2018年10月号会報 巻頭言「風」より

環境文明21の25年~出来たこと・出来なかったこと~

加藤 三郎


 去る9月1日、NPO環境文明21は25歳の誕生日を迎えた。私が53歳の時、環境庁の地球環境部長の職と公務員生活にピリオドを打ち、藤村コノヱさんら5人で、「21世紀の環境と文明を考える会」という名のNGOとして立ち上げた。なぜこの組織を立ち上げたのか、その理由は折に触れ語ってきたが、あらためて振り返ってみると、大きく言えば二つある。


一つは、地球温暖化問題をはじめとする地球環境問題が、将来の脅威として深刻になりつつあることが明瞭になってきたが、それに対処するには、それ以前の公害対策の手法ではとても足りず、化石燃料をエネルギー源とする都市・工業文明とでも称すべき20世紀文明そのものの在り方にメスを入れ、転換を促す必要を大きく感じたことである。この問題に本気になって取り組もうとすると、霞が関の掟に縛られる官僚のままでは限界があり、思うような取組ができないと思ったので、役人を辞めて、まだ日本では数少ない政策提言型のNGOを立ち上げることを決意した。当時は、まだNPO法もなかったので、任意団体として立ち上げたが、98年にNPO法が成立した ので、翌99年にはNPOとして登録し、その際、名称も今のものに変えた。

もう一つの理由は、私自身が官僚としての仕事を通して痛切に考えていたことへの挑戦である。それは、日本の方向を決める政策決定プロセスは、ほとんど霞が関に陣取る官僚と、経団連を形成している大企業の「民僚」と呼ばれる幹部社員、それに永田町の国会議員の一部が参加して、俗に、政官財と呼ばれる、ごく限られた人たちだけで、実質的には、決定されていた。このプロセスは、明治維新以来の欧米への急速な追いつけ時代には通用しても、21世紀の諸問題に対処するのに十分でないという苦い思いが強かったことである。役所を辞める前の3年間、気候変動枠組み条約の作成のための国連会議に常に出席していたが、そのとき目にした海外のNGO(グリーンピース、WWF、FOEなど)の人脈、情報量、活動力の大きさを見て、このような組織が日本にはないことに思い至り、それなら私も日本にそういう組織を立ち上げたいと思ったのである。欧米では政策提言型のNGOは、政府や企業から独立し、自由でかつ専門的な知見を持ちながら、市民目線を持って社会に働きかける組織として定着していた。


以上の二つの目的をもってこの組織を立ち上げ、25年間やってきた。思うように出来た部分と、出来なかった部分とが沢山ある(表1、図1参照)。そんなことを胸に、今年12月8日に、環境文明21の25年間を総括する会を、今企画している。当会は日本の社会に本当に役立ったか否か、そして26年目以降は何に力をいれるべきかなどについて、率直に意見を交わしたい。当日のプログラム、スケジュール等については、間もなくアナウンスするので、是非お出かけいただきたい。


表1 25年間で出来たこと、出来なかったこと

 【出来たこと】

  • 「持続可能な社会」とは、①どんな社会か、②その社会を構成する「部品」はどんなものか(図1)、そして③それを可能にする政策の大綱を提示したこと
  • 会報『環境と文明』をはじめ各種会合、新聞・雑誌・著書・出版物などを通して、課題に対し、政府や財界筋とは異なる、自由で独立した視点を継続的に提示したこと
  • 官でも財でも学会でもない、NPOという市民組織を、少なくとも25年にわたって維持し、環境問題に関心を有する人々の情報の共有と発言の場を提供したこと
  • 企業、特に中小企業における「環境力」向上の支援を10年余にわたって維持したこと
  • 環境NPOのエンパワーメントとして、「グリーン連合」の設立母体となり、市民版環境白書『グリーンウォッチ』の編集支援をしたこと

 【出来なかったこと】

  • 会員数、特に若手会員の数が伸びず、私たちの活動に対する幅広い支援や共感の輪の拡がりを得ることができなかったこと。また、海外への発信が足りなかったこと
  • 意見の表明や政策大綱の提示にとどまり、実現に向けての執拗なフォローアップ活動が足りなかったこと
  • 「持続可能な環境文明社会の形成」といっても、活動の間口が広いため、何を追求している組織なのかが外部の人には不鮮明であり、説明不足だったこと

図1 25年間の主な活動

NPO法人環境文明21のこれまでの主な活動