻に懸念しているところである。11月21日には、トランプ氏は彼の政権が「就任初日に着手する優先政策」を表明したが、その中でエネルギー政策について「雇用を阻害しているシェールガスや石炭などの生産に関する規制を廃止し、それによって数百万もの高賃金雇用を創出する。これこそ我々が欲し、待ち続けていたものだ」と述べている。幸い、ここでは「パリ協定」から脱退するなどの破壊的表明はなされていない。これについては、政権移行チームの中で結論が出ていないためと思われる。

それにつけても、地球温暖化の科学や対策に大きく貢献した研究者、ジャーナリスト、政治家をたくさん輩出したアメリカで、最も重要な選挙に、このような人物が共和党の大統領候補となり、さらに、大統領にさえなってしまった要因については、日本でも各種の論評が出つつある。グローバル経済の激流の中で取り残された人々にとっては、何の救済にもならぬ既存の政治エリートに対する失望が背景にあるという。

私自身は、前から気になっていたことがあった。それは、アメリカで発生している異常気象の多さにも拘らず、それに関連する政策的論議がメディアで見当たらないことである。私は、ほとんど毎日、BS放送でアメリカのABCニュースを見ているが、ABCは異常気象報道専門局になったのかと思うほど、洪水、山火事、竜巻、ハリケーンなどが、現場中継を交えて、頻々と報道されている。しかし、その背景(明らかに地球温暖化がある)や対策については、触れていない。まるで自然現象そのものであるかの如き報道姿勢である。

そんなことに不満を抱いていたとき、一つの論説に目が留まった。それは10月16日付朝日新聞に載ったクルーグマン・ニューヨーク市立大学教授(ノーベル経済学賞受賞)のコラム「米大統領選の争点、気候問題なぜ無視するのか」だ。教授は「米国の2大政党は数々の争点で対立しているが、気候問題ほど意見の隔たりが大きくかつ重要な意味を持つものはない。」と書き出し、その重要性にも拘らず、メディアはかたくなに無視し、候補者同士のテレビ討論会でも質問すら全く出ない状況を批判。そして「気候変動を争点にしないようにすることはもう終わりにして、この問題を中心に、そして最優先で扱うべきだ。(中略)率直に言って、これほど重要な問題は他にない。そしてこの問題を放置するならば、それは犯罪と同じくらいに無責任なことなのだ。」とこの記事を結んでいる。

ついでに、もう一つ、選挙後の意見を紹介しておこう。それは『21世紀の資本』の著者として有名になったパリ大学のピケティ教授が、11月23日付の朝日新聞でのコラムで語っているものだ。「欧州が、そして世界が、今回の米大統領選の結果から学ぶべき最大の教訓は明らかだろう。一刻も早く、グローバリゼーションの方向性を根本的に変えることだ。今そこにある最大の脅威は、格差の増大と地球温暖化である。この二つを迎え撃ち、公正で持続可能な発展モデルを打ち立てる国際協定を実現しなければならない。」と。

3.それでも気候変動との戦いは続く

この原稿執筆時(12月6日)ではトランプ政権は正式に発足していないので、気候異変に対して、どのような政策を取ろうとしているのかは分からない。もちろん、アメリカを含む世界に対して、最悪の選択は「パリ協定」離脱である。よく伝えられているように、トランプ政権が離脱を通告しても、協定上、4年間は脱退出来ないが、オバマ政権が約束した途上国への資金援助は、止めることが出来る。もし、そのようなことが現実に起きると、今でさえ揺らぎつつあるアメリカへの信頼が地に落ち、「パリ協定」全体のスキームが、事実上機能不全に陥ることさえ考えられる。

16年前、ブッシュ政権が京都議定書から離脱したことが、日本を含む世界の気候異変への戦いを大幅に遅延させ、今日の事態をもたらしたことを思い起こせば、同じ過ちを二度と繰り返す余裕も時間もない。

このような状況の中で、当会で検討すべき課題はいくつも考えられるが、私たちとしては「パリ協定」の実施下、すなわち、2050年に向けて脱炭素、脱化石燃料を実現する社会とはどのようなものになるのか、その姿と実現の方向性を探求すべきと考えている。

この作業の土台となるものには、かつて当会が実施した「グリーン経済」の探求、そして、その後に実施した「持続可能な環境文明社会の構築」があるが、これらの成果を踏まえて、「パリ協定」の、特に「今世紀後半に、温室効果ガスの排出量と吸収量を均衡させ、人間活動による排出量を実質ゼロにする」という要請に日本社会はどう応え得るかをテーマに、部会活動の再開を1月から予定している。是非、多くの会員の皆様にご参加いただきたい。