2017年9月号会報 巻頭言「風」より

このままではいけない、エネルギー基本計画

藤村 コノヱ


今年の夏も福岡県朝倉市や大分県日田市をはじめ各地で気象災害が多発。日本のみならず世界中で多発する異常気象を見ていると、既に、ある限界を超えたのかもしれないという気がします。しかし、その背後にある温暖化に言及する天気予報やメディアは少なく、危機感がまだまだ薄いように感じます。

そうした中、山本公一前環境大臣は、最新設備でも天然ガスの2倍のCO2を排出する石炭火力発電所の建設計画に「待った!」をかけ続け、政治不信が高まる中、唯一留任してほしい大臣として私たち環境NPOも高く評価していました(残念ながらご退任。後任の中川大臣も今のところこの流れを踏襲)。

その一方で、経産省ではエネルギー基本計画の見直しが進められており、原発再稼働の方針を盛り込むようです。今回新設は明記されなかったものの、その動きもあり、そのためか、2050年を視野に入れたエネルギー政策を話し合う、原発メーカー経営者中心の有識者会議を立ち上げるそうです。

2050年、温室効果ガス80%削減目標を掲げている日本政府としては、目標達成にはCO2を出さない原発も不可欠ということですが、日本の選択として正しいとは到底思えません。何故なら、確かにIPCCの議論でも原発は低炭素電源の一つとされていますが、日本は世界とは事情が大きく異なるからです。

まず、世界で一、二を争う程の地震大国であること。本誌2017年3月号エッセイで、元東電顧問の小林さんは、自身の90年の人生の間でも3度の巨大地震に見舞われているのが日本列島の宿命、と記しており、3.11以降はほぼ毎日日本のどこかで地震が観測されているそうです。またテロ対策も十分とは言えません。以前にいくつかの原発施設を見学しましたが、私でさえ、すぐに突破できるなと思った程の警備の甘さでした。あれから十数年経過し以前よりは厳しくなったと思いますが、日本を攻めるなら原発を狙え、という話があるように、その危険性を指摘する声は絶えません。そして廃棄物問題も何も解決されておらず、稼働すればするほど、放射性廃棄物は増え続け、将来世代に危険なツケを残し続けることになります。加えて、これまでずっと安価と言われ続けてきたコストも、安全性の充実、廃棄物処理、廃炉、事故処理や賠償など考えれば、原発は決して安価ではないことは周知の事実です。そして何より、一度過酷事故が起きれば、多くの人命と生活とが奪われることは福島事故が示しています。

こうした様々な課題を抱え、国民の半数以上が反対する原発を、何故維持しようとするのか? 既得権や安全保障など、古い体質が大きな理由のようです。安全保障については8月6日、松井広島市長は平和宣言で「市民社会は、既に核兵器が自国の安全保障にとって何の役にも立たないことを知り尽くし、核を管理することの危うさに気付いてもいる」と述べているにもかかわらずです。しかし個人的には、国のリーダーと言われる人たちの、特に将来世代に対する無責任さと倫理観の欠落が根底にあるように思えてなりません。

確かに、気候変動問題は人類にとって喫緊の課題です。しかし、だからと言って、その解決のためなら何をしてもいい訳ではありません。にもかかわらず、2050年温室効果ガス80%削減のために原発は必要、という経産省や一部産業界、その支援を受ける政治家の言い分は、「大きな、危険なツケは将来に回してもかまわない」とも受け取られ、到底納得のいくものではありません。それに、既に再生可能エネルギーという安心・安全でコストも急速に低下しているエネルギー源があるのですから、それを存分に活用する方策を早急に練る方がよほど合理的で実現可能性も高いはずです (もっともそれを邪魔しているのが、まさに既得権益組です)。

経済学の父と呼ばれるアダム・スミスは、『国富論』の前に、『道徳感情論』(1759年)を書き、“利己心や自愛心は義務の感覚と共に制御しなければならないし、通常は制御されるはずであり、法と義務の感覚という人間本性により社会秩序が実現する”という趣旨を述べています(参照:『アダム・スミス』堂目卓生著、中公新書)。「見えざる手」という言葉の裏にはこうした道徳観があったにもかかわらず、新自由主義や市場原理主義の横行により、いつの間にか市場で利益を上げる為なら法も制度も変えられる、儲ける為なら何をしてもいいといった考えが広がり、「見えざる手」は勝手に解釈され、スミスの説いた道徳哲学など無視した人間社会の秩序基盤を見失った経済活動が日本でも見受けられます。

原子力に関わる人達が皆そうだとは思いませんが、健全な環境こそが私たち人間の生命基盤であり、“将来世代に健全な環境を残す”という人としてまっとうな感覚を持っていれば、再稼働を決める前に、それが人として、企業活動として許されることかの議論があってしかるべきです。しかし残念ながら、そんな議論は聞いたことがありません (これは、石炭火力を推進する人たちにも通じる事です)。

加えて、相変わらずの「経済最優先」で支持率回復をねらう現政権には、人間社会の困難に立ち向かう気概は全く感じられず、よほどのことがない限り、従来通りの損得勘定で、今回のエネルギー基本計画の見直しも進められそうです。

ただし、当事者は以前のままでも、国民の原発に対する意識は確実に変わっています。私たちNPOも、環境よりも「既得権」や「安さ」を優先する政府や企業への抗議の声をあげ続けています。「必ず潮目は変わる」と信じ、それに備え、環境とエネルギーの融和政策が取れる体制に近づけることが大切です。