2018年12月号会報 巻頭言「風」より

平成の30年間―「破局」それとも「新しい生き方」への分岐点―

加藤 三郎


1.重大な分岐点

毎年、12月号の本欄では、その年を振り返るエッセイを書いてきた。しかし、最近、某新聞社から、平成の30年間をどう総括するかというテーマで取材を受けたこと、当会も設立以来25年経ち、当会の活動ともかなり重なっていること、私個人はちょうど昭和の末年頃から、地球環境問題を公務員としても担当し、この間、地球環境一筋で来たと言っても過言ではないことから、今回は平成の30年間を環境政策の面から振り返ることとした。

まず、有限な地球環境の中で、世界の人口は増え続け、科学技術を駆使して経済は膨張を重ね、人間社会に利便性と物質的な豊かさをもたらした。しかし社会そのものは、環境面でも社会面でも経済面でも、破局の様相が色濃くなってきている。そこで、このまま突き進むか、それとも新しい経済、新しい暮らし、そして新しい政治に向かって、人間社会が大転換できるか否かの最後の分岐点に立った30年であることを痛感する。

これまでも、世界の賢人、哲人たちは、口を揃えて、人類の行く手に対し警告を発してきたが、国民も政治家も企業者も、多少の関心は示しても概ね聞き流し、経済成長を追い求めるやり方の転換はできなかった。しかし今は、環境面も社会・経済面も、このまま突き進んだら破局に至ることを示す明白な証拠は出揃ってきた。私たちは今、この厳粛な証拠を前に、どの道を選択するのか迫られている。

そしてそれは、次のようにも言えるだろうか。「このケーキは甘くておいしい。しかしこの中には食べてしばらくすると命に係わる毒が入っている。あなたはこれを食べますか、それとも別の、少し地味だが安全なお菓子を食べますか」と尋ねられ、どうしようかと迷っているようなものだ、と。

日常生活のすぐ先に破局が待ち受けているとの予感を拭い切れない私が、なぜこのような総括に至ったかは、これまで会報を読み、私たちの活動に関心を寄せてくださった方々なら納得されるだろうが、改めてその理由を簡潔に述べてみたい。


2.破局への重圧

(1) 世界人口の膨張

日本の人口は減少し始めたが、世界の人口はまだまだ膨張し続けている。平成元年には52億人であったのが、30年経った今は76億人だ。つまりこの間で24億人も増えた。年間平均すれば8,000万人の増加だ。この増加は、1年半で現在の日本の総人口に匹敵する。人がいくら増えても、それに見合った食糧、水、家屋、学校、病院、鉄道等々が毎年用意できれば基本的には社会は平衡が保たれるが、もはや世界はそれを供給できない。従って、いたるところで人口重圧の紛争が起き、その挙句に大量の移民・難民が発生する。この人口増加に伴い資源問題、環境問題が発生し、社会の安定が損なわれていく。毎日報道されているように、食料が得られず栄養失調に陥る幼い子供たち、あるいは豊かさを求めてアメリカやヨーロッパに渡ろうとする膨大な数の流民と、流入を阻止する人たちとの紛争が、今後、益々増えていくであろう。

(2) 経済の拡大

経済もまた、急拡大しつつある。手元にあるIMFの資料によると1992年から2016年までの25年間に、世界の実質GDPは24.3兆ドルか ら90.5兆ドルへと3.7倍に増加した。このうち先進国全体では2.6倍、日本は1.7倍となっているが、中国などは23倍、インドは9.5倍 にも増えている。この経済の拡大が化石燃料や資源の大量消費、環境への甚大な負荷をもたらしたことも言うまでもない。

(3) 科学技術への過信

この30年の間だけでなく、科学技術に基づく新しい製品やサービスがとめどもなく市場に流れ込み、利便さや豊かさを求める人々が競って買い求めてきたが、科学技術の持つマイナス面も大きくなってきている。端的に言えば、原子力事故、リニア新幹線建設途中の環境問題など、その典型的な例だ。私たちの身の回りを見ても、電車に乗ればほとんどの人が携帯・スマホに取りつかれている。また、遺伝子操作の子供を産むのに踏み切った科学者もいる。恐れを知らず、身の程をわきまえないというか、人々が求める利便さや欲求が、深刻な問題を抱え込む。

(4) 科学者や賢人たちの警告の無視・軽視

このような事態に対して、早くから科学者や賢人たちは危険性の警告を繰り返してきた。私にとって忘れられないのは、1962年、レイチェル・カーソン女史の『沈黙の春』での警告だ。

「私たちは、いまや分かれ道にいる。どちらの道を選ぶべきか、いまさら迷うまでもない。長いあいだ旅をしてきた道は、すばらしい高速道路で、すごいスピードに酔うこともできるが、私たちはだまされているのだ。その行くつく先は、禍いであり破滅だ。もう一つの道は、あまり≪人も行かない≫が、この分かれ道を行くときにこそ、私たちの住んでいるこの地球の安全を守れる、最後の、唯一のチャンスがあるといえよう。とにかく、どちらの道をとるか、きめなければならないのは私たちなのだ。」半世紀以上前の警告だが、いまだに私たちは破滅の道を歩んでいる。

紙面の関係でもう一人だけ挙げるとすれば、中野孝次だ。彼は、「物の生産と所有、科学技術によるはてしない進歩の幻想の上に成立っていた二十世紀の生き方は、それだけでは人々に幸福をもたらさないことがはっきりした。限度を知らぬ物の所有欲、快適と便利の追求とは違う原理が、今求められている。その原理の一つが、知足という心掛けではないか」と『足るを知る―自足して生きる喜び(朝日新聞社)』で述べている。

3.破局の回避努力の少なさ

破局への重圧を回避するため、国際社会も日本国内でも、もちろんそれなりの対応は取り続けてきた。日本での公害防止や、世界的にはオゾン層破壊への取り組みなど、部分的には成功したものも沢山ある。中でもこの30年での大きな出来事は、1992年(平成4年)の「地球サミット」での地球環境への取り組みが特に光っている。ここでは、人類社会が進むべき道として「リオ宣言」が発せられ、気候変動枠組条約、生物多様性条約などを採択した。そしてまた、国際社会としては、3年前の持続可能な開発目標を定めたSDGsと、気候変動対策に全ての国が参加することを決意したパリ協定がある。日本国内を見ても、1990年(平成2年)には環境庁に地球環境部を設け、専門的に取り組む体制を整え、また2007年(平成19年)には第一次安倍内閣が「21世紀環境立国戦略」を策定し、世界の先頭に立って環境対策を推進すると宣言はした。

このように、国際社会も国内でも、それなりの対応はとってきたが、環境を悪化させる圧力はあまりにも大きく、それへの対応はあまりにも少なく、あまりにも遅い状態であったことは、国際機関や専門学会などが発行する地球の環境通信簿を見れば明らかだ。

日本の中を見ても、省エネに努め、ハイブリット車に乗り換え、太陽光発電パネルを取り付け、工場内も不必要な時は電気が自動的に消えるような設備がいたるところについてはいるが、それでも経済拡大への渇望、それを満たす政策などが、これらの努力をはるかに凌駕し、今や滝壺の一歩手前にまで、日本を含む人間社会を追い込んでいる。

4. 回避策はあるか

これまで述べてきたように、破局を回避するには、これまでとは違った大転換が必要だが、よく考えると、その大転換はある意味、私たちの手の届くところにあると考えられる。今までも省エネに努め、太陽光や風力から電気を起こすだけでなく、スローライフ、シンプルライフ、断捨離といったことを我々はやってきている。この種の努力を個人レベルに留めるのでなく、制度的に仕組むことが可能なら、多くの人が参加することになり、自然、社会の動きは大きく変わっていくに違いない。これらの断片的な取り組みを持続可能性という一本の柱で政策に取り纏めることができれば、破局への流れも少しは緩和できる可能性はまだ残っている。もちろん、そのためには国民一人ひとりに正しい情報が届く仕組みを作ったり、教育の中身を変えたり、特に、所得への課税から環境負荷への課税など、税制を変えることによって経済活動の方向を転換することも可能である。そのためには国全体が持続可能な社会づくりに体系的、かつ継続的に取り組む必要がある。この改革への道を進むことができれば、経済の流れも生き方も着実に変化し、未来に光が見えてくるはずだ。


表1 「環境」から見た平成の30年間

「環境」から見た平成の30年間