2019年5月号会報 巻頭言「風」より

新しい時代は、「防災」と「人を育てる」ことから

藤村 コノヱ


「平成」から「令和」へと年号が変わり、5月は新しい時代の幕開けです。年号が変わって悪いことは帳消しになったり人間の悪しき考えや行動もリセットされればいいのですが、そうはいかず、蓄積されたCO2は溜まり続け、国の借金も増えるばかりで、子どもたちへのツケも残ったままです。とはいえ、何かを期待したくなるのが人の常です。

先日「世界幸福度ランキング2019」が公表されましたが、日本は156カ国中58位で、昨年の54位から4つ順位を下げています。一方上位を占めるフィンランド、デンマーク、ノルウェーなど北欧は社会保障が手厚く、質の高い教育で知られています。幸福の感じ方は人それぞれですが、それでも、安心・安全、充実した教育、というのは欠かせない要素のようです。そこで私なりに新しい時代に期待することを、二つ述べてみたいと思います。

一つは安心・安全で持続的な地域、社会を創造することです。幸い、平成の時代の日本は戦争のない時代でした。しかし、地震などの自然災害に加え、近年は気候変動に伴う気象災害にも頻繁に見舞われ、尊い生命と多くの財産が失われています。昔から日本は災害の多い国として有名ですが、明治から大正・昭和のはじめに活躍した寺田寅彦は、天災と国防に関して、戦争は避けようと思えば人間の力で避けられなくはないが、天災は科学の力でその襲来を中止できないとして、「国家を脅かす敵としてはこれほど恐ろしい敵はないはず」と述べています。また天災による損害は戦争の被害より小さいとは言えないとも述べた上で、科学的国防の常備軍を備えるべきとも述べています。さらに、文化国の政治には科学が浸透し密接に交じりあっていなければ国防の安全は保てないとも言っています。

これらはまだ気候変動など問題になっていなかった時代の発言ですが、天災に加え、今後、気候変動に伴う異常気象の激化が続くことを思うと、科学的根拠のない仮想敵国に備えて某国の軍需産業を潤すだけの国防費に5兆円超の予算を投じたり、武力としての自衛隊の強化ではなく、いつ来るかわからず、現時点では止めることもできない自然災害と気象災害に備えるべきです。そのために、科学の警告を真摯に受け止め、それに基づいた人々の安心・安全のための防災にこそ、もっともっと予算と人を投じるべきだと思うのです。

もう一つは、やはり真の教育を通じて人を育てていくことです。以前に当会では、ブックレット8「生き残りへの選択」を発行し、環境文明社会の構造を描きました(下図)が、私たちは「教育」こそが、経済、政治、技術など全ての社会基盤のベースと考えています。なぜなら、人が経済、政治、技術等を司るわけで、その良し悪しはそれを司る人にかかっており、その人がどのような教育(学校教育だけではなく家庭や社会での教育も含め)を受けたかに左右されると考えているからです。

この会報でも度々教育の重要性を述べ、2年前の会報でも、日本の基礎となる教育の再構築を提案しました。しかし、依然として、日本の教育、特に学校教育は決してよい方向には向かっておらず、ますます質の低下が進んでいるようです。例えば、親も子も教師もゆとりのない中で、小学生から英語やプログラミングが追加され、2020年度からの学習指導要領では主体的・対話的で深い学び(アクティブ・ラーニングAL)で授業の質を上げることが求められています。深い学びには、自ら調べ考え議論したり、と時間がかかるのに、“質も量ももっともっと”というのは全く無理な要求で、誰の、何のための教育なのか?特に発達段階における小・中学校でのIT・ICT化には大きな危険を感じます。アナログ人間の私では説得力はないですが、ビル・ゲイツは自分の子どもには14歳まではスマホを持たせず、それ以降も就寝前、食事時は一切禁止していたそうですし、スティーブ・ジョブズも自分の子どもにはiPadもiPhoneも触らせなかったそうです。これは、彼らがその「負の側面」を認識していたからに違いありません。実際、過度なIT・ICT化で、子どもの心と頭脳と体の健全な発達が阻害される危険性が医学界からも指摘されています。今教育に求められるのは、自ら考え判断し実践する力、根源的な問いを問い続ける思考力、他者と人間的に向き合う力、社会に参画する「市民」資質などを培うことです。英語もITもうまく道具として使える年齢になれば、使い方によっては有効ですが、日本語も脳の発達も不十分な段階から、産業界の要求のままに、国がこうした政策を採用するのは、人を育てることよりも経済や産業の発展を重視している証ではないかとさえ思えるのです。

最近「パリ協定に基づく成長戦略としての長期戦略(案)」が公表されましたが、ビジネス主導のイノベーション、CCS・次世代蓄電池・次世代原子力といった技術名は並んでいても、それを司る人間については何も触れられていません。また、ある雑誌で環境省幹部が環境行政全般について書いていましたが、その内容に「人が見えない!」と感じたのも事実です。生命の基盤である環境を守るべき環境行政の中でも、「人間」についての考察とそれに基づく育成が忘れられているようです。

平成の時代は多くの進歩もありましたが、それを凌駕する勢いで、人々の欲望は拡大し、その結果、環境の悪化や社会の不安定性も増し、人間の劣化も進んでいます。それらに流されず厳しい現実をしっかり受け止め、それに対応できる新たな価値観と社会を築いていくのは私たち人間です。経済や技術ではなく、その土台となる「人間」にこそ焦点を当てその力を育むことが、新たな時代を築く礎のはずです。

環境文明社会の構造

環境文明社会の構造