2018年8月号会報 巻頭言「風」より

眠りを覚ますか? 西日本豪雨や猛暑―本格的な気候異変の始まり―

加藤 三郎


1.今回の豪雨や猛暑のすさまじさ

近年、特に2010年代に入ってから、夏に日本列島のどこかで悲惨な気象災害が発生している。例えば、昨年7月には「九州北部豪雨」として福岡県朝倉市と大分県日田市で甚大な被害が発生。その前年の8月には台風10号災害として岩手県大泉町の高齢者のグループホームで9人の犠牲が発生し、北海道でも農作物に甚大な被害が発生している。

このようなことを書き出せばキリがないが、本年の7月5日から始まった西日本豪雨では上に挙げた事例をはるかに上回る被害が発生し、少なくとも230人を超す死者・不明者を出しただけでなく、家屋などへの浸水、土砂の流入、鉄道、道路、電気、水道の不通など社会のインフラにも大被害をもたらしている。また田畑への土砂流入による農作物への被害も甚大だ。気象庁は、このような大雨は数十年に一度の激しさと言うが、場所こそ違え、列島上で毎年、激甚な災害が発生していることを考えると、「数十年に一度」という表現が適切かどうか考えてしまう。

西日本豪雨の激しさに注目していたら、少し遅れて、18日には異常な高温が発生。岐阜県多治見市で40.7度、同県美濃市で40.6℃の高温を記録して皆驚いたが、5日後の23日には、埼玉県熊谷市で41.1℃、東京都青梅市で40.8℃など、高温というよりは熱波が広範囲に出現。熱中症による入院・死亡の数も増え、野菜・果物など農作物への被害も出ている。

このような被害の最中、日本のメディアは、被害状況は克明に報道しているが、その原因のベースである地球温暖化に対する言及が極めて少なく、あたかもこのような豪雨や熱波が人間とは関係ない自然現象にすぎないと言わんばかりの書きぶりであった。それを脱する報道は、やっと7月25日付の毎日新聞そして7月26日付の読売新聞で、このような異常気象現象を温暖化と絡めて論ずるまともな報道が出てくるようになり、その後も続いている。

大気の温暖化が海水温度を上昇させ、その結果、蒸発量が増え、それが前線や山塊などにぶつかれば大量の雨となって落ちてくるのは誰でもわかる理屈(私はこれを「脱塩された海水が降ってくる」と表現)。にもかかわらず、過去20年近く、日本のメディアは人間が引き起こした温暖化とのつながりを明示するのを、ためらってきた気配があった。しかし、さすがに今回の凄まじい異常さが、記者たちに良識と勇気を与えたのではなかろうか、と私は思う。


2.何をすべきか、何ができるか

1)気候の異変に自分ごととして向き合う

これまでも様々な気象災害は、天然災害と思うせいか、自分ごととして向き合うことが足りなかったように思われる。深刻な被害に対しては、お気の毒にと見舞う気持ちは十分にあっても、自分もこのような豪雨や熱波に見舞われる可能性が高いと認識し、自分ごととして捉える見方が足りなかったと思う。まずは今回の気象災害を、自分ごととして受け止め、正しく向き合う心が必要だと思う。

2)政党や政治家に働きかける

この気象災害を人間の長年に及ぶ経済活動が引き起こした人災であると理解すれば、その対策もまた政策的に踏み込むことが出来るはずだ。例えば、温室効果ガスを沢山出す石炭火力発電所の新増設にストップをかけるとか、化石燃料の輸入に毎年20兆円前後を海外へ支払うより、国内にある再生可能エネルギーの利活用のために必要な投資をするなど、 政党や政治家に様々なルートを通じて働きかけることができるし、必要だ。

3)成長や効率重視の経済ではなく、安全で グリーンな経済をつくる

地球温暖化は、日本だけに責任があるわけではない。しかし、この問題を引き起こした日本を含む先進国において、多くの人が成長や効率を、安全や持続性よりも長年追求してきた結果が、今日の問題を引き起こしているといっても過言ではなかろう。

しからば、どのような経済を目指すのか。私たちが20年近く主張し続けてきた「グリーン経済」に転換するしかない。つまり、成長率が多少低くとも、安全であり、子や孫の代まで継続できるような仕組みを作るしかない。

その具体的な中身については、環境文明21でも出版物を通じて政策提言している。そのグリーン経済、中でも「脱炭素社会」の早急な建設は不可欠だ。

4)環境省の責任は重大

何よりも経済を重視する安倍内閣の中にあっても、環境省は現在及び将来の国民の生命や安全の確保に責任を有する役所である。安倍内閣は短期的な経済を過大に重視しているが、それは安倍首相ひとりの責任ではない。むしろ過去十数年行われたあらゆる世論調査で、国民が政府に求める最大のことは「景気の回復」であったことを考えると、国民が求める政治を安倍首相はしているのだ、ということは出来るかもしれない。

その短期的経済重視の政策の中で、環境省はグリーン経済を担うための「炭素税と排出量取引などカーボンプライシング政策」に力を入れているが、現内閣では政策実現はむつかしいかもしれない。しかし環境省に存在理由があるとすれば、困難ではあっても、国民の生命と生活を守る役所として、その使命を全うしなければならない。それができないとすれば、もはや環境政策は経済に屈伏した政策と言わざるを得なくなるだろう。

幸い中川大臣は、難しい立場にありながらも、石炭火力政策に厳しい姿勢をとるなど、それなりに頑張っているように見受けられる。しかし、もし短期的経済配慮に屈伏してしまってはその思いもかなわない。そう遠くない将来に温暖化による破綻が本当にやって来た時、環境省はどう国民に説明し、また責任を取るのであろうか。大臣はもとより、中堅幹部に至るまで、環境省が何のためにあり、だれのために政策をやっているのか、一日も忘れず使命を全うしてもらいたい。