2017年2月号会報 巻頭言「風」より

「脱炭素」社会への険しい道筋

加藤 三郎


1.オバマ大統領の功績

前1月号に続いて、今回も「脱炭素」社会についての話である。昨年11月に発効したパリ協定のポイントは、世界全体で出来るだけ早い時期に温室効果ガスの排出量の増加をまず止め、今世紀後半には、排出量と吸収量とを均衡させた「実質ゼロ」を目指すとした点である。化石燃料に大きく依存したこれまでの経済・社会からすると、達成困難な高い目標を協定文に書き込み、しかも、190ヵ国を超す国がそれを合意したことは、驚きであった。

もう一つの驚きは、この合意から1年も経たないうちに発効したことである。その背景には、気候変動問題が科学者だけの関心事ではなく、今や、多くの国民、企業、政治家にとっても座視出来ない厳しい現実となったことがある。

このパリ協定の早期発効を可能にしたもう一つの要素として、オバマ前米大統領の功績を語らない訳にはいかない。オバマ氏は、気候変動問題に極めて消極的であったブッシュ政権を引き継ぎ、2009年に大統領に就任した。選挙中も就任後の8年間も、終始、この問題に真正面から向き合い、特に最後の1年余は、パリ協定の締結と早期発効に、彼の持てる政治力をフルに発揮した。オバマ氏は、就任の年の12月にノーベル平和賞を受賞しているが、その理由として、人々が思い浮かべるのは、核兵器無き世界の実現を強く訴えたことであろう。しかし、選考にあたった平和賞委員会は、気候変動への挑戦についても受賞理由に挙げ、「オバマ氏の主導のおかげで、世界が直面する気候変動への挑戦で米国はこれまでより建設的な役割を果たしている。民主主義と人権も強化されるだろう。オバマ氏ほどよりよい未来への希望を人々に与え、世界の注目を引きつけた個人はまれだ。」と述べている。

私は、オバマ氏の在任中、気候変動に対する彼の主要な発言を注視し、本誌本欄においてもしばしば紹介してきたが、彼が大統領として、気候変動に立ち向かう基盤は次の三つであったと考えている。一つは、科学の成果を真正面から受け止めたこと。二つは、気候変動の甚大な影響が、子や孫など将来世代に及ぶことを理解し、将来への責任を果たそうとしたこと。三つ目は、気候変動に立ち向かうことが競争力のある新しい技術やビジネスを生み出すと確信していたことである。

三つ目について付言すれば、09年4月のアースデー演説で「我々が今、直面しているのは、環境を救うか、経済を救うかの選択ではない。繁栄か衰退かの選択である。我々は引き続き、石油の主要な輸入国に留まるか、それとも、クリーン・エネルギーの輸出国になるかだ。新しいエネルギー源を創りだすのに世界をリードする国は21世紀のグローバル経済をリードする国となる。アメリカはその国でなければならない。」と述べたが、この主張は8年間一貫していた。

そのオバマ氏がパリ協定の発効を急いだのは、共和党を中心とする国内の政治勢力の中に、石油・石炭産業を保護するために気候変動の科学を否定したり、規制を逃れさせる力があることに加え、気候変動問題は、アメリカの製造業を痛めつけるために、中国が作り出したでっち上げだと主張するトランプ大統領候補に対する備えがあったと思う。そのため、主として先進国が引き起した気候変動問題の責任を厳しく追及していた中国やインドの首脳を自ら説得し、協定の締結と早期批准を促した。

このようにパリ協定が合意され、早期に発効するに至った一大功績者は、オバマ大統領であると私は考えている。

2.「脱炭素」社会へ厳しい挑戦

さて、このパリ協定のエッセンスは、脱炭素つまり化石燃料への依存から脱却することであろう。それ以前は、「低炭素」と言われていたが、パリ協定の文面をそのまま素直に解釈すると、低炭素では済まず、脱炭素に向かわなければならない。

しかしながら、それが本当に可能かというと、極めて困難な道筋である。何故なら、今日の世界も日本も、一次エネルギー源の約9割は化石燃料に依存しているからだ。身の回りをさっと見ても、ビルや工場など生活の大半で必要な電気の大部分は化石燃料から作られ、自動車も、航空機も、船も、ほとんど化石燃料に依存している。このように生活と経済を支えるエネルギー源の多くを化石燃料に依存している状況から、30~40年程度で脱化石燃料を実現することが、いかに困難なことかは容易に想像できるであろう。その困難さを充分に理解しながら、「パリ協定」に、ほとんどの国が合意したのは、海洋に浮かぶ小さな島国から大陸国家、そして我が日本列島にしても、襲い来る異常気象による生命や財産の甚大な損失が、頻々と起こっている現実があるからだ。しかも、これからもっと激しくなり、手の付けられない状況すら考え得るという科学者らの指摘が、益々現実味を帯びてきたからだと考えられる。

脱炭素は、とても一筋縄では達成できない困難な道のりである。まずは、生活のあらゆる面で再生エネルギーの活用と省エネの徹底をしなければならない。これからは産業や住宅、交通だけでなく、医療、食料の生産・加工、教育、スポーツ・文化・芸能を含む娯楽などあらゆる面で徹底させなければならない。これまでは生産現場や自動車、電子機器や建物などの省エネが強調されたが、これからは、特定分野の技術革新だけでは到底済まない。多くの国民がその必要性を理解し、喜んで参加するための仕組みや雰囲気づくりが不可欠である。

なお、脱化石燃料というと、原子力の活用という議論をよく聞く。しかし私は、福島第一原発の事故から6年経った現状においても、深刻な未解決課題を様々に抱え、多くの人の生活を破壊し、事故処理全体の費用がどこまで膨張するか未だに正確なところは分からないでいる状況を見ると、地震などの自然災害が多発する日本では、原子力による脱炭素は、選択肢にはならないと考えている。

3.日本は相変わらず遅いが、希望の芽も

パリ協定の締結とその実施に向けて、世界の主要な国々で、大きな動きが出てきた反面、日本の動きの遅さ、鈍感さが誠に気になる。

本誌昨年12月号は、その問題を特集し、主として欧米の企業が活発に動き出した様子をレポートしている。繰り返し述べているように、安倍政権は、気候変動問題の重大さに十分に対処しているとは思えず、21世紀の日本の産業や技術体系を立て直す大きな契機とする方向付けが貧弱である。現に安倍首相の政策スピーチからは、パリ協定の意義を真正面から受け止め、それに沿って日本の経済社会を作り直し、新しい成長につなげようという意欲が汲み取れない。

しかし、問題は、安倍政権の気候変動政策への取り組み姿勢だけではない。野党でも、この問題に対する明確な方針が見られない。

これでは日本の政策が、気候変動時代にふさわしい社会構造、エネルギー構造、交通体系などに向かっていく力は弱い。これに関連し、1月18日付の毎日新聞「展望日本経済2017」というコラムにおいて、三菱重工の首脳は「再生可能エネルギーだけでは、国内電力は賄えない。安全性は技術進歩で高められるはずだ。高速炉や核融合炉といった次世代技術の研究も続けていく。そうでなければ日本は世界に劣後してしまう。」と語っているのが気になる。

私が特に納得出来ないのは、「再生可能エネルギーだけでは国内電力は賄えない」という部分と、「そうでなければ日本は世界に劣後してしまう」というくだりだ。確かに今すぐ再生可能エネルギーで全て賄えと言ったらそれは全く不可能であるが、最早、多くの国が化石燃料から脱却し、再生可能エネルギー100%に向けて動き出し、まずは電力、それからエネルギー全体を賄おうと真剣に検討し始めている。再生可能エネルギーだけでは国内電力を賄えず、原子力の次世代技術の研究を続けていかなければ日本は「劣後」してしまうという認識が問題で、それこそ、まさに日本は世界に劣後してしまうだろう。

このように、政界や経済界の中枢の動きは、よくて鈍感、悪くすると逆向きのままでいるが、私にとって希望の芽は、地方や一部の企業で小規模ではあっても、新たな脱炭素への動きが脈動し始めていることだ。その具体的な動きは、今後本誌でも随時紹介するが、先月末に新たに発足した当会の部会活動にもつなげたいので、会員各位の周辺にある関連情報を積極的にお寄せいただき、「脱炭素」社会づくりの、せめて端緒だけでもご一緒に歩んでいただきたいと願っている。