2019年7月号会報 巻頭言「風」より

もう技術だけに頼るのはやめよう!

藤村 コノヱ


痛ましい事件や事故が連日のように報道される中、老後2000万円問題や妊婦加算の復活問題なども加わり、世界同様、日本社会の混迷もさらに深刻さを増し、気候変動と併せて、先行き不安感は増すばかりである。被害を受けられた方々の悲しみ・怒りは如何ほどかと思うが、そうした犯罪を生み出す現代社会の病巣は本当に深く、人間の尊厳を守り環境・社会の持続性を確保していくことがいかに困難な時代になってきたかを改めて思い知らされている。

一方そうした状況にあっても、この国をどんな国にするのかという本質的な議論が全くないままに、場当たり的、選挙対策だけしか考えていない政治には怒りを感じるし、それを容認しているかのような世間の風潮は、不思議でもある。

この国をどんな国に、と言う議論がないと書いたが、実は、現政権は、IoT、AIなどの技術革新を駆使した、Society5.0(狩猟、農耕、工業、情報社会に続く人類史上5番目の新しい社会)という未来社会コンセプトを掲げた成長戦略「未来投資戦略」(2017年6月閣議決定、2018年改定)を掲げている。また6月11日閣議決定された「パリ協定に基づく成長戦略としての長期戦略」を見ても、少なくとも現政権は、全ての生命基盤である環境よりも経済を、個々の生命や尊厳よりもビジネスや技術を優先しているように私には思える。そして、これら戦略の中心を成す経済や技術も、本来は人々の幸福や社会の持続性を実現するための手段だったはずが、権力と結びつくことで、むしろ、社会の混迷を一層深める大きな要因になっているような気がする。

確かに、これまでは 技術が産業・経済そして社会を変えると言われてきた。実際、第一次産業革命は蒸気機関の発明で生産力も高まり英国は世界の工場として発展。1800年代後半からの第二次産業革命では、エンジンを発明したドイツや電気を産業化した米国を中心に大量生産が可能になり、軽工業から重工業へと産業構造も変化し、経済力でも米国やドイツが力を持つようになった。1900年代後半にはコンピューターの登場による第三次産業革命がおき、生産、流通現場はもとより私たちの暮らしも大きく変化した。そしてAIやIoTなど第四次産業革命により産業構造も私たちの暮らしや社会も激変すると言われている。

現在政府も含め、多くの人が、あたかもそうした社会が、人々を幸福にし社会を豊かにするかのような錯覚に陥っているようだが、私自身は、労働が奪われたり、人間力の低下がさらに進むのではないか、情報・教育・経済等格差がますます広がり社会の不安定さが増し、前述のような事件・事故が多発するのではないかという不安の方が大きい。

本年6月6日付朝日新聞で、米国の経済学者ロバート・ゴートン氏は「画期的発明による生産性の劇的向上はもう起こり得ない」とし、AIも電気やエンジンほどには、幅広いビジネスの本質を変えたり生産性を高めたりはしないと語っている。また少し古いが、『最後の選択』(松井孝典:編著、徳間書店1994年)で、ノーベル賞受賞者の利根川進氏も、無駄だったり悪影響を及ぼす技術開発は沢山あり、それがなくても十分人間らしく満足に生きられるのに、あらゆる知識を利用してモノを作りエネルギーを使って公害を出す旨述べた上で、「テクノロジーをどう使うかには人間の判断が不可欠であり、人間がどんなポリシーをもちどうコントロールするかが、人類がより長く地球上に生かされるか否かの鍵」とも言っている。かのマハトマ・ガンジーも人間性なき科学は大罪だと指摘している。

実際に、最初の産業革命時代から、英国内では公害や低賃金を生み、植民地政策が拡大されたが、その後も環境破壊や格差問題等は解決されるどころか、むしろ拡大・激化して今日に至っている。技術が人間を幸せに、社会を持続的にするとは必ずしも言えないこともわかってきたのに、何故技術に過度に依存し続けるのか。

勿論、新たな技術開発が人間の知的好奇心を擽ることも理解できるし、それ自体を否定するものではない。しかし昨今のように、何の議論もなく、技術が権力や経済活動とつながり安易に社会に導入されることで、それ自体が歪(いびつ)なものに変化し、原発、リニア、兵器など、人間・社会に恩恵よりもむしろ悪影響をもたらしている状況を、私たちは容認し続けていいのだろうか。


本誌4月号で加藤顧問が、新しい社会を支える諸原則の一つとして、「新規技術やシステムを社会に投入する際は、環境や社会面からのアセスメントをクリアにしたものとする」と述べている。その一つの方法として、コンセンサス会議がある。1980年代半ばにデンマークで生まれた市民参加によるテクノロジー・アセスメントの一方式で、日本でも1998年に遺伝子治療をテーマに行われて以降、いくつか試行されている。手間暇、資金もかかるなどの課題もあり、日本では研究、社会実験段階にあるようだが、今後医療分野も含め益々高度・複雑化する技術の社会導入に際してはこうした方法も必要だろう。

しかしその前に、気候変動対応技術も含め、本当にその技術が必要か?有効か?も不明なままに、多くの技術開発に莫大な公的資金が投入され、その恩恵を受けるのは多くの場合一部利害関係者であることを知り、こうした従来の考え方や手法が、子どもたちの未来を奪うことになっていることに気づき、変えていく勇気が必要なのだと思う。

「あなた方(大人)は、嫌われることを恐れる余り、環境にやさしい経済成長が永久に続くかのようなことを言います。良識的対応は非常ブレーキをかけることだけだという時になっても、あなた方は現在の混乱を引き起こしたのと同じ悪い考えのまま進んでいくことしか語りません。」「私たちの文明は、ほんの一握りの人々が莫大なお金を稼ぎ続けるために犠牲になっています。」新年号で紹介したグレタさんの言葉をもう一度思い出そう。