2019年8月号会報 巻頭言「風」より

社会・経済のコースを大胆に変えよう

加藤 三郎


1.日本も世界も先行き不透明

先月、参議院選挙があった。私自身は、ほぼ現状維持に留まった選挙結果よりも、48%台という戦後2番目の低投票率に注目している。有権者の半数は今回の国政選挙に参加しなかったということだ。その理由については慎重な分析を要すると思うが、有権者である雇用者の約4割が非正規労働者で、老後に向けて貧困や生活の不安が増加している人達にとっては、投票する気にもならなかったのかもしれない。また高齢化が進む中で、認知症や身体の不調で投票行動がとれなかった人も少なくなかったのではなかろうか。いずれにしても、今回の投票行動は、日本社会の困難の深さを象徴しているように思えた。

困難といえば、三菱ケミカルホールディングス社の会長であり、先ごろまで経済同友会の代表幹事であった小林喜光氏が、世界経済における日本の地位の急落を嘆き、日本人は危機感が欠如した「ゆでガエル」状態であり、このままでは令和の時代に日本は五流国になってしまう、と警告している。(本年5月10日付毎日新聞)

一方、世界を見ると、これまた様々な危険が露呈している。米中貿易摩擦の激化、イランなど中東状況の軍事危機、ますます声高になるトランプ政権の引っ掻き回し、EU離脱を巡る英国のドタバタ騒ぎ、どれをとっても不安定要因だ。今年に入って国連は、2015年に採択された持続可能な開発目標(SDGs)に関して詳細なレポートを発表しているが、その序文で、グテーレス事務総長はこれまでの4年間を概ね次のように総括している。すなわち、世界が成し遂げた成果としては、極貧の減少、5歳未満児の死亡率の大幅減少、電力へのアクセス増加、パリ協定批准国数が186に、国際機関、自治体、企業、科学者、市民団体等がそれぞれ目標達成に向けて頑張っていることなどを指摘した。その一方で、不足している点としては、海水面の上昇、海洋酸性化の加速、世界の平均気温が過去4年間最高気温を記録更新、100万種の動植物が絶滅の危機、土壌劣化の進行、飢餓も増加、世界中では子供達の半数以上は読みや計算の力が不足、世界中で女性差別が依然として続いていること、などを挙げている。

このようなことを見ると、日本も世界も困難が山積しており、克服しようにも先行きが不透明なことがよくわかる。

2.時間切れになる前にコースを変えよう

このような危険な状況に日本も世界も導いてきた(あるいは追い込んできた)経済・社会思想のエッセンスは何であったろうか。それは、世界人口の増加を前提に(今でも毎年約8000万人増加)、「経済成長を重視し、その手段として技術革新を引き続き追及する。また大企業を経済成長戦列の中核に据えてグローバル化を推進し、エネルギー源としては安価で使いやすい化石燃料への依存にこだわる」という、一口で言えば、技術による経済成長至上主義の経済思想であり、政策コースだ。そしてこのコースがもたらした困難を克服する理念としては、「利便性のあくなき追求の中で、科学によって生み出された問題は、同じ科学によって解決されなければならない。現代のテクノロジーが生み出した環境問題の解決は、継続的な経済成長とテクノロジーそのものの変革によってのみ可能。つまり、高度なテクノロジーのイノベーションを更に推し進め、それを経済的に支える経済成長を従来どおり継続する。これが実現可能な唯一の対応策。」とでも要約できる考え方ではなかろうか。

しかし、この経済成長コースで2世紀近く、最初は一部のヨーロッパが、やがて米国、日本、アジアなどに拡がり、全世界を巻き込んで、今では80億人近くの人々が奮闘努力してきた結果、都市には高層ビルが林立し、自動車が道を塞ぐほどに開発されたが、気がついてみたら生態系と人間社会の破局すら現実味を帯びている。

人間に知恵と勇気が残されているのなら、より安全で持続可能性が増すコースに急いで乗り換えなければならない。そのコースは要約すれば、「環境保全を最重視し、経済成長にこだわらない。技術については、効率よりも環境負荷の大小で選別。分散型のローカル経済を回復させ、中小企業やNPOなどの市民組織を積極的に活用する。エネルギー源は再生可能エネルギーに限る。」というものだ。

このコースに名前をつければ、「グリーン・コース」とでも呼べると思うが、それを支える理念は、次のようなものではなかろうか。すなわち、「人間にとって豊かで便利な世界を、技術の無分別な利活用によって築き上げる行為は、巡り巡って人間の存続を脅かすことに、気候の異常や生物の絶滅、さらに経済・社会の不安定さなどを通じて我々はやっと気づいた。従って、人間にとって最も重要なことは、社会の持続性や地球環境の破壊につながるような種類のテクノロジーとそうでないテクノロジーとの間に確固たる区別をつけて、前者を意識的、制度的に排除し、後者を促進することが、人類社会を延命させる策だ。そのためには、人々は利便性の追求を抑制する智恵と勇気を、学校教育などを通じて涵養することが不可欠だ。」というものであろう。


このようなコースへの転換には大きな困難と抵抗とが予想されるが、出来るだけ急いでしないと時間切れになってしまうのでは、と恐れている。