2018年6月号会報 巻頭言「風」より

「ストックホルム会議」から46年

加藤 三郎


4月のある日、ストックホルム会議について研究しているという若手の大学教授が私のとこ ろを訪ねてきた。彼が言うには、当時の日本政府の取組等について知りたいので、この会議 に参加した人の何人かにインタビューしているとのこと。今から46年前のことになるが、確 かに私は環境庁国際課の職員として参加していたので、このインタビューを受けることにし たが、それを契機に、改めてストックホルム会議とその後の人類社会の足取りについて思い を巡らせてみた。

1.「国連人間環境会議(ストックホルム会議)」とはなんだったか

(1)なぜ開催されたか

ストックホルム会議は1972年6月に開催さ れた。国連で準備が始まったのは1969年。こ の頃は、日本はもとより先進各国は、まさに 化石燃料全開で工業化と都市化を進め、道路 には自動車があふれ始め、社会全体が躍動し ていた。反面、どの国も大気汚染、水質汚濁 などの公害に直面し、苦闘し、必死の公害対 策が行われ始めていた時期である。

しかし工業化の勢いが猛烈だったため、大 気汚染は一国内に留まらず、国を超えて移動 し、特に北欧の森林などは酸性雨による被害 が目立ち始めていた。海洋では、中東などか らの油輸送船が増加し、油による汚染も国境 を越えた汚染問題として認識されていた。

一方、中国、ブラジル、メキシコなどに代 表される途上国は、先進国の華々しい工業開 発、都市化の賑わいをうらやましく見つめ、 開発が公害をもたらすのであれば、むしろ我 が国にも公害が欲しいとまで公言する外交官 が出るようになり、南北問題も強く意識され るようになっていた。

1960年代から始まった急速な都市化・工業 化文明の行き着く先に懸念を深める科学者や 思想家もまた出始めた。1962年に「沈黙の春」 を刊行し、農薬などの化学物質が生態系の破 壊をもたらすことを社会に広く訴えたレイチ ェル・カーソン女史などは、その代表的存在 だろう。1969年にアメリカのアポロ計画で、 月面に人類が着陸し、そこから眺めた美しい 地球の姿に、多数の人々がかけがえのない地 球の環境を護る必要性を理解し、狂奔しつつ ある都市・工業文明に警鐘を鳴らす人たちも出てきた。

そうした時代背景の中で、スウェーデン政 府が口火を切り、国連に対し、この人間環境 問題を広く議論する場の開催を呼びかけ、国 連総会が認めることとなった。この会議初日 の6月5日、会議の事務局長となったモーリス ・ストロング氏は、開会挨拶の冒頭、「我々 は、傷つきやすい地球の環境に対する我々す べてに共通の責任を確認するため、今日ここ に参集いたしました。我々が集まりましたの は、我々自身のためのみではなく、来るべき 世代のためでもあります。なぜなら、我々は この惑星に現存するすべての生命、および将 来のすべての生命の受託者として会合をして いるのであります。」と開催の理由を表明し た。(なお、ストロング氏は92年6月の国連環 境・開発会議<地球サミット>でも事務局長 を務めた。)

(2)成果は何だったのか

この会議は、20世紀後半にたどりついた人 間をとりまく環境問題全般を議論する最初の 国連会議であり、この会議こそ、第1回目の 国連地球環境会議だったと私は考えている。

会議の成果物は何だったか。第一に『人間 環境宣言』に盛られた理念と原則の確立であ る。私自身、この会議の開催中はもとより今 日まで、折に触れ、この宣言を読み直してい るが、今読んでも的確で適切な認識が盛り込 まれている。多くを引用することはできない が、若い時分に最も感動した部分を引いてお く。「我々は歴史の転回点に到達した。いま や我々は世界中で、環境への影響に一層の思 慮深い注意を払いながら、行動をしなければ ならない。無知、無関心であるならば、我々 は、我々の生命と福祉が依存する地球上の環 境に対し、重大かつ取り返しのつかない害を 与えることになる。逆に十分な知識と賢明な 行動をもってするならば、我々は、我々自身 と子孫のため、人類の必要と希望にそった環 境で、より良い生活を達成することができる。 環境の質の向上と良い生活の創造のための展 望は広く開けている。いま必要なものは、熱 烈であるが冷静な精神と、強烈ではあるが秩 序だった作業である。」

この宣言には、人間環境を守るために必要 な26の原則も書かれている。第1番目に、「人 は、尊厳と福祉を保つに足る環境で、自由、 平等および十分な生活水準を享受する基本的 権利を有するとともに、現在および将来の世 代のため環境を保護し改善する厳粛な責任を 負う。」とあるように、環境権とそれを護る 義務を明示している。

二番目の成果は、国連の環境庁ともいうべ きUNEP(国連環境計画)の創設とその後の一 連の地球規模の会議を誘発させたことである。 UNEPは、ご存じの通り、このストックホルム 会議から直接生れ出た国連の環境保護組織で、 その年の国連総会で創設が正式に決まった。 この組織の本部は途上国に置きたいという強 い願望が国連を動かし、本部はケニアのナイ ロビ郊外に置かれた。

ストックホルム会議は、地球シリーズとも 言うべき一連の会議を誘発した。例えば、1974 年にはブカレストで「世界人口会議」、同年ロ ーマで「世界食糧会議」、76年にはバンクーバ ーで「国連人間居住会議」、77年にはマルデル プラタで「国連水会議」、同年にナイロビで 「国連砂漠化防止会議」、等々である。要する に、経済の成長と人口の増加や自然環境の不 適切な管理がもたらした地球規模の諸問題に 対応する為の会議が次々と開催された。

(3)関連する動き

ストックホルム会議開催に向け、世界中の 環境問題に関心を持つ市民団体や科学者、専 門家グループなどが様々に動き出した。その 中で、最も有名なものはローマクラブの『成 長の限界』の出版であろう。よく知られてい るように本書のポイントは、このままの成長 が続けば、人口、食糧、資源、汚染などの面 で、人類社会は100年以内に制御不能な危機 に陥る可能性があると強く警告を発した点で ある。これは、当時も今も、様々に議論があ ることはご承知の通りだ。その翌年には、ド イツ生まれでイギリスの実業家・エコノミス トとなったシューマッハーは、『スモール イ ズ ビューティフル』という名著を発表し、大 量生産・大量消費の大規模化に明け暮れてい る経済のあり方を厳しく批判した。

一方、パリに本部を置くOECDは1970年に環 境委員会を設置し、最初の仕事として、ストッ クホルム会議の直前にPPP(汚染者負担原則) を発表した。この原則は、環境を汚染・破壊 する者がその防止の費用や賠償を、公的資金 からではなく、汚染者自らが負担すべきであ るという、ごく真っ当な原則を示し、今も有 効である。

2.止まらない地球環境の悪化

このようにストックホルム会議では、崇高 で適切な理念や原則の確立、あるいは制度・ 組織の立ち上げも行ったが、それから半世紀 近くなるというのに、当時心配された人間環 境の破壊は止まるどころかますます続いてい る。勿論部分的には、例えばSOxやNOxによる 大気汚染は先進国ではかなりの程度軽減され、 特に日本もそうだが、目に見えて改善されて いる。また当時おおいに議論されていた森林 の破壊防止については、先進国や中国では確 かに止まり、むしろ森林は増加傾向にある。 また油による海洋汚染に対しては、条約や国 内法も整備され、相当程度に改善されている。

このように会議以降の改善点は数多くある が、地球環境全体を見ると悪化と破壊は極め て深刻な危機を人類社会にもたらしつつある。 気候変動、生物多様性の喪失は優に危機レベ ルを越えつつある。

森林についても南米、東南アジアでは猛烈 な森林破壊は続き、先進国や中国での改善を 優に上回っている。油による海洋汚染は少な くなったとは言え、新たにプラスチック類に よる海洋汚染が生態系に極めて深刻な影響を 与えつつある。さらに環境ホルモンなどの化 学物質による人体や生態系の破壊は、あまり 知られていないが、極めて深刻な影響を与え つつある。世界全体での森林の減少や海の異 変などにより、生物の生息する場所は様々に 圧迫され、今や地球上の生物は地球史上6回 目の大絶滅を迎えつつあるのでは、という懸 念が専門家の間に広がっている。

このような現実を見ると、ストックホルム 会議とその後人類社会が営々とそれなりに続 けてきた環境対策が何だったのかという深刻 な疑念を禁じ得ない。

3.危機感をマヒさせる経済成長への渇望 ―人類社会が危ない―

国際社会は、半世紀も前から、我々の生き 方や経済の運営の仕方をこのまま続けていけ ば、やがて取り返しのつかないような環境の 危機をもたらすということを繰り返し認識し、 その都度、宣言や行動計画などを発して、注 意を促してきた。しかし、全体としてはそれ を止めることも出来ず、ずるずると流れ下っ て来て、人類社会の運命は、今や滝壺に落ち る直前にあるように私には思える。

一体なぜか。それは私を含め、人間が持っ ているもう一つの欲求、つまり豊かで快適で 楽に生きたい、経済は豊かであるほどよい、 経済成長は何物にも代えがたい、との思いを 抑えることができないでいることではなかろ うか。この思いは人間の本能・本性に深く根 差しているだけに、危機を感ずる理性を信じ、 そこに身を任すことが結局できないで来てし まったのではなかろうか。

私たち環境文明21はかなり前から、江戸時 代以前に持っていた「足るを知る」などに代 表される伝統的な知恵や、宮沢賢治の作品 群などに示されるような智恵や倫理観をもう 一度私たちの生活のベースに引き据えなけれ ば、この危機からは免れ得ないのではないか、 との思いを深くしている。

私たち環境文明21は、存続する限り、その ことを声を大にして、日本の社会のみならず 国際社会に向かっても訴え続けていきたいと、 ストックホルム会議で誓った宣言を前にして、 改めて決意している次第である。