2019年3月号会報 巻頭言「風」より

改めて「哲学」のすすめ

藤村 コノヱ


またしても痛ましい児童虐待が起きてしまった。何度も何度もその苦しみを訴えていたにもかかわらず、一人の少女さえも救うことのできなかった今の日本。一方で、労働時間調査、障害者の雇用割合、技能実習生への聞き取り調査など統計問題も深刻だ。某国のデータはいい加減だが日本のデータは正確などと言っていたのは過去のこと。この意図的な不祥事続きに、日本政府のデータの信頼性は著しく失墜してしまったように思う。

その要因はいろいろあろう。例えば、両方とも大切な政策分野であるにもかかわらず日の当たらない・地味な分野であるが故の軽視と人員(予算)削減。短期的経済重視の政権の意向。政治家も含め誰も責任を取ろうとしない無責任体質。過度な利便性や目先の経済性と引き換えに、親も社会もゆとりを失い、人間にとって最も大切なものを失いつつある現代人の生き方や考え方などなど。そしてそれは今回の問題に限らず、私たちの生命・財産を奪いかねない環境の危機に対しても言えることで、特に、(加藤顧問も含む)元官僚の方々からは、「壮大な無責任体質」という言葉がしばしば聞かれる。

それと併せて、最近、良識ある人々からは、「哲学のなさが問題」という言葉もよく聞かれる。確かに、「今だけ」「金だけ」「自分だけ」が横行するような現代社会では、それが失われつつあるのが現状のようで、上述したような事件や失政にもそうしたことが大きく影響しているように思う。

しかし、哲学と言うと、それだけで日本人にとっては堅苦しいイメージが付きまとう。実際、学問としての哲学は、世界・人生の根本原理を理性によって探求する行為であり、それには難解な書物の読み込みも必要とされる。しかし、一般社会では(俗には)、経験などから築き上げた人生観・世界観、また全体を貫く基本的な考え方(広辞苑)とされており、そう考えれば、私たちにも身近に感じられるし、良識ある人ならば、(見失いつつある人は多いかもしれないが、)各々が哲学を持っているはずである。

では、こうした哲学をどう身につけていくか。見失ってしまった大人はそれをもう一度思い起こす必要があるが、特に人生経験の短い若者はどう身につけていけばいいのだろう。

フランスでは高校3年生になると哲学が一つの科目としてあり、時間数はコースにより異なるがすべての生徒が受講するそうだ。一方日本では倫理が科目としては一番近いようだが、深く掘り下げて人生の意味を考えるなどと言う授業はほとんど行われていないように思う。大学では約50の大学で人文科学として哲学系のコースもあるようだが、人文系軽視の風潮の中で、どの程度の教育が行われているかは定かではない。私自身の経験でも、学校教育でそうした教育を受けた経験は殆どない。しかし、本を読んだり(子供の頃は偉人伝をよく読んだ気がする)、親や周りの大人の暮らしぶりを見たり、躾だったり、社会に出てからは多くの方の話を聞き、議論し、自らも体験する中で、自分なりの哲学というか、判断のもとになる基本的考え方のような ものを身につけてきたように思う。

25周年シンポジウムで、当会理事の内藤弘氏は、「若手には会社の創業精神や事業目的と同時に、将来の方向性を繰り返し話す」旨語っていたが、それによりコンサルタントとしての、ひいては人間としての基本的考え方(哲学)を養いたい、伝えたいとの思いからではないかと推察している。

また、社員としての、人間としてのあり方や考え方を社員で議論して手帳にまとめた会社もある。当会会員でもあるK社は廃棄物処理業として50年の歴史を持つ企業だが、いかなる時も全社員が誤った判断をせず、謙虚さや感謝の気持ちを忘れず実りある人生を歩めるよう、指針となる考え方・哲学 (philosophy)を手帳に纏めたいという社長の発案で、手帳づくりがスタートした。私たちも以前よりK社の人材育成に関わっていたことから、その作業を研修プログラムに組み込み、彼らをサポートすることになった。普段は廃棄物の収集・運搬・処理など哲学とはほぼ無縁な仕事に従事する彼らなので、哲学などという言葉は使わず、「仕事をする上で、暮らしを営む上で、いつも心にとめておくべきことを皆で考えよう」と進めていった。そして、研 修で学んだこと、日々の仕事や暮らしの経験から学んだことや悩んだこと、それに会社の理念や社長の思い、世の中の流れなども踏まえ、彼ら自身が繰り返し議論し、文章を作成し、まとめ上げていった。その成果がすぐに表れるかどうかは不明だが、こうした経験も彼らなりの哲学を身につける一つの方法ではないかと思っている。

 

哲学はおそらくAIにはできない、人間にしか持つことのできないものの一つであり、持続可能な脱炭素社会づくりに向けても、科学・技術と併せて、私たち一人ひとりに求められるものだと思う。

最近、「東ロボくん」(東大合格を目指すAIロボット)の開発者である新井紀子さんは、現在多くの学生がロボット同様、教えられたことを鵜呑みにするだけで、文章を読み解き、それを分析したり批判的に捉える力が失われつつあることに気付き、読解力や創造力など、人間にしかできない力を養う教育の重要性を語っている。スマホ漬けでAI礼賛が進む現代社会で、教育の劣化も相まって、考える力は低下し哲学を身につけることも困難な時代になりつつある。しかし、それなくして人間も社会も持続しないことを自覚し、在位30周年式典で天皇陛下が述べられた「過去から今に至る長い年月に、日本人がつくり上げてきた、 この国の持つ民度」も保ちつつ、次世代と付き合っていくことが大切だと思っている。