2017年10月号会報 巻頭言「風」より

改憲論議に「環境原則」を!

加藤 三郎


1.動き出した改憲論議

日本国憲法が施行されて70年が経ったが、その間に改憲論議はいろいろな形で提起され、今日に至っている。初期のころの、この憲法は「マッカーサー憲法だから駄目だ」という類の議論から始まって、今では改憲論者の多くは第9条に的を絞っている。安倍晋三氏が、2006年9月に初めて首相に就任すると、翌年5月に国民投票法を成立させ、同年8月には衆参両院に憲法審査会を設置した。その後民主党(当時)政権が誕生し、東日本大震災が発生したことなどもあって、改正論議は国政の場からはほとんど消えたが、12年の暮れに第二次安倍内閣が発足すると、またしても憲法改正論議が表舞台に出てきた。

今年に入って、5月3日の憲法記念日に、安倍首相は改憲グループの集会にビデオメッセージを送り、その中で9条の第1項と第2項は変えずに、自衛隊を明記するという改憲の方向性を示した。それとともに、この改正憲法をオリンピック開催などの節目の年である20年に施行したい意向を明らかにした。その後、首相(自民党総裁)は、年内に自民党の改正案を国会に提出すると表明した。これを受け、また総選挙もあって、与野党の中で様々な議論が起こっているのはご承知の通りである。

9条改正とともに、安倍首相は高等教育の無償化を盛り込む可能性を示唆しているが、与党内では緊急事態に対処する条文、参議院選挙の際の合区を解消する問題なども、俎上に上がっている。環境に関しては、それ以前から、プライバシー権などと並び、環境権を新しい人権として位置付けるべきだという議論は続いていた。

古くからの会員はご存じの通り、私たち環境文明21は、10年以上前から、現行憲法に環境条項が全くないことを問題視してきた。72年前に起草された憲法の中で、環境について記載がないのは不思議ではない。当時の世界人口は20数億。その時でも大気汚染などのローカルな公害問題はあったが、今日重要視している地球規模の温暖化も、生物多様性の喪失も、微量な化学物質による心身や生態系への深刻な影響も、オゾン層の破壊も事実上、まるでなかったのだから。しかし、それから月日が経ち、世界の人口も、経済活動量も増大して、化石燃料や資源も沢山使うようになって、至る所で環境問題が深刻化したのに、日本の憲法には環境条項が未だにない。

2.憲法と環境

そもそも憲法とは何であろうか。法律学者は、憲法の機能やその法的意味について様々に議論している。私は法律の専門家でもないが、国民の一人として、憲法に「環境」がないのはおかしいと考え始めた。本誌96年6月号で「憲法に『環境』が見えない」と題して、憲法に環境条項を書き込むべきだと提案した。その際、私は、そもそも憲法とは「国民と国政にとって、最も基本的で重要な政策事項を規定したもので、他の法令で変更することのできない、国の最高法規」と理解していた。したがって、天皇制も、戦争の放棄も、国会も、みな憲法にふさわしい重要事項であることには何の異論もない。しかし、国民の生命と財産を将来にもわたって広範囲に脅かしている地球環境の悪化が、憲法にふさわしい基本的で重要な政策事項である筈なのに、それが明記されていないのはおかしいのではないか。そこが、私たちがこの問題に取り組んだ起点である。

そこで、このような問題意識を当会の会員と共有し、憲法にあるべき改訂条文を提案することを目指して、本誌を通じ会員に呼びかけ、当会の中に「憲法部会」を立ち上げた。2004年7月のことで、10数人の会員が参画し、毎月1回のペースで検討を重ねた。

毎回、色々な意見が熱く飛び交ったが、もっとも重要かつ画期的と思われる結論は、私が当初考えていた「環境権」の導入に留まらず、①前文に、持続可能な社会を構築する旨を書き込むこと、また②リオでの地球サミットで確立した予防原則や民間団体の政策形成プロセスへの参加の保障、そして③環境政策の優先性を盛り込むべきとの認識が出て来て、それらをひっくるめて「環境原則」とし、翌05年1月に提案したことである。

この後も憲法部会メンバーは検討を重ねるだけでなく、国会議員の参加も得てシンポジウムを開催したり、外部有識者や法律専門家のご意見もうかがうなどして、数次にわたり微修正を重ね、10年10月に今日私たちが持っている、改正案を公表している。

この案を公表してから7年の時間を経たが、この間に大震災、そして民主党政権の崩壊と、第2次安倍内閣の発足を受けて、世の中はアベノミクスなるものへの期待が高まることに反比例して、環境への関心はしぼみつつある。地球の環境が地球温暖化・気候変動問題を始め、10年前と比べれば、問題にならないほど悪化、深刻化しているにもかかわらず、日本の政治と国民の関心は、環境からはるかに離れたところで、右往左往している。だからこそ、私たちは、本当にこれでいいのかと良識ある国民に再び問いたいのだ。

憲法改正などにエネルギーをかけるよりも、実質的な法律をつくり対策をやった方がよっぽどましだという意見もある。実体的な対策はもちろん重要だ。しかし、同時に、国の最も基本となる財産ともいうべき、環境や伝統、そこに育まれた知恵をみすみす失っていいのか、「環境」とはその程度のものなのかなど、憲法に環境原則導入の是非をめぐる議論の中で、国民一人ひとりに考えてもらいたいのだ。それは現世代のみでなく、世界と日本に生きる将来世代の為に、である。